『はだしのゲン』閉架問題について

 『はだしのゲン』閉架問題について、広島出身者としてひとこと語っておこうと思います。
 問題の発端はこちらの記事に出ているとおりです。
 

 はだしのゲン「閉架」に / 松江市教委「表現に疑問」
 
 松江市教育委員会が、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことが16日、分かった。
 市教委によると、首をはねたり、女性を乱暴したりする場面があることから、昨年12月に学校側に口頭で要請。これを受け、各学校は閲覧に教員の許可が必要として、貸し出しは禁止する措置を取った。
 市教委の古川康徳副教育長は「作品自体は高い価値があると思う。ただ発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある」と話している。

 
 大変に腹立たしいのは、これ逆を返せば、「子供がはだしのゲンを読んだら発達段階で問題を生じる可能性がある」と言っているに等しいというコトです。
 たぶん広島で生まれて義務教育を広島で受けた子供ではだしのゲンを読んだコトがないという子供はいないと思うのですが、つまり「広島の子供の一定数の中には発達異常児がいる」と松江市教育委員会は言っているワケなんですよね。
 これほどの侮辱があるでしょうか。
 むしろこれはもう人権侵害であり差別そのものですよね。
 このマンガは知名度も高く長年多くの人に読まれ続けられた名作漫画であり、これによって何か実際に発達段階における不具合が実証されたのであれば別ですが、そうでなくただの思いつきでこのような発言をしたのであれば、それこそ「科学に基づかない思い込みによる差別」そのものであり、それは放射能などに対する無知から来る差別と全く構図は同じであって、はだしのゲンのテーマのひとつそのものの問題だと言えるでしょう。
 科学的見地によってはだしのゲンを読むと発達段階に問題があると証明されたのですか?
 そうでないのなら、松江市教育委員会は現在進行形で差別を行っているというコトを自覚してほしいところです。
 
 『はだしのゲン』については、内容的にはいろいろと議論があるマンガでもあります。
 これは原作者の故中沢啓治先生もおっしゃっているコトなのですが、基本的には中沢先生が実際の体験したコトや感じていたコトを基にして描かれた漫画ですので、多少事実と異なる部分がありますので、そこも評価の分かれる部分です。
 事実誤認で有名なのは、さもアインシュタインが原爆実験の場に立ち会ったかのような表現がある部分でしょうか。
 実際には原爆の(理論はともかく)開発すらアインシュタインは関わっていないハズです。
 また日本軍が外国で虐殺や暴行を繰り返していたかのような描写もちょくちょく見られ、それは中沢先生がそのように思い混んでいたからだろうとは思うのですが、しかしそれと事実とはやっぱり違うワケで、ここもやはり事実は事実としてキチンと検証された上で描かれたモノではないワケです。
 
 この辺から一部では「反日マンガ」なんて呼ばれているようですが、でもやえはそれはちょっと違うと思うんですね。
 中沢先生が確信犯として強烈な反日思想を広めるために描いた漫画とは到底思えないからです。
 キチンと最初から最後までシッカリと読めば分かると思うのですが、このマンガのテーマは「原爆によって日常をメチャクチャにされた人達の日常」です。
 反日とかではなく、さらに言えば反戦というのも付属的な意味合いしか持たず、徹底して主題として書き続けられているのは「原爆」であり、もっと言えば「原爆によって変えられた人々の『生活』」がこのマンガの中心なのです。
 ですから「反核」さえ、マンガの主題からは付属的だと言えるでしょう。
 なぜなら、原爆によって日常をメチャクチャにされた人は当然として原爆を恨みますから、その人達の日常を描けば自然として当然として反核の感情が浮かび上がってくるからです。
 結局日常以外の描写っていうのは、あくまでその日常を彩るオマケでしかないのです。
 日常を描けば自然と反核の考え方が出てくるし、反戦の感情も出てくるっていうコトなのです。
 
 こう考えると、『はだしのゲン』をどう取り扱うのかっていうモノが見えてくる気がします。
 一時期広島ではだしのゲンを学校で副教材にするとかいう問題が上がったコトがあるのですが、やえはそれには反対です。
 っと、調べてみると、これ正式に副教材になってるんですね。
 やえはこれには反対です。
 なぜなら、さっき言いましたように、決してはだしのゲンは事実に基づいて描かれている漫画ではないからです。
 あくまで中沢先生という一個人が見た風景や思想を書き写したモノでしかなく、それを市井で一作品として発表するコトは問題ありませんが、さも「これが事実ですよ」と受け止められかねない教育の場での正式な教材として取り扱うのは適切ではないでしょう。
 よってこれを教育の場でどう考えるか、この作品とどう向き合うのかっていう部分を考えるのであれば、やはり、この漫画のそういう背景をキチンと知った上で、子ども達にどう「考えさせるのか」っていうコトなのではないのでしょうか。
 「現実に広島や長崎では、このような爆弾が使用され、多くの人が殺されて、生活をメチャクチャされました。この漫画はそれを実際に体験したある一人の人が描いた漫画です。ただしこの人は歴史家でも研究科でもありませんからその人が思い混んでいるモノの中にも事実でないモノもあります。アナタ達はその上で、何が事実で何が事実でないのかを知り、この漫画をどう捉えるのかを考えながら、この「現実」を読んで欲しいと思います」
 やえが小学校や中学校の教師であれば、こんな風に紹介するでしょう。
 何が事実で何が事実でないのか、それを調べるコトも大切な教育のハズです。
 
 一番間違っているのは、その「現実」から目を逸らすコトだと思います。