国益を失う報道をどう考えるか

 ちょっとこちらの記事をご覧下さい。
 

 首相とロシア下院議長との会談「全く決まっていない」と外相 6月来日
 
 岸田文雄外相は23日の記者会見で、6月に来日するロシアのナルイシキン下院議長との会談に安倍晋三首相ら政府要人が応じるかどうかについて「全く決まっていない。さまざまな要素を総合的に判断しなければならない」と述べた。欧米がウクライナ情勢を背景にナルイシキン氏を制裁対象としている現状を念頭に置いた発言。
 ナルイシキン氏への対応に関し「誤ったメッセージを発しないよう注意しなければならない」と指摘し、欧米が懸念を抱かないよう慎重に検討する考えを示した。

 
 いまロシアが主に西側諸国からきびしい目を向けられている中において、安倍内閣になってからロシアとの距離がかなり近くなった日本にとって、今後その距離感をどうするのかっていうのは、日本にとって国益を左右するコトになり、そして世界にとっては大きな関心事になっています。
 前も紹介しましたように、鼻息の荒いアメリカをよそに、日本は飄々と制裁にならない内容の制裁を発表してロシアとの距離感を保ちつつ、西側諸国への配慮を見せるという絶妙のバランスの外交を見せました。
 またこれはロシアも日本を大切にしているという現れであり、ロシアの記者会見などを見ると、日本への配慮もチラホラと窺えたりします。
 特にもはや現代においてはアメリカと言えども一国のみで世界を相手にできないなのですから、日本はアメリカなどの西側諸国へのある程度の配慮は必要である一方、当然ロシアも敵は少ない方がいいですし、味方は多い方がいいに決まっているワケで、日本はまさにいまそんな絶妙なバランスを保つコトによってロシアに大きな貸しを作っている状態と言えるワケです。
 
 そういうギリギリのバランスの中でこのマスコミの質問ですよ。
 つまり、「報道の自由」とか「政治はオープンにすべきだ」という原則をとるのか、それとも「真の国益」をとるのか、どちらなのかっていう問題をこの記事は孕んでいます。
 「報道の自由」「政治はオープンにすべきだ」は、もしロシアの下院議長と安倍総理や岸田外相が会談するなら、それは全て公にして国民に知らせるべきだ、とする考え方です。
「報道しない自由」を公然と使う今の日本のマスコミに言われたくはありませんが、ただ民主主義政治における政治の行動はその主権者たる国民に知らせるべきだという原則は理解出来る考え方です。
 しかし一方、この場合そうするコトによって欧米から余計な疑念を疑われかねず、そのせいで下院議長との会談が流れたとすれば、これは大きな国益の損失と言わざるを得ません。
 別にロシアの下院議長と会談するだけでロシア側に完全に付くってお話ではないのですから、ロシアとの関係も重視したい日本にとって、このタイミングだからこそ恩を売れる機会をみすみす逃すのは決して国益のためにはならないでしょう。
 ではそのために政治的な行為を国民から完全に秘密にすべきなのか、国民主権たる民主主義として正しい行為なのか、ちょっと考えざるを得ない問題ではないでしょうか。
 
 おそらく安倍総理も岸田外相も、ロシアの下院議長と会談したいという思いは持っているでしょう。
 でなければ、会談出来る可能性がなければロシアの下院議長という要職にある人がわざわざ来日してこないでしょうし、もっと日本がアメリカなどの目を気にするのであれば、下院議長の来日自体を拒否していたのではないかと思われるからです。
 もちろん法的にはそれは無理ですが、下院議長ぐらいの要職の人であれば、日本が正式に「来ないでくれ」と言えばなかなか行けないモノです。
 そういう中で建前と本音を巧く使い分けながら日本はあらゆる国とのバランスをとって国益を確保しようとしているのに、わざわざ日本のマスコミが大声を上げて欧米が制裁対象にしているロシア下院議長が来日し日本にトップと会談するなんて宣伝するっていう行為は、果たしてどう考えるべきなのでしょうか。
 
 この辺、ある意味「密約問題」も近い構図かもしれません。
 結果的に国益になれば主権者たる国民は知る必要は無いとするのか、それとも国益を失うコトになっても全ての情報を国民は知るべきだとするのか、どう考えるべきなのでしょうか。