政治家の真意をキチンと汲み取りましょう

2013年4月1日

 国民はもっと賢くなるべきだ、と言うと反発する人もいるかもしれませんが、特に外交問題に関しては相手のいるコトですから、大臣や政治家の言葉をよく噛みしめて、その奥にある真意というモノを国民の方から汲み取るべきです。
 例えば日本の総理や外務大臣が直接中国や韓国に対して「あんな馬鹿な国に一々付き合ってられるか」なんて言ってしまうのは、これは完全に不適格でしょう。
 なぜなら、それは相手と同じレベルになるからです。
 最近のネット上の勇ましい言説の中には、中韓は敵意むき出しなのだから日本もそれ相応に対応すべきだ、ハッキリと言うべきだ、いや国交断絶してしまえなんてモノが少なくないワケですが、やえはそういう人達に言いたいです。
 日本を中国や韓国と同じレベルにしたいんですか?と。
 外国に対して敵意むき出しでギャーギャー言うのは二流国三流国のやるコトです。
 もちろん反論せずひたすら耐えろという意味ではありませんが、それは民主党政権が散々やったコトですが、そうではなくて同じレベルでギャーギャー言うのは明らかに日本の品位を下げるコトにしかならず、やえはそれこそ国益を損なう行為と断じざるを得ないのです。
 勇ましいコトさえ言えば愛国だ保守だと勘違いしている人は、日本とは本来どういう国柄なのかというコトを考え直して欲しいと思います。
 
 例えばいま安倍総理や岸田外務大臣は、中韓に対してはこのような表現を用いています
 

 「われわれは中国側との対話のドアは常にオープンにしている。王毅外相とも、粘り強く意思疎通を図っていく用意がある」

 
 一部ではこれに対して「土下座外交だ」と勇ましいコトを言っている人もいるようですが、もうちょっと日本語の深みと言いましょうか、直接的表層的な部分ではない真意を読み取ってほしいところです。
 「ドアはオープンにしている」ですよ。
 「用意がある」ですよ。
 つまりこれは、「向こうから対話を望むのであれば拒否しない」という程度の意味であり、さらに言えば「こちらからへりくだって対話を求めに行こうとはしていない」という意味です。
 もし日本から対話を求めるのであれば、「われわれは中国側に積極的に対話を求めていく。王毅外相とも、粘り強く意思疎通のための交渉を積極的に進めていく」ぐらいの表現になるでしょう。
 この日本語の微妙な違いを日本人は理解しなければなりません。
 岸田外務大臣の表現は、ひとつとして日本側から動くニュアンスがありません。
 全て受動的です。
 「向こうが求めてくるなら対話には応じるし、対話に応じれば意思疎通のための努力は惜しまないコトにしている」と言ってるだけです。
 特に最後の「用意がある」というのも、日本語の微妙で奥深い表現ですよね。
 この一言でさらに「粘り強く意思疎通をする準備だけは整えていますよ」と強調するコトで「向こうから動いてくるのが前提だ」というコトを改めて表現しているワケです。
 果たしてこれのどこが「土下座外交」なのでしょうか。
 むしろ土下座とは極地にある表現でしょう。
 
 そもそもそんなのは安倍内閣発足からの外遊状況を見れば簡単に分かるコトです。
 安倍総理も麻生副総理も岸田外務大臣も、最初の外遊先は東南アジアでした。
 中国や韓国なんて目にくれず、むしろ中国とは利害関係や領土問題を抱える東南アジアに真っ先に、しかも総理副総理外務大臣揃って東南アジアに出かけたのです。
 これ以上のメッセージなんてないじゃないですか。
 麻生副総理は韓国大統領の就任式に出席しましたが、これは就任式という儀礼的な意味合いがほとんどであり、今日まで、とにかくチャンネルを繋ぐコトが一番の仕事の外務大臣すら中韓には行っていません。
 韓国大統領の新任がなければおそらく副総理も韓国には行っていませんでしたでしょうし、安倍内閣の中韓に対する態度は分かりやすすぎるぐらい分かりやすいと言えるでしょう。
 
 その上で「ドアはオープンにしてますよ」という岸田外務大臣の100%受身の表現です。
 こんなのは「そっちからセットすれば対話はするけど、こっちからはセットしないよ」っていう意味としか日本語的には捉えられないでしょう。
 むしろこれを土下座とはどういう思考回路で導き出された結論なのか、やえにはさっぱり理解出来ません。
 
 相手のあるコトですし、品位の問題にも関わりますから、直接的な表現は控えるべきですが、その上でのメッセージは十分に発信しています。
 愛国だ憂国だと勇ましいコトを言っても、その言論は日本の足を引っぱっているコトにしかなっていません。
 国民は主権者としてシッカリと考えて貰いたいと思います。