生活保護の問題

 今日はこらちのニュースです。
 

 「生活保護費引き下げないで」受給者が会見(愛知県)
 
 18日午後、貧困問題に取り組む団体が記者会見を開いた。生活保護受給者(58)は「最低限の生活を営むにあたって、私にとって非常に大事なお金」。母子家庭の母親は「子どもたちに食べさせるのが精いっぱい。生活保護費を下げられたら、子どもたちに食べさせるものが今よりもっと粗末になる」と訴えた。最低限の生活を支える生活保護費。厚生労働省は、自民党の選挙公約通り新年度予算から、保護費を引き下げる方針。これに対し、病気で働くことができない母子家庭の母親は「4人の子どもを抱え、今でも生活はギリギリで大変苦しい。食べ盛りの子どもたちがかわいそう。生活保護を下げないで」と、高校生の息子は「修学旅行に行くのに6万円ほどかかるので、妹たちの食事を減らさないと行けなくて、行ってもあまり楽しくなかった」話した。生活保護費の引き下げは、子どものいる世帯の「貧困の連鎖」につながるとの指摘もある。会見で弁護士らは保護費の引き下げは最低賃金や子どもの就学援助など、生活保護を受けていない人にも影響が大きいと訴えた。

 
 生活保護制度の問題ですが、この問題、3つの視点があります。
 1つは、高校生は義務教育ではないと公的に定められている以上は「最低限度」とは言えず、よって学校に関係する費用はバイトしてでも自ら稼ぐ必要があるコトになるコト。
 1つは、バイトしてもしなくても受け取れるお金の額が変わらない、ヘタをすればバイトした方が受け取れる額が減ってしまいかねないという生活保護制度の欠陥。
 そしてもう1つは、もし本当に病気が理由であれば、それは生活保護ではなく別の制度を活用、もしくは制度の創設が必要なのではないかというコトです。
 
 まず最初に、そもそも高等学校というのは義務教育ではないので、その費用は憲法に定める「最低限度」には当てはまらないという点があります。
 だってもし高校が最低限度であれば、高校に進学していない人は最低限度のさらに下なのかというお話になっちゃいますよね。
 そしてそれは公的な意味でも同じコトが言えます。
 もし高校が最低限度だと言うのであれば、義務教育を中学までにしているのは間違いだというコトになってしまいます。
 ですからこれを逆に言えば、公的には「中学までを最低限度」だと定めているコトになり、よって高校にかかる費用については生活保護制度の範疇外だというコトになるのです。
 
 修学旅行なんて、さらにと言えるでしょう。
 修学旅行は中学でさえ各家庭で積み立てして費用に充てる、つまり公的な学費ではないと定められているワケで、この事例からもはや修学旅行は公教育の範疇を越えているんですね。
 一応助成制度もあるようですが、それも基本的には返還の義務が生じます。
 まして今回の件は義務教育ではない高校での修学旅行です。
 「生活保護費が少ないから高校の修学旅行が楽しめなかった」と言われても、それはかなりズレている、正直八つ当たりのレベルのセリフでしかないのです。
 バイトしてください。
 
 2つ目の点は、そのバイトに関連するのですが、生活保護の制度の関係上で、ある程度バイトしてお金を稼いでもも総収入が変わらないという困ったシステムになっているという問題点があります。
 つまり、ものすごく簡単に言いますと、いま生活保護で月30万円もらっているとして、その中で家族がバイトして10万円稼いだとしたら、今度は生活保護の支給額が20万円になってしまうんですね。
 厳密にはもうちょっと計算があろうかと思いますが、でもこんな制度だと、文字通り「働き損」になってしまいかねません。
 働いても働かなくても貰える額が同じであれば、そりゃまぁ働かないという選択肢をとってしまいますよね。
 そしてその構図が、「生活保護費が少ないから高校の修学旅行が楽しめなかった」という“甘え”を生み出しているワケで、これはこの制度設計の責任も小さくないと断じざるを得ません。
 
 結局これは、ただ現金をばらまくという生活保護の基本システムの限界の露呈なのではないのでしょうか。
 憲法で定められているのはあくまで「最低限度で文化的な生活」であって、お金の保障ではありません。
 もちろん現代の生活のお金は必要不可欠ではありますが、それでもなんでもかんでもお金で換算するから、こういう働いても働かなくても変わらないというシステムエラーが出てしまうのです。
 ここのところをもうちょっと考えてみるべきでしょう。
 
 最後の3つ目ですが、これは過去にも言及したコトがあるのですが、病気が原因なら、病気を基準とする制度による保障制度を活用すべきですし、なければ作るべきです。
 現行法でも障害者に対する保障制度がありますように、基本的にはこういう考え方で良いでしょう。
 障害も病気も、原因がハッキリしている事案なのですから、制度を作るならその原因に特化したモノを作るべきなのです。
 さらに言えば、病気は治るモノ、治さなければならないモノなのですから、まず病気を治すコトを最優先とし、その間の生活費などを保障しつつ、通院やリハビリの義務化などを盛り込めば、それは国家にとっても国民にとっても有効な制度となるでしょう。
 健康な身体で自分で働いて稼いで、そして税金を治めるというのが、本来あるべき姿なのですからね。
 間違っても、病気を言い訳にして働かない人なんかを養うような制度にしてはいけません。
 病気が理由なら、少なくとも医師による診断書や通院証明書などの提出の義務化など、制度の悪用を防ぐシステムは必要不可欠でしょう。
 病気で働けないのであればそれは仕方ありませんから、そこは国家が保障すべき問題ですが、それは生活保護でやるべきコトではないハズです。
 病気が理由なら、病気を理由とする制度を活用するか、それが現在整備されていないのであれば、早急に創設すべきなのです。
 
 別に今回の記事のもととなった記者会見の人達が、本当は病気ではないのに病気と称して生活保護を貰っているなんて言うつもりは毛頭ありません。
 でも、実際問題、近年生活保護の問題は偽装も含めて様々な指摘されているところであり、中にはすでに働ける環境があるのに働かずに生活保護を貰い続けているような人もいると聞き及ぶところです。
 ですから、病気を理由にするなら生活保護というザックリとした大きな編み目の制度を使うのではなく、病気という特殊事情に鑑みた特殊な制度によって保護されるべきなのです。
 そうしてこそ、国家にも国民にもどちらも有益な制度になると言えるでしょう。
 
 生活保護に関する問題はこれからも議論される問題だと思いますが、特に3番目の問題については強く主張しておきたいと思います。
 憲法上生活保護の制度は設置しなければならないのでしょうけど、ここにひっかかる人は極僅かにしなければなりません。
 少なくとも「致し方ない理由」がある人は、その致し方ない理由を元とした制度が必要でしょう。
 そうしてこそ、その致し方ない理由から脱却する力にもなるのでしょうから。