核兵器廃絶への主張こそが核を持たぬ日本の「武器」
先日日本政府が正式に「核兵器不使用声明」に賛同し、125か国との共同声明に参加しました。
日本がこれに参加するのは初めてのコトです。
核兵器不使用声明発表 日本が初参加
核兵器は非人道的なものだとしていかなる状況でも使用すべきではないと訴える共同声明が、国連総会の軍縮問題を扱う委員会で発表され、アメリカの核抑止力に頼る安全保障政策上の理由からこれまで参加を見送ってきた日本も、初めて参加しました。
国連総会の軍縮問題を扱う第1委員会では、21日、提案国のニュージーランドを始め、日本を含む125か国が核兵器をいかなる状況でも使用すべきではないとする共同声明を発表しました。
共同声明はまず、「核兵器は過去の使用や実験の経験から制御不能な破壊力と無差別さを持ち、受け入れがたい人道上の影響をもたらすのは明らかだ」として、その非人道性を強調しています。
そして、これまでの国際的な核軍縮への取り組みを踏まえながら、「いかなる状況でも核兵器を2度と使わないことが人類の生存の利益につながる」と核兵器の不使用を訴え、「すべての国は核兵器の使用を防ぎ、拡散を防止して核軍縮を達成する共通の責任を有する」としています。
記事にもありますように、やえの出身地でもある広島市の選出である岸田文雄先生が外務大臣だからこそ為し得たコトだと、やえは勝手に思っているところですが、ともかくこれは大変に日本にとって国益に叶う素晴らしい参加だと思っています。
中には、特に日本は核武装すべきだと思っている人にとっては好ましくないコトだと思っているかもしれません。
しかしそういう人であったとしても、ちょっと視点を変えて欲しいんですね。
核兵器も、核兵器を持つコトが目的なんじゃなくて、それはあくまで日本の防衛力を高め、それによって国益を得るための手段でしかないのですから、つまり、核兵器を持たずとも国益に叶うのであればそれで十分なハズなのです。
手段のための目的であるとちゃんと認識していれば、それで問題ないコトが分かるでしょう。
そして今回のこの共同声明に署名したコトは、相対的に日本の軍事力を高めるコトに繋がる、イコール国益を得る方向への声明参加になるのです。
日本は現在核兵器を持っていません。
いくらいわゆる「アメリカの核の傘」に入っているとは言え、しかそれはどうやったって日本独自ではその核兵器を使用するコトはできないのですから、日本は核兵器を持っていないと言うしかありません。
むしろこれは「アメリカの核の傘に入っている」とはいえ、日本の国益のためだけに核を様々な意味で「使用」するコトはできない、できていないコトを意味します。
日本は自分の意志で動かせる核兵器を持っていないのです。
ではなぜ核兵器の保有がメリットになるのかと考えれば、それは結局「一部の国だけが持っているからメリット」になっているワケですよ、核兵器は。
他人が持っていないからこそ、自分だけが強い武器を持つコトによってアドバンテージを得ているワケです。
これは現実的に否定できない事実です。
核兵器を持つコトによるメリットは現実的にあるワケで、だからこそ北朝鮮なんて必死になって作ろうとしているのです。
では逆に、そのメリットを消し去るのはどうするのかを考えてみましょう。
これは核を持っている国がなぜアドバンテージを持っているのかを考えれば簡単に分かるコトです。
つまり「一部の国だけが持っているからメリット」なのですから、そのメリットを消すためには「全員が持つ」か、もしくは「全員が持たない」という状態にすればいいのです。
日本は一般人の拳銃の保持を禁じているからこそ拳銃を持つ警官の優位性が高いワケで、ですから一般人も銃を持っているアメリカでは一般人より優位に立とうと思えば、拳銃よりより強い武器を持たなければならないワケですよね。
実際それでアメリカは苦労しているワケです。
このように、同じ状態になってしまえば、その武器のアドバンテージというモノは無くなってしまうのです。
核兵器も同じように、「全員が持つ」か「全員が持たない」という状態なれば、ただ単に「核兵器を保有する」というだけでは、一切のメリットにはならなくなるワケです。
ですから核を持たない日本にとっては、この「核兵器廃絶に向けた世界的な流れ」というのは、「核を持たぬ」日本にとって、核のアドバンテージを無くす方向に進んでいるコトになるワケです。
「核を持たぬ日本」にとって、これは大きなメリットですよね、核を持っている国のアドバンテージを消し去ろうとしているのですから。
もちろん、この声明が125か国で発表されたからといって、その瞬間に世界にある核兵器が無くなるワケではありませんから、現在のところはまだ核兵器を保有しているメリットの方が大きいのかもしれません。
しかし、これも現実的なお話として、いまは実際に日本は核兵器を持ってはいないワケですし、保有する可能性も現在のところはほぼゼロです。
保有のための議論すら、一部の超タカ派以外からは一切聞こえてこず、一般的な国民議論にはほど遠いというのが現実的なところでしょう。
となれば、現実的に国益を求めるのであれば「どうやったら核兵器が持てるのか」ではなく、「核兵器を持っていない国としてどう国益を高めるのか」という視点で考える必要があるのではないのでしょうか。
そうした中、今回のこの共同声明参加というのは、日本にとって大変意義深いモノなんじゃないですかと思うのです。
よって日本にとって必要なのは、この流れをさらに推し進めるコトです。
今回同じく参加した125か国の中の124か国にとっては、実際に戦争による核兵器の被害を世界で唯一受けた日本が参加したコトで、ますますの発信力は大きくなるとメリットを感じているでしょう。
そしてそれは、核被害に遭ったというだけでなく、普通に世界大国である日本が参加するってだけでも、その発信力が以前とは比べモノにはならないぐらい大きくなるのは事実だと思います。
この流れを止めずに、むしろもっと加速するコトによって、核兵器が廃絶されれば、核を持たない国としてはこれほどのメリットはないでしょう。
現在の核保有国と、核兵器というステージだけで見れば同じ高さに立つコトになるのですからね。
またそうでなくても「どんな場面であってもまず使えないな」と思わせるぐらいになれば、それはもはや核の保有だけではメリットとはならない世の中になるでしょう。
これは実際にそうです。
例えばまだ核兵器が使えそうな雰囲気を残していた朝鮮戦争の時代あたりでは、核兵器の保有そのものが大きな武器となっていましたが、現在は少なくともアメリカが積極的に核兵器を使うコトは絶対にあり得ない、というか「使えない状況になってしまった」と表現するのが的確な時代にいまなっていますよね。
もし北朝鮮辺りが暴発して核兵器を撃ち込んだ後であればアメリカも核兵器を使うかもしれませんが、しかしアメリカからの発射というのは、もうこの時代はあり得ないでしょう。
こうやって核兵器はどんどん使えない雰囲気になり、いつしか「使えない兵器」となるワケです。
例えばいま段階で「化学兵器を持て」なんていいますか?
強ければなんでも持てばいいっていうモノじゃない証左でしょう。
核兵器廃絶に向けた主張というのは、つまりは核兵器を持っている国に対する「武器」なのです。
勇ましく核兵器を持て持てと言うよりも、よっぽどか現実的な問題として、この武器を有効に活用するコトの方が大きく国益に叶うのではないのでしょうか。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、戦略的核兵器廃絶主張を応援しています。
ディスカッション
コメント一覧
>核兵器廃絶に向けた主張というのは、つまりは核兵器を持っている国に対する「武器」なのです。
「核武装しろ」という主張については、IAEAとか核拡散問題とか使えない兵器を持つ無意味さとかどう考えているのか、とは思っていましたけど、「武器」という視点はなかったですね。
現在で言う「人種差別」や「植民地支配」、そして「第二次世界大戦で迷惑かけた」のと同じように倫理面において核保有国にプレッシャーをかけていくということですね。
持っているだけで後ろ指を指される状況を作り出し、日本は「核を持ったことがない国」として倫理的な正しさをアピールしていくと。面白いですね。
ミサイルディフェンス体制が整い、「核の恐怖」を薄めることが出来れば可能なんじゃないかと思います。