原子力はあくまで道具

 小泉純一郎元総理が原子力発電について「即時ゼロ」を打ち出したとして話題になっています。
 

 小泉元首相の会見要旨 原発推進の方が無責任
 
 小泉純一郎元首相が十二日に行った日本記者クラブでの会見の要旨は次の通り。 
 【政治が原発ゼロ方針を】
 新聞に「小泉原発ゼロ発言を批判する」という社説があった。代案を出さずにゼロ発言をするのは、無責任で楽観的すぎるとの批判だ。
 原発問題は広くて大きくて深い。国会議員だけで答えは出せない。まして私一人で代案を出すのは不可能だ。政治で一番大事なことは方針を示すこと。原発ゼロの方針を出せば、良い案をつくってくれる。
 原発ゼロに賛同する官僚、識者も含めて、何年かけてゼロにするのか、再生可能エネルギーをどう促進するか、原発地域の発展や従事者の雇用問題という広範囲な問題が残る。専門家の知恵を借り、その結論を尊重して進めるべきだ。
 原発をゼロにすれば、火力発電やさまざまな電源、この調節のために電気料金が上がり、二酸化炭素排出量が多くなるという批判がある。しかし、数年以内に燃料電池車は実用化され、設置費が高くても発光ダイオード(LED)を使う家庭も(増えた)。日本の国民と企業は環境に協力的だ。
 
 【最終処分場問題】
 原発推進論者は「核廃棄物の最終処分法は技術的に決着している。問題は、処分場が見つからないことだ」と言う。そこは私と一緒だ。だが、ここから(先が)違う。
 必要論者(の主張)は「処分場のメドをつけるのが政治の責任ではないか。つけないのがいけない」と言う。私はこれからの日本で、核のごみの最終処分場のメドをつけられると思う方が楽観的だと思う。技術的には決着していても、一つも見つけることができない。東京電力福島第一原発事故の後でも、政治の責任で見つけられるという必要論者の主張の方が無責任だ。
 フィンランドのオンカロ処分場に行った。世界で唯一の最終処分場で、島の地下四百メートルに縦横二キロメートルの広場をつくり、廃棄物を埋め込む。ここも原発二基分しか容量がない。フィンランドは四基の原発があり、二基分は住民の反対で場所が決まっていない。しかも、オンカロの建設は、国会でいかなる国の廃棄物も受け入れないという前提でまとまった。
 日本は四百メートルも掘れば温泉が出てくる。日本は五十四基。四基は廃炉が決まり、福島第一原発5、6号機も廃炉だろうが、最終処分場をどれだけつくらなければいけないのか。

 
 ちょっと長めに引用させていただきましたが、これどうなんでしょうかね。
 ものすごく簡単に要約すると、「最終処分場の問題が決着つかないから、専門家を集めて協議すればいい知恵が出るだろうから、即時ゼロだ」と言っているワケですよね。
 んん?
 それってやっぱりちょっと無責任な発言なんじゃないでしょうか?
 
 まずですね、この問題に関してやえはひとつ言っておきたいコトがあります。
 それは、「○○派」という言葉を使うのはやめた方がいい、というコトです。
 これ、もはやレッテルですよ。
 いつもやえは言ってますが、原発なんていうモノはあくまで道具であって手段であって、決して目的ではないワケですから、その目的のために必要なら当然必要な手段として使いますし、それ以外の手段で目的が達せられればその手段はいらなくなるワケで、それは原発も同じなんですよね。
 すごい極端なコトを言えば、電気に変わる全く新しいエネルギーが確立すれば、それは原発に限らず、火力だって水力だって風力だって地熱だって、発電施設そのものが不要になるのは当然の摂理でしょう。
 ですから、もし電気に変わる新しいエネルギーを模索するべきだ“派”がいたとしたら、その人たちから見れば電気に固執している人たちは、「旧守派」とか「利権派」とか言えてしまうのかもしれません。
 でもそんなの、ただのレッテルの張り合いじゃないですか。
 その上で原発問題というモノは考えるべきで、ですから「不要だと判断できれば原発はゼロにする」っていう考え方を否定する人っていないと思うんですよ。
 しかしこれは、何派ですか?
 将来的にゼロにすべきと言ってるから撤廃派なのか、それとも今は必要だと言うから推進派と言うのか、こんなコトに論争のエネルギーを使ってもしょうがないでしょう。
 ただのレッテルの張り合いにしかならないと思います。
 
 で、ですが、この「レッテルを貼らない」というコトと、「原発はあくまで手段だ」というコトを忘れず念頭に置いて議論するのであれば、小泉さんの論はちょっと一段飛ばしな気がしてなりません。
 小泉さんの「即時ゼロ」の一番のキッカケであり理由は最終処分場の問題です。
 この部分をもう一度引用しましょう。
 

 原発推進論者は「核廃棄物の最終処分法は技術的に決着している。問題は、処分場が見つからないことだ」と言う。そこは私と一緒だ。だが、ここから(先が)違う。
 必要論者(の主張)は「処分場のメドをつけるのが政治の責任ではないか。つけないのがいけない」と言う。私はこれからの日本で、核のごみの最終処分場のメドをつけられると思う方が楽観的だと思う。技術的には決着していても、一つも見つけることができない。東京電力福島第一原発事故の後でも、政治の責任で見つけられるという必要論者の主張の方が無責任だ。
 フィンランドのオンカロ処分場に行った。世界で唯一の最終処分場で、島の地下四百メートルに縦横二キロメートルの広場をつくり、廃棄物を埋め込む。ここも原発二基分しか容量がない。フィンランドは四基の原発があり、二基分は住民の反対で場所が決まっていない。しかも、オンカロの建設は、国会でいかなる国の廃棄物も受け入れないという前提でまとまった。
 日本は四百メートルも掘れば温泉が出てくる。日本は五十四基。四基は廃炉が決まり、福島第一原発5、6号機も廃炉だろうが、最終処分場をどれだけつくらなければいけないのか。

 
 小泉さんの主張としては、「最終処分法は技術的に決着している」と、技術論としては最終処分は出来ると認めつつもしかし場所が見つからないからダメだ、という論なワケですよね。
 ちょっとこれ飛びすぎじゃないです?
 例えばこれ、米軍基地の移転先が見つからないから米軍は全て国外に退去してもらおう、と言っているのと変わらないのではないのでしょうか。
 つまりこの論法というのは、「今は決着がつかないからその全てを否定する」という、かなり強引な論法だと言わざるを得ません。
 この論法で言い出したら、「自動車事故がゼロにならないから自動車は全て撤廃しよう」とか、そういう論法も認めなければならなくなるんですよ、ホントは。
 でも誰もこんなコトは言いません。
 なぜならそれは、この論法が飛びすぎのムチャクチャな論法であり現実的ではないと、みな分かっているからです。
 ひとつがダメだから全部まとめてダメにしようと言ってしまうのは、強引すぎる論法だと分かっているからです。
 でもなぜか原発問題だけは、これが通ってしまっているんですね。
 これはひとつ冷静に考えるべきところでしょう。
 
 例えば、風力発電や太陽光発電などは天候に大きく左右されますから、日によって電力が足りなくなるコトもあるでしょう。
 しかしその場合、梅雨時に数日間雨が降り続きとっても蒸し暑いときに、そのせいで電力が足りなくなりましたってなっても、それでも我慢しろっていうのでしょうか。
 またドイツなんかでは原発を廃止してクリーンエネルギーに切り替えるという政策を実行しているようですが、そのせいで電気料金がうなぎ登りに上がっているという実情があるようですが、これも許容するのでしょうか。
 つまり、時に電力が足りなくなり大規模停電に陥る可能性がありつつも電気料金はいまよりも全然高くなる、風力や太陽光に頼る電力政策を実行していけばこんな未来が待ち受けているのですが、それを国民は許容するっていうのでしょうか。
 
 それでもその方が良いと言うのなら、それはそれでひとつの選択肢でしょう。
 ただし、もちろんこの場合、絶対に他人の責任してはいけませんよ。
 政治のせいでも役人のせいでも電力会社のせいでもありません。
 国民が自分自身の手によって決めたのであれば、どこまでもそれは自分たちの国民自身の責任として背負わなければなりません。
 また、一般生活だけで見れば一時的な停電も我慢できるのかもしれませんが、経済活動はそうはいきません。
 不安定な電気供給しかできないせいで経済が停滞し国力が落ちたとしても、それもやっぱり国民の責任です。
 本当にこれらを許容できるのでしょうか。
 
 道具ですから、これら全てクリアできる技術が確立すれば、それは原発にとってかわって変わればいいと思います。
 でも現状は無理ですよね。
 ですから、何年か何十年か先の未来にこれを目指していくっていうのは正しいあり方だと思いますが、いますぐゼロっていうのは、不便を押しつけてまでやるのかっていうコトとセットで考えなければならない問題です。
 もしそういう不便を説明せずに、ただただゼロだゼロだというのは無責任でしょう。
 負の部分を隠してプラスのところだけで選択を迫ろうとするやり方というのは詐欺師のやり方です。
 小泉元総理がどこまで考えてやっているのか、正直この要旨だけ見ると単に「最終処分場が決まらないからダメだ」と現実を全く見てない、結果ありきだけでしゃべっているようにしか見えません。
 しかし原発はあくまで道具です。
 結果かまず先にあるのではなく、その道具をどう使うとどのような結果か見えてくるのか、その積み重ねによって結論を考えなければならないのです。
 こういう視点で語ってない以上は、無責任だと言われても仕方ないのではないでしょうか。
 
 
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