大臣の国会張り付きは国益を害す行為 -国会改革論-

 国会のシステムにおいていまもっとも問題とやえが思っている点は、国会の委員会などにおいて大臣が張り付きで出席して、ほぼ一日の時間を国会審議で費やしてしまうという点です。
 まぁ今回は、最近のくだらないあら探しなどの内容についてのお話は触れませんが、そうでなくてもですね、正直「この質問には大臣でならなくては」というほどの質問ってそう多くないんですよね。
 だって変なお話、橋本内閣で行った中央省庁大改革より前の時代、つまり副大臣制度ができる前までは、大臣が委員会に出席して答弁するっていうのはむしろマレだったんです。
 昔は基本的には政府の官僚が議員の質問に答えて、法案審議の最後の大詰めのところで大臣や総理が出席して総括質疑をするっていうのがパターンだったんです。
 もちろん時代もありますから、昔のパターンが必ず良かったと言うつもりはありませんが、しかし実際にいまの委員会質疑を見ても、「そんな内容は大臣じゃなくてもいいんじゃないですかね」っていう場面は多くあるワケです。
 
 また、大臣じゃなくてもいいっていう理由だけでなく、やっぱり行政のトップが職場以外で多くの時間を拘束されるのっていうのは、やっぱり「ムダ」なんじゃないでしょうか。
 国会答弁が本来業務ではないとまでは言いませんが、他にも重要な仕事があるっていうのは確かな事実ですよね。
 特に総理や外務大臣などは、特に外務大臣ですかね、外務大臣は外国とお付き合いするのがお仕事なんですから、国会中だろうがなんだろうが、積極的に外国を訪問してこそ国益に資するモノではないのでしょうか。
 それなのに国会中は外務大臣を国内にとどめておかせてずっと審議させるっていうのは、外務大臣という役職の意義からして矛盾しているとすら言えてしまうのではないかと思うのです。
 
 副大臣制度が出来た時、その意義は、国会は国会議員同士で議論すべきだ、というコトではじまりました。
 ですからその後、そういう制度の下で改革が行われたため、その後は官僚が答弁に出るコトの方が例外的になりました。
 しかし本来の副大臣制度発足の意味とは「大臣をむやみやたらに拘束するのは国益を失うので、そこを補填するための副大臣制度」なのですから、つまりは「国会議員同士の議論のため」という意味での副大臣制度発足なワケですから、そういう視点から見たら、いま副大臣すら滅多に答弁を行わないという現状というのは、最初の副大臣制度発足の精神からも逸脱していると言えてしまうのではないのでしょうか。
 国会議員同士の議論のための副大臣制度、という意味が失われているという以上に、ムダに大臣を束縛する制度に成り下がってしまっているとすら言えてしまうのです。
 
 副大臣は天皇から直接認証される認証官です。
 そういう意味では国会において政府を代表して答弁する資格を十分に有しているのです。
 予算や政府提出の法案は政府が国会にお願いして審議してもらっているという形ですから、総理をはじめとするトップが誠意を持って対応するというのは大前提にあるワケですが、しかしだからといって毎日毎日義務のように張り付かなければならないっていうのは、やっぱり極論ではないのでしょうか。
 ポイントポイントで総理や大臣が答弁するのは当然としても、それ以外は副大臣や、細かい数字の部分などは官僚が答えた方が、それは国益に適うのではないかと思います。
 
 だって国会審議とは、予算や法案のための審議なんですからね。
 決して「総理や大臣の失点を見つけて政権にダメージを与える場」ではないのです。
 この部分についてはよくよく考えてもらいたいですね。