妥協して選ぶのがイヤなら自分で立候補しなさい
選挙のたびに言っているコトシリーズ第3弾です。
よくこういうコトを言う人がいます。
「既存政党も立候補者も自分の考えと一致する人がいないから投票しない」
「誰がなっても同じだから投票しない」
ヘタをすれば、選挙期間中もっとも多く聞かれる声かもしれません。
しかしこういうコトを言う人は、ひとつ大切なコトを忘れています。
それは、年齢さえクリアすれば立候補する権利を誰でも有しているというコトです。
権利を有しているというコトは、選択肢があるってコトです。
つまり、もし既存政党や政治家がどうしてもイヤだっていうなら、自分で立候補すればいいのです。
まず選挙を前にして全ての有権者は、2つの選択肢の中から1つを選びます。
「自ら立候補する」か「立候補しないか」です。
多くの人はここまで意識していないでしょうけど、しかしこれは現実問題全ての有権者は選択しているんですね。
誰でも日本国民であれば選挙に立候補できるっていうコトは義務教育を受ければ誰でも知っているコトですし、無意識であったとしてもそれは言い訳にならず、誰でもこの選択をしているのです。
そしてそれを選択しなかったというコトは、イコールで「積極的に立候補権を行使しなかった」というコトになるのです。
立候補権を行使しなかった、つまり立候補権を放棄したのですから、ではあと国民としてやるべきコトは、妥協してでも立候補した人の中から選ぶ、という行為です。
まぁ普通の投票行動なワケですが、ただ忘れてはならないのは、「妥協」という行為は絶対に必要だというコトです。
世の中、自分の考えと全く同じの人、100%同じな人なんて存在しません。
そういう中で政治を他人に託す以上は、必ずどこかで妥協が必要です。
だからそもそも「他人を選ぶ」という時点で妥協しなきゃならないワケで、ましてその上で有権者に与えられている権利として立候補というモノがある中でそれを行使しなかったのですから、ここまできて妥協したくないと言ってしまうのはあり得ない選択肢だと言うしかありません。
つまり逆に言えば、「妥協したくなければ立候補しなさい」ってコトです。
簡単なお話ですよね。
「自分の考えと100%合致する人がいないから投票したくない」ってコトは、「自分の考えと100%合致する人なら投票する」ってコトであり、よって「自分が立候補すれば自分の考えと合致する政策を訴えられる」ってコトなのですから。
もしここで、色々と屁理屈をこねて立候補なんて出来るワケがないとか言う人は、それは民主主義政治に対する当事者意識が希薄なだけとしか言いようがありません。
民主主義政治においては、立候補するコトも自分の身近な問題です。
国民の全ては政治の当事者なのです。
妥協したくないなら自分で立候補する。
立候補が出来ないなら妥協する。
ごくごく当たり前のお話なのです。
「投票する人がいないから投票しない」と言っている人は、立候補したくないし妥協もしたくないと言っているワケで、これはつまり「自分からは何もしないけど、自分が納得するモノを他人が自分の目の前に持ってきて披露しろ」と言っているワケです。
すごい我が侭ですよね。
何様ですかと言いたくなります。
民主主義とは国民ひとりひとりが自らの意志によって能動的に政治を動かす制度です。
王政などは一部の人間だけが政治を動かしていたワケですが、民主主義はそれとは違い、全ての国民が政治の主役なのです。
ここを忘れてはいけません。
「誰かがやってくれるだろう」とは思ってはいけませんし、まして「自分が主役なら他人がお膳立てしてくれて当然だ」と思うなんて以ての外です。
その他人も全て自分と同じく主役なのですからね。
だから自分で決めるのです。
妥協したくなければ自分で立候補するという選択肢を自分で決める。
立候補しないという選択肢を自分で決めるのであれば妥協する。
この選択を自らの意志によって決めてこそ、有権者の責任と言えるのです。
ディスカッション
コメント一覧
仰る事は尤もであろう。そういう風に言うならば百歩譲って白紙投票、それもしないなら政治を語る資格はない、という自分の持論にも合致した代物である。
しかし、余りにも理想論ではないだろうか?
確かに、「妥協や既存の政治家が気に入らないならば自分が立候補せよ」という論は被選挙権の本質であり、デモクラシーを支える大元である。
だが、現実は厳しい。政治用語たる「ジバン・カンバン・カバン」はそれを風刺したものであり、特に一市民に過ぎない自分に至っては始めから同じ土俵では戦えないのが現実である。
どんなに素晴らしい政策や私見があったところで既存の政治家の資金力や知名度には勝てない事はこれまでの選挙がいみじくも証明している。いくら被選挙権だこうだと言ったところで、所詮は原理であり、わざわざ負け戦に臨む程国民も愚かではないのである。
まあ、選挙権を放棄してもインタビューでは大騒ぎする輩には自分としても不快な訳だが、いずれにせよ、国民はこの時点で被選挙権はあるようでないような、宙に浮いた存在と化しているのである。
残念ながら、之が日本の現状。やえさんの仰る民主原理主義は結構だが、それならどうすればより原理的に近づけるかを論ずるべきでは?自助努力で何とかせよでは無責任たる事は、やえさんご自身がよく知っている筈である。
「勝負は次の衆院選」―安倍政権、長くない
=小沢一郎生活の党代表インタビュー=
http://www.jiji.com/jc/v?p=politician-interview_ozawa_ichiro-01&rel=&g=phl
ある程度、思想や政策が合致している人してそうな人(現実的には政党で投票が多いでしょうけど)を選ぶしかないんですけど、
政治知識が少ないほどそういう事言い出す人多いですよね。
メディアの言うがままに洗脳されてるというか。
妥協して選択するしか方法がないんですが、文句いっても事態は変わらないという現実を認識して欲しいものです。
供託金や実際に当選まで目指すとすると一般人には到底用意できない大金が必要になりますけどね。
仮に立候補しても政党公認がない無所属なら色物候補者程度の票数しか見込めないでしょうし。
立候補する権利はあれども、実際には立候補する事すら難しいのも現実。
とはいえ立候補が1箇所で数百人とかになっても困るし、調べる方も嫌ですけどw