議員定数削減は「なぜ必要なのか」を考えてから

 2月14日付けの朝日新聞の社説に、国会議員の定数削減について書かれていました。
 

 選挙制度改革―第三者機関にゆだねよ
 
 自民党の腰の重さは目にあまる。昨年の衆院解散にあたって民主、公明両党と合意した、衆院の選挙制度改革をめぐる消極姿勢のことである。
 「定数削減については、選挙制度の抜本的な見直しについて検討し、通常国会終了までに結論を得た上で法改正を行う」
 解散のまさにその日、自公民3党が交わした合意である。
 国民に消費増税を求める前提として、国会議員みずからも「身を切る」覚悟を示すとした定数削減。民意を的確に反映する選挙制度への改革。
 このふたつは、公党間の約束であると同時に、国民への公約でもあったはずだ。
 それなのに、議論を引っ張るべき政権党が逃げ腰とはあきれるほかはない。
 党幹部からは「限られた時間でできるかと言えば極めて困難」(石破幹事長)といった消極論が相次いでいる。
 そんな言い訳は通らない。

 
 いつも通りのつまらない社説ですが、しかしこの話題って誰からでも何回でも話題に上がっても、いっつもやっぱり「なぜ削減しなければならないのか」という理由の部分が出てきません。
 本来ここが一番大切なハズです。
 なにをするにしても「なぜ必要なのか」という理由の部分、論拠の部分があってこその主張です。
 いま朝日新聞はネット上では最も嫌われている新聞の1つですが、これも理由があってこそです。
 ウソを付く、煽動する、日本を貶める……などなど、これらも具体例を挙げればいくらでも理由と論拠が挙げられる具体的な理由があってこそ朝日新聞は逆クオリティーペーパーとしての立場を燦然と輝かしているワケですよね。
 では果たして、議員定数を削減しろと言うその論拠は何なのでしょうか?
 
 実はこの問題はもう何度も当サイトで扱っているのですが、未だにこの命題には明確な答えが聞こえてきません。
 唯一議員定数削減についての理由のようなモノとして聞こえてくるモノは、「財政が厳しいからコストダウンのために議員数を削減しよう」っていうモノです。
 しかしこれは実は全く理由になりません。
 なぜなら、ただ単に「財政が厳しいから」という理由であれば、例えば家計簿で言えば「家計が赤字だから食費を半分にしよう」と言うようなモノで、それは現在の食費が多すぎるのかどうかという検討や、そもそもその食費は家庭や人間が生きていくために必要不可欠なモノなのかどうか、本当に削って良いべきモノなのかどうかという検討が全くされていないからです。
 つまり、「削るべきかどうか」というコトを考える上においては、さっき言いました「必要不可欠なモノなのかどうか」「本当に削って良いべきモノなのかどうか」を考えなければならないワケですが、こここそが理由であり論拠なのですけど、でも現在の議員定数削減論は、ここの議論が全くなされていないですし、議論されていないのですから理由も論拠も全く出てきていないのです。
 よって論拠がない以上は、「財政が厳しいからコストダウンのために議員数を削減しよう」は全く主張として説得力がないとしか言いようがないのです。
 
 逆に考えますと、削減しなければならないと言うのであれば、つまり現状では議員は多い、という理屈になるハズですよね。
 さてでは本当に多いのでしょうか?
 まぁ多い少ないというのは相対的な視点でしか判断出来ない価値基準ですんら、ではひとつ相対的な基準で見るために、外国との比較をというモノをしてみましょう。
 これも以前計算して公開したモノですが、諸外国の議会議員数とその国の人口での比率を出したモノがこちらです。
 

 アメリカは上院100人、下院435人の、計535人…人口約3億1300万人。
 イギリスは貴族院704人、庶民院650人の、計1354人…人口約6100万人。
 フランスは元老院343人、国民議会577人の、計920人…人口約6500万人。
 ドイツは連邦参議院69人、連邦議会598人の、計667人…人口約8100万人。
 そして日本は、参議院242人、衆議院480人の、計722人…人口約1億2800万人です(全部ウィキペディア調べです)
 
 イギリスがダントツですが、歴史的経緯から貴族院の性格が他の国の上院とは異なりますし、また同様にドイツの連邦参議院も選挙で選ぶワケではないので除外するにしても、それでも議員1人当たりの人口数というのは、並べるとこうなります。
 
 アメリカ…58万5046人
 日  本…17万7285人
 ド イ ツ…13万5451人。
 イギリス… 9万3846人
 フランス… 7万0652人。

 
 つまり、アメリカではアメリカ人58万5千人に対して国会議員が1人いるってコトです。
 逆に言えば、国会議員1人に対して58万5千人分の民意が集まっているという言い方もできるワケです。
 これってすごい大雑把じゃないですか?
 ただしこれはアメリカの制度によるところが大きく、上院議員の議員数はは人口比で算出されているのではなく、1つの州に2人ずつと一律で決まっているからこその数字だと言えます。
 つまり人口が最も多いカリフォルニア州(約3696万人)と最も少ないワイオミング州(約54万人)と人口で比べると68倍もの差があるのに。それでも上院はどちらも2人という、日本の裁判所なら一票の格差問題で絶対に違憲判決を出すようなコト(もちろんアメリカ憲法では合法なのでしょう)になっているからこその事情があると考えられます。
 それにしても58万5千人に1人というのはすごい数字だと思いますが、しかし日本はそれに継ぐ、人口当たりの議員数がとんでもなく少ない国なんですね。
 さてこの現状を目の当たりにした時、果たして本当に日本の国会議員の定数を削除すべきだと言える現状にあるのでしょうか。
 
 議員数っていうのは、ある意味民主主義の根幹です。
 例えば、じゃあ国会議員を10人にしましょうってなった時、果たしてそれは民主主義と呼べるシロモノになるでしょうか。
 確かにその10人は選挙によって選ばれたかもしれませんが、しかしその1人の国会議員に反映される国民の数があまりにも多すぎて、もはや「民意の代表としての議員」とは呼べなくなってしまっているのではないでしょうか。
 その議員の意見とは、その背景にある何千万人の意見の集約ではなく、ただの議員本人の個人的意見にしかならないでしょう。
 そしてそのたった10人で作った法律がその国家の形を作り上げるワケです。
 それは果たして民意なのでしょうか。
 
 もちろん外国との比較だけで決められる問題ではありませんが、ただ「多い少ない」という感覚はあくまで比較の中でしか決められない問題であり、同じ民主主義という制度を取っている国家との比較は一定の意味があると言えるでしょうし、この他にも色々と考えるべき問題はあろうかと思います。
 例えば衆議院の中のさらに委員会ともなれば、27つの委員会があるワケですが、よって480人を27で割ると約18人、仮にひとり1つの委員会となればたった18人で法律の議論が行われてしまうコトになりますように、この数字を見ても「多い」と感じるか「少ない」と感じるか、やえは少ない気がしてなりません。
 ですから現在はひとりの議員が複数個の委員会をかけもちしていて、約30~50人ぐらいの委員数によって委員が開催されているのですけど、でもこれもやっぱりじっくり腰を据えて議論するなら、一議員一委員会の方がいいのではないでしょうか。
 であるなら、いまの議員数では足りないワケですよね。
 これは1つの考え方ですが、こういう考え方だってあるワケです。
 
 議員定数に関する議論は大いにすればいいと思います。
 しかしいまの議論は、削減ありきの議論になってしまっています。
 こんなのは議論とは言いません。
 いま必要なのは、果たして国民のための政治には何が必要なのか、国家運用のためにはどうすべきなのか、民主主義とは何なのか、ここを考えてこの問題にはあたらなければならないのです。