「軍隊にそれは必要だった」「当時は合法だった」というコト

 従軍慰安婦の問題についてもう1点言っておこうと思います。
 
 例えば「従軍慰安婦制度はアメリカにもあった」という言葉に対して、「自分のコトを棚に上げるのか」「他人がやってるから自分には罪はないと言うのか」と憤る人達がいます。
 わりとこの手の論法ってよくあって、「この事案は別のところでも見られる」という意見に対して、「だからといってお前の罪が消えるワケじゃない」という言い方はよく見られるところです。
 
 でもハッキリ言って、これは受け手の論点が分かっていないか、もしくは意図して論点をズラしている論法と言わざるを得ません。
 
 「従軍慰安婦はアメリカをはじめ、世界各国の軍隊で存在していた」という主張は、決して「日本だけが罪ではない」というコトを言いたいのではありません。
 他の人の内心までは分かりませんが、少なくともやえはそうです。
 そうではなくてですね、世界各国にあったというコトは、つまり「軍隊にそれは必要だった」という証明のお話であり、同時に「当時は合法だった」という証明のお話であるというコトなのです。
 そもそもまずもって「慰安婦制度が悪」という固定概念を前提として語るのが間違いであって、その固定概念を取っ払うために「従軍慰安婦制度はアメリカにもあった」という論拠を用いて「慰安婦制度は悪ではない」と主張しているワケなのです。
 ここを間違えたり勘違いしてはいけません。
 責任をあっちにやったらこっちにきたりというお話ではなく、論拠としての「従軍慰安婦制度はアメリカにもあった」という主張なのです。
 
 いくらいまのアメリカ政府や米軍が口で否定しても、少なくとも過去に慰安婦政治があったのは事実ですし、この前記事を貼りましたように、アフガン戦争の時ですら外注という形ですが軍の支配下に慰安婦制度があったのは、誰にも否定できない事実としてあるワケです。
 結局これは「軍隊としてはどうしても慰安婦制度は必要」というコトですよね。
 まずこの「軍隊としては必要」という部分を全ての人は認めなければなりません。
 戦争時に民間人を、しかも戦いの訓練を全く受けていない女性を従軍させるという大きな負担とリスクを負ったとしても、その負担は従軍記者の比ではありませんよね、それでも従軍させていたのですから、その重要性というモノは冷静に判断出来る人なら簡単に分かるコトでしょう。
 ここは、いくら自分が性風俗を必要としないと思っていても、それは自分が軍人になったコトない上に、数時間後に死ぬかもしれないというギリギリところで命のやり取りを経験したコトもない人の意見でしかなく、そんな人の意見と軍隊での事実とを並べて同列に比べるコトはできません。
 まして「一部の軍隊にだけあった」のではなく「世界各国であった」のですからね。
 ここでも「世界各国にあった」というのは「その制度が必要だ」という論拠のための主張であって、責任がどうこうというお話ではないコトに注意です。
 自分が理解出来ないから悪、と言うのは独善でしかありません。
 事実として「世界各国にあった」という事実を踏まえるならどう考えるかというコトを思考すれば、やはり「戦争という人間としての極限状態に陥るのであれば必要だと言わざるを得ない」と結論を出すのが自然としか言いようがないハズなのです。
 
 そして、第二次世界大戦当時は、性風俗は合法だったという事実も忘れてはいけません。
 これも世界共通の「常識」です。
 だって、日本だけに限らず世界各国の軍隊に従軍慰安婦制度があったのですから、当然として合法ですよね。
 非合法なのにわざわざ隠して制度を持つようなコトを、これも1国だけのお話でしたらあり得るかもしれませんが、多くの国が同時にそんなコトをしているとはとてもじゃないですけど常識的に考えてあり得ません。
 つまりここの部分の「他国にも慰安婦制度はあった」という主張も、「当時は合法だった」という論拠としての主張だというコトですよね。
 ここを間違えてはいけないのです。
 
 従軍慰安婦の問題は、まずもって「その存在が悪」という前提からして議論すべき問題なのです。
 でも良識派ぶりたいマスコミに出てくる有識者たちは、従軍慰安婦だけに留まらず、時代を超えて性風俗は悪だという前提でお話を進めようとするワケですが、そんな人間の本質を無視した意見を言ってこの問題を議論できるワケがないのです。
 「自分には性欲はありません」「万人の認める誰に見られても恥ずかしくないセックスしかしていません」と言いたいのであれば、おとぎ話の中だけで生きていればいいんじゃないでしょうかね。
 少なくとも人間の内面に深く関わるような議論には参加しないでほしいです。
 そうではなく、性欲もあるっていうコトを、時に犯罪を犯してまでそれを解消しようとする輩がいるくらい、とても強烈で切り離すコトができない欲望だというコトを素直に認めた上で、そして戦争という明日死ぬかもしれないという極限の中でのお話というコトをキチンと踏まえた上で、この問題は考えなければならないのです。
 こういう想像が出来ない人は、戦争についてのお話はすべきではありません。
 
 「従軍慰安婦制度はアメリカにもあった」という言葉は、「軍隊にそれは必要だった」「当時は合法だった」というコトを示すための論拠です。
 証拠です。
 それ以上の意味はありません。
 ここを間違えないよう、勘違いしないよう、そして論点をズラさなないよう議論しなければならないでしょう。