集団的自衛権の是非と、手続きの是非は別問題

 安倍政権を攻撃したくてしたくてたまらないマスコミが、自民党内部が分裂しているという印象操作を行うために集団的自衛権の件を利用しようとしています。
 その最たる材料が、この前も特集しました宏池会でしょう。
 いわゆるハト派の急先鋒と思われている宏池会の、特にその会長の岸田文雄さんがいまの外務大臣ですから、ますます閣内不一致があるんじゃないかという思わせぶりな記事を書いて安倍政権を揺さぶらせようという意図です。
 しかし異論があるのはどんな集団だって当たり前の話で、異論があるからこそ議論があるのであって、ましてマスコミは、その異論は実はもっと詳しく見れば違う議論をすべきところのお話のハズなのに、強引に「安倍総理の方針に異論がある」という表面上のコトだけをもって攻撃しようとしている卑怯な論法を使っていたりします。
 今回はその「実はもっと詳しく見れば違う議論が必要」という部分を説明したいと思います。
 
 いま行われている集団的自衛権の問題は、大きく分けて4つの意見に分類するコトが出来ます。
 
(1)集団的自衛権は賛成だし、それは憲法解釈の変更で行える
(2)集団的自衛権は賛成だが、それは憲法解釈変更ではなく憲法改正で行うべき
(3)集団的自衛権は反対だが、憲法解釈だけで変更が行える
(4)集団的自衛権は反対だし、それを実現するためには憲法改正しかない

 
 この違い、分かるでしょうか。
 「集団的自衛権そのものへの是非」と、「集団的自衛権の行使についての権限は憲法解釈なのか、それとも憲法改正なのか」という問題は、これは全然別問題なワケですよ。
 前者は集団的自衛権に賛成なのか反対なのかという議論ですが、後者は今のままの憲法で可能なのかどうかという議論であって、この場合は主語が集団的自衛権でなくても成立する議論です。
 このふたつは全くバラバラで並立する考え方であり、(2)や(3)は一方は賛成だが一方は反対というスタンスになるワケなのですが、これはまったく矛盾しないんですね。
 しかしいまのマスコミというのは、(2)も(3)も(4)も全て「反対派」としてごちゃまぜにして「反安倍」という構図を作ろうとしています。
 こんなメチャクチャなお話はないワケですよ。
 
 安倍さんはおそらく(1)なのでしょう。
 というか、これも宏池会特集の時に言いましたが、いまの自民党所属議員さんの中には、集団的自衛権そのものに反対する人ってそんなに多くないハズなんですよね。
 安倍さんの世代(岸田・茂木・塩崎さんたちあたりの世代)より上になると、集団的自衛権そのものに反対する議員さんもいたのかもしれませんが、例えば河野洋平元衆議院議長とかですね、でもそういう人達はもう議員ではないワケで、それはまた別問題で考えなければなりません。
 なぜなら、議員の立場としての発言と、議員でない立場としての発言は別モノだからです。
 議員は国民の代表ですから決して自分一人の個人的意見での発言ではないワケですが、しかし引退などをして議員でなくなればもはや国民の代表ではないワケですから、そういう人達は責任から解放されて個人的意見をどんどん言えるようになるんですね。
 だから河野談話を発表した河野さんや、元宏池会会長の古賀誠さんや、元総理の小泉純一郎さんも、議員を離れてから、議員時代とは一線を画するような発言を、つまり個人的意見をどんどん言い始めているワケです。
 ルーピー鳩山なんてその最たるモノじゃないですか。
 この違いをキチンと線引きしなければなりません。
 そして時代が流れて今の世代としての国民の代表である国会議員の、その与党の議員の中の意見というモノは、集団的自衛権そのものに反対する人はかなり少数派であり、となければあとは手続き論だけが議論であるワケで、これはもう「集団的自衛権の議論」とは言いがたいとすら言えてしまうワケです。
 しかしいまのマスコミはここまでをもごっちゃにして「反安倍」というスローガンを掲げようとしていて、これは本当に卑怯だと言うしかないワケですね。
 正確には「集団的自衛権に反対する自民党議員」ではなく「手続きを重要視する自民党議員」という表現が正しいのであって、これは党内が割れるとか閣内不一致とかいう問題では一切ないワケです。
 
 さっきの分類で言えば、自民党内は(1)か(2)で意見が分かれるところなんだろうと思います。
 繰り返しますがこれは手続き論、憲法法律論なワケですよ。
 やえも、手続き論っていうモノは大切だと思っていますから、本来なら憲法改正によってこれは成されるべきだと思っていますので、(2)の意見だと言っても差し支えないぐらいです。
 これは河野談話などにも言えるコトなんですが、政府の公式見解っていうモノは特に法律などで明文化されて規定されているモノではないですから、逆に変更とかが難しいんですよね。
 なにをどうすれば変更となるのか、という部分がまったく不明瞭だからです。
 ですから、この(1)と(2)の問題の違いっていうのは大変難しい議論になるんだと思います。
 答えがない議論になってしまいますからね。
 ただ間違えてはいけないのが、少なくとも(2)を主張する人も、決して集団的自衛権の概念そのものを反対しているワケではないってコトです。
 
 だまされてはいけません。
 そもそも集団的自衛権の是非についての議論だって、これはあってしかるべき、議論するコト自体をけしからんと言ってしまうのは自由主義の否定になりますし、まして手続き論=憲法論は本来はもっともっと議論すべき問題のハズなんですよ。
 例えば「国家に軍隊はあって当然だが、憲法九条で武力の放棄が謳われているんだから自衛隊は違憲だ」と主張するコトは、間違いではないワケです。
 しかしこれをもって主張者を「軍隊否定論者だ」と言ってしまうのは、かなり悪質な印象操作と言わざるを得ません。
 だけどいまそれが行われようとしています。
 憲法論を語るだけで「反安倍だ」と大はしゃぎでレッテルを貼るマスコミ。
 ぜひ国民はそういう印象操作に騙されないように注意したいところです。
 
 そしてこの集団的自衛権の問題、憲法問題そのものでもありますから、集団的自衛権そのものへの考え方と、憲法問題しての考え方と、切り分けた上で自分はどう判断すべきだと思うのか、考えてもらいたいと思います。