表現規制問題と実例

 『はだしのゲン』閉架問題について考えたとき、これのどこに一番違和感を感じるのかと言えば、「これまで『はだしのゲン』が多くの子ども達に読まれてきていたのにそれを規制した」という部分です。
 松江市教育委員会がなぜ『はだしのゲン』を規制したのかと言えば、それは「子ども達に悪影響がある」と判断したからでしょう。
 たぶんここは間違いないと思います。
 言わば、「子ども達のため」に規制したワケですね。
 よっておそらく松江市教育委員会は本気で子ども達のためを思っての行動なんだろうと思いますが、ただこの件での一番の問題は、その「子ども達のためを思って」が熟慮に熟慮を重ねた深慮なのが、それとも思いつきに近い浅はかな考えでしかなかったのか、普通に考えれば後者としか考えられない点にあるのです。
 
 なぜかと言えば、ほかの表現問題ならいざしらず、こと『はだしのゲン』に関しては、すでに多くの実証例があるからです。
 広島におきましてはおそらく小学生なら『ゲン』を読んだコトが無い子供はいないと思いますし、広島に限らず『ゲン』を子供の頃に読んだと記憶している人は日本中で少なくないでしょう。
 やえやあまおちさんもそのひとりです。
 原爆資料館も何度も行きましたし、被曝者の方から直接お話を伺ったコトもありますし、『ゲン』なんて一回だけ読んだってだけでなく、もう何度も何度も読み返しています。
 広島ってそういう土地なワケですが、これだけ多くの人が子供の時に『ゲン』を読んで育っているのです。
 現在進行形でも『はだしのゲン』は読まれているのです。
 果たしていったい今まで何か問題があったのか、『ゲン』を実際に読んできた子ども達の中からそれが直接の原因となって何か問題が起きたのか、やえは寡聞にしてそういうコトがあったなんて聞いたコトがありません。
 そう、今まではなんら問題は無かったのです。
 
 そうした中で、どういう理由で「発達段階で問題がある」と判断したのでしょうか。
 その判断した根拠は何なのでしょうか。
 ここがまったく分からないのです。
 
 逆に考えれば、これだけの実証例がある表現規制の問題なのですから、もし本当に発達段階で問題があるというのであれば、キチンと科学的にデータなりサンプルを提示するコトができるハズです。
 決して表現規制の問題は、言葉遊びではないですよね。
 もっと真面目な、最初に言いましたように「子ども達のためを思えばこそ」という、教育の問題であるハズです。
 ですからそこを考えるのであれば、思い込みや想像だけで判断するのではなく、科学的な論拠をもって規制を考えなければならないハズなのです。
 松江市教育委員会は、それを行っているのですか?
 
 まず松江市教育委員会は、「なぜ規制しなければならないのか」という理由の部分を説明しなければなりません。
 それを行っていない現在では、「ぼくが問題ありと思ったんだから問題ありなんだ」という、子供以下の我が儘を言っているだけにしかなりません。
 しかもその我が侭が、公権力として強制力を持つのですから、こんなデタラメはないでしょう。
 
 例えば広島市がなんらかのデータや実感でもって『はだしのゲン』に規制を加えるっていうのでしたら、まだ説得力があります。
 おそらく『ゲン』を読んでいるサンプル数は日本一でしょうからね。
 でもそうではなく、なんで松江市なんでしょうか。
 まして広島県知事広島市長も、この措置には反対しています。
 なんで松江市がどのような理屈でいきなり『ゲン』の規制をしようとしているのですか?
 広島市に行ってサンプル調査なりの最低限の調査はしたのですか?
 もしそんなすぐできるコトすらせずに今回の措置を行ったのであれば、それは単なる思いつきでしかなく、なにより「広島で育った子供は発達段階で問題を起こしている人間」だと松江市が公的に宣言していると捉えるしかありません。
 松江市は差別組織だと断じるしか他ないのです。