参議院の議員構成は国民の意思によるモノ

 現在絶賛参議院議員選挙中ですが、ある報道バラエティ番組で「参議院でねじれがなくなったら衆議院のカーボンコピーになる」なんてコトを言ってましたモノで、ちょっとひとこと言っておきたいと思います。
 
 参議院についてはやえも思うところがあります。
 上手くいかない理由を制度のせいだけにして、とにかく改革をすればいいなんてごっこでしかない安易な考え方には賛同できませんが、それでもやえも参議院については抜本的な改善は必要だと思っています。
 せっかくの二院制なのですから、ある程度の独自性はやっぱり必要かと思うからです。
 
 ただ二院制は「別の視点からの議論が必要」という必要性と、もうひとつ役割があると思っています。
 それは「セイフティーネット」です。
 例えば衆議院はいつ解散されるか分からないので、もし参議院がなければ一時期「国会議員ゼロ」という事態になりかねないので、そのセイフティーネットとしての参議院という意味合いがあります。
 それは、参議院は必ず半分ずつしか選挙しないという仕組みからもハッキリしているでしょう。
 衆参同時選挙になったとしても、参議院の半分は現職のままですから、この場合ですら「国会議員ゼロ」というコトにはならないようになっているワケです。
 さらに言うなら、憲法規定で「参議院だけで可決した法律は、後から衆議院でも議決しなければならない」と定められていますしね。
 ここからも、参議院はセイフティーネットの役割を負っているコトが見て取れるワケです。
 
 そしてもうひとつ、やえは参議院に課せられたセイフティーネットの役割があると思っています。
 よく「ねじれ、ねじれ」と言いますが、しかしそのねじれを作ったのは決して政治家や政党なのではなく、国民自身の意志によるモノです。
 参議院選挙によって、もしくは去年の暮れの衆議院選挙によって、国民がそのようなねじれる結果への選択をしたからこそ、いま国会はねじれているのです。
 ここを忘れてはいけません。
 決してねじれは、天から降って沸いてきたモノではなく、国会議員が作り出したモノではなく、国民の意思によって、国民の選択によって作り出されている現象なのです。
 
 これがセイフティーネットなんだと思うのです。
 つまり、衆議院というのは多数をとればイコールで政府を司るコトになりますから、もし議院内閣制のまま一院制にしてしまえば、文字通りブレーキがかからない状態になってしまいかねません。
 しかし参議院があれば、選挙自体は衆議院の4年よりは短い3年ごとですし、衆参同時選挙というのは珍しいケースですから、基本的には新政権発足の後参議院選挙がやってくるワケで、衆議院多数=政府の評価への選択として参議院選挙を行うコトができるワケです。
 そしてそこで国民がNOと言えばねじれとなり、ある程度のブレーキを国民の手で踏めるワケですよね。
 これが参議院の大きな役割のひとつであるハズなのです。
 
 民主党政権前の自民党政権、第一次安倍政権の時でしたね、その参議院選挙では国民の意思によって自民党は敗北し、ねじれ国会となりました。
 やえはこの国民の判断は間違っているといまでも思っていますが、しかし国民の意思によって自民党政権にブレーキを掛け、結果的に民主党政権を国民の手で作ったのですから、「国民の意思」という意味では参議院の存在はたいへん有効に働いたと言えるワケです。
 民主党政権に対してもそうですよね。
 鳩山政権が誕生した際は参議院でも民主・社民・国民で与党が多数を取っていたワケで、ねじれ国会ではありませんでした。
 でも日を追うごとに、その民主党鳩山政権はデタラメだと国民にバレてきて、とは言ってもキチンと見ていれば民主党も鳩山総理もデタラメなのは最初から簡単に分かるコトでしたが、まぁそれはともかく、だから国民は参議院というセイフティーネットを使って民主党政権にブレーキをかけたのです。
 そして民主党の暴走をある程度止めるコトができ、今に至っているワケですね。
 結果論としての正しかったのか間違っていたのかはともかく、どちらも国民自身の意志によって、参議院というブレーキを使った例と言えるのです。
 
 そしていま、この参議院選挙は、そのブレーキを解くかどうかの選択の選挙だと言えるでしょう。
 国民が、それでも政権与党にブレーキが必要だと判断すれば、参議院は野党多数となり、ねじれ国会が続きます。
 しかし自民党政権に任せられると国民が判断するなら、ねじれが解消され、スピード感を持って国会が運営されるようになるでしょう。
 
 こういう観点からも、やえは参議院は必要で、二院制にしておく必要があると思っています。
 特に議院内閣制ならなおさらです。
 大統領制は議会と行政が別の選挙で決められますが、議院内閣制は議会選挙が行政を決めるコトに直結していますから、その分もセイフティーネットは必要なのです。
 なによりそれは国民の意思で決められるってコトを忘れてはいけません。
 「ねじれるから」とか「カーボンコピーになるから」という国民不在の理由だけで決められるモノではありません。 
 ねじれさせるのも、カーボンコピーにさせるのも、国民の意思で決められるのです。
 そしてなにより、国民の選択も時に間違える可能性があるというコトも認識しておかなければなりません。
 そういう意味でもセイフティーネットは非常に大切なのです。
 
 より良い制度を作ろうと思うコトは必要ですが、その根底には「国民の意思によって国会の構成は決まる」という基本中の基本、前提中の前提は忘れてはならないでしょう。