TPP:反対論を考えてみる 2

2.日本の農業が破綻する
 
 前も言いましたが、コメに関しては、やえは心配していません。
 それは実証済みだからです。
 コメの輸入を認める認めないの時の騒動でも日本のコメ農家が破綻するとかなんとか言われていましたが、しかし現状はどうでしょうか。
 街のスーパーで外国産の米が並んでいる方が珍しいと言える状況でしょう。
 「安いから外国産の米を日常的に使っている」と言う人は、少なくともやえは聞いたコトも見たコトもありません。
 ですから、コメへの関税撤廃はまったく問題ないとやえは思っています。
 むしろ、輸出のチャンスが増えるだけと言えるのではないでしょうか。
 
 ただ、あとの品目はやえには分かりません。
 それだけの知識も情報も持ってないからです。
 でもどうなんですかね。
 勝手な想像にはなってしまいますが、もともと輸出に対する関税って低いハズですから、TPPによって劇的に変わるかと言われれば、そこまで変わるとはちょっと疑問です。
 こういうのって、どっちかと言えば消費者の意識の問題ですからね。
 コメと一緒ですよ。
 いくら安くても安全性が担保されなければ、これは食べても大丈夫だと思わなければ買わないですから、輸入禁止から解禁になればだいぶ違うのでしょうけど、もともと低い関税のモノがゼロになったところで、そこまで影響が出るのかどうかは、ちょっと疑問です。
 
 JAのサイトを見るとこう書いてあります
 

 現在、日本の食料自給率は40%。TPPに参加したら、なんと13%にまで下がってしまうといわれています。

 
 もしこれが本当であれば大変でしょう。
 自給率は色々な数え方があるのですが、農水省のサイトによればこうなっています(PDF)。
 

平成19年食糧自給率
・生産額ベース食料自給率-66%
・主食用穀物自給率-60%
・カロリーベース食料自給率-40%
・穀物自給率-28%

 
 最近は自給率と言うとカロリーベースで言いますから、現在40%と言うのは間違っていないでしょう。
 その上でこれが13%まで下がると、確かに問題があるように思われます。
 そもそも40%でも低い、もっと上げるべきだという意見もありますから、そういう観点ではTPPは反対するに足りる理由かと思います。
 
 ただやえはもうちょっと多角的に考えたいです。
 「なぜ自給率を上げるべきなのか」というところまで考えてみます。
 最も大きな理由は、人間は食べなければ死ぬワケですから、食料を外国頼みにしてしまうとその国に生命線を握られてしまう、という理由でしょう。
 確かにもっともです。
 極端なコトを言えば、自給率がゼロになってしまっている場合、外国が「いままで100円で売っていたモノを200円にするね」と言われても、日本には選択肢がなく200円で買うしかなくなってしまいますし、また戦争になった場合、食料の日本への輸出さえ止めれば、それだけで兵糧攻めという古来より最も効果の高い戦術を至極簡単に採られてしまうコトになってしまいます。
 これは確かに脅威でしょう。
 
 お話はちょっと変わりますが、「最悪のコトを想定してそれに備える」というのは、一見真理であり、一方では暴論です。
 例えば未だに「100%事故を起こさないと証明しなければ原発再稼働は反対」と言う人が少なくありませんが、こんな言い方は暴論です。
 「最悪のコトを想定し、事故をゼロにしなければ稼働してはならない」と言いだすのであれば、では自動車はどうなんですかと、未だに自動車事故で死亡者が多数出ている中で、なぜ「最悪のコトを想定」してないのですかと言えてしまいます。
 世の中にはゼロか100かという極論は成り立ちません。
 事故をゼロに近づける努力は必要ですが、実際のところはゼロではないけどそれ以上に利益があると判断されればGOサインが出されるワケです。
 自動車の例で言えば、未だ事故で死亡する人はいるけど、法律や技術の面で事後を少なくする努力しつつ、それ以上に自動車が社会に果たす役割が大きいので、自動車は人々に活用されているんですね。
 逆に言えば、いま自動車を全廃してしまえば、事故で死亡する人以上の損失が社会に出てしまうと判断されているためです。
 つまりハッキリと言えば「妥協」です。
 「最悪のコト」ではなく、最終的に世の中は妥協で判断されるのです。
 
 そういう意味で、戦争になった場合どうするのかというのはある程度想定されるコトだとは思いますが、しかし日本一国だけで全世界を敵に回すという場面までを想定するのはいきすぎなんじゃないでしょうか。
 だいたいこの場合は、食料云々の前に負けでしょう。
 むしろ勝ち負けの前に、どう戦うのかすら疑問な場面です。
 こんな「最悪な場面」というのは、想定するんじゃなくて、「絶対に回避すべき場面」です。
 回避するためにはどうするかというコトは考えても、こうなった場合にはどうするかというのは考えるだけ無駄なお話です。
 となればですよ、仮に日本が戦争するコトになったとしても、それはある程度は味方がいるという中での戦争でしょうし、中立国は中立国として普段通りの付き合いがされるでしょう。
 であるなら、戦争状態でも食料がゼロになる場面というのはあり得ないでしょう。
 まして少なくとも日本では主食であるコメは備蓄もあるワケですし、コメの生産がゼロになるコトも想定する必要の無い場面であって、その上で他の品目は多少は輸入制限が入るかもしれませんが、兵糧攻めで白旗を揚げるまでの場面には至らないのではないかと思うのです。
 
 まぁこれも想定できるモノの中の可能性のひとつです。
 ただ「全世界を敵に回して日本一国だけで戦争する」というのは「最悪の場面」としては想定するのはむしろ害悪になるレベルの、放射脳レベルの想定であるのは確かです。
 もし「戦争になった時に食糧自給率が低いとまずい」という論拠で自給率を語るのであれば、これぐらいのリアリティは持って語るべきなのではないでしょうか。
 もちろん、いまやえが語った以上のリアリティがある情報やデータを持っている人は、それ以上の議論をしてほしいと望むところです。
 
 食糧自給率の問題はこれだけではないのかもしれません。
 自給率が多いに越したコトはないのは確かですし、外国では手厚い補助で農業を保護していると伝えられているところですから、放っておけとコトにはならないでしょう。
 ただその目安をどこに設定するのか、なによりその目安は何を基準にして、どういう論拠でそこに設定するのか、ここはハッキリとさせておく必要があるハズです。
 
 確かに多ければ多いに越したコトはありません。
 ただ農業の問題は、特に農家のなり手が無いという問題は、決して政治だけに責任を押しつけられる問題ではありません。
 決して政府が強制権を持って農家を減らしてきたワケではなく、国民それぞれの全体の意志の結果として、農家のなり手が少なくなっている問題なのですからね。
 ですから、ある意味国民自ら農家にはなりたくないと言いつつ、でも食糧自給率は上げなければならないと言い、しかし野菜は安くないとイヤだ、こんなコトを言ってしまうのは我が侭だと言うしかないでしょう。
 どこかで妥協しなければなりません。
 もし「自給率100%」を目指すなら、野菜などが高くなってもそれを買い続ける覚悟を決めなければなりません。
 またそれはなり手を増やすために手厚い保護などが必要になってくるでしょうけど、そうなれば当然税金から賄われるワケで、税金も高くなる可能性はあります。
 「自給率100%を目指す」というのであれば、ここまでの“リアリティ”をもって語る必要があるのではないでしょうか。
 
 たぶんこの問題はもっと語るべき点があると思うのですが、今日はこの辺にしておきます。
 できましたら、食糧の問題はどこに問題があるのか、それはなぜなのか、そしてどういう姿が「本来あるべき姿」なのか、是非ともご意見をお聞かせしていただければと思います。
 ただ単に「日本の農業を守れまもれ」だけではなく、「何が問題で、どう守るべきなのか、そしてなぜ守らなければならないのか」、キチッと論拠をもって語りるべきだと思います。