日本の外交が弱いと言うなら、強くする方策を考えるべきでは? (3)

4.武力を背景にできない
 長くなってしまったので、これで最後にしようかと思うのですが、最後は、結局のところは日本は「武力を背景にできない」という重い重いハンデを背負っているというコトを指摘しておきたいと思います。
 
 もちろん普通の交渉事であるなら日本は経済力という強い強い武器をもっているワケですが、しかし残念ながらこの世の中は綺麗事だけでは終わらない現実があります。
 いま現在進行形で戦争が起きています。
 ISILなんてもはや話し合いではどうしようもないでしょう。
 そもそも戦争のような場合に限らず、結局最後は「武力」が物を言う交渉事だって世の中にはたくさんあるのです。
 そして日本だけがそれに目を背けても、その行為に全く意味はありません。
 むしろ目をつむればつむるほど、他国はその日本の愚かな行為に付けいるだけです。
 
 ギリギリの交渉であればあるほど、「背景に武力がある」という“事実”がモノを言います。
 なにも「攻められたくなければ言うコトを聞け」なんてコトを言うべきだという主張はしません。
 むしろ武力をことさらに強調する必要もありません。
 なぜなら、その国の武力がどのような状態なのかなんてコトは、外交の必要最低限の知識だからです。
 日本はいま、国防費だけなら世界有数の金額を掛けていますから、日本人よりむしろ近隣諸国の外国の方がその日本の実力を知っているコトでしょう。
 そして同時に、憲法九条という自縛法によって、「最後はどうせ何も出来ない」というコトも知っているのです。
 日本人が九条を誇ろうが誇るまいが、世界の外交は当然としてこの事実を知っているのであって、この“事実”は、日本政府や日本人がことさら大きく主張しなくても、それ以前の問題として、外交の場においては“常識”として理解されているのです。
 外交とは、「その上」で行われているワケなんですね。
 
 ですから、結局は「日本は最後は武力に頼るコトもできる」という手段を自ら用意しておくというのが、外交にとっても大きなアドバンテージになるのです。
 いざとなれば戦争を仕掛けるコトができる国と、どうやっても戦争を仕掛けられない国とでは、本当にギリギリのギリギリ、お互いにもう譲り合うコトができない状態の交渉の最後の場面で「武力のプレッシャー」があるのとないのとでは全然違うというのは、簡単に想像できると思います。
 しかし残念ながら、日本はここの部分を自らの意志で放棄しているワケなのです。
 
 だけど日本人は本当は知ってるハズなんですよね。
 このようにいちいち言葉にしなくても、例えばISILの問題にしても、南砂に米軍が航行した件にしても、なぜそんな交渉が出来るのかなんて、本来考えるほどのコトでもないですよね。
 でも日本人はそんな「現実」から目を背ける。
 そろそろいい加減にした方がいいと思うんですけどね。
 
 ですからここの部分は特に強く言いたいのです。
 外交を弱くしているのは政治家ではなくむしろ国民なのではないでしょうか、と。
 そして、この点だけでなく、例えば政府専用機の問題にしても、なぜそれを増やせないのかは政治家に責任があるのではなく、やはり国民の意志による部分が大きいハズです。
 そういう視点からも、外交の問題を見てはどうかと、やえは思うワケです。
 
 
追記
 コメントで「外務大臣は非議員にすればいいじゃないか」という趣旨のコメントいただきましたが、ごめんなさい、もしかしたらやえの書き方が悪かったかもしれませんが、これはシステムの問題であり、仮にいまの日本のシステムのままに非議員を外務大臣に選んでも、議員と同じように閣僚は国会に縛られます。
 以前、参議院議員になる前の川口順子さんという民間出身の外務大臣がいましたが、非議員だからという理由で国会日程から解放されていたワケではありません。
 当然として全閣僚出席の委員会では答弁がなくとも出席義務がありましたし、外務委員会などにも出席義務がありました。
 
 国会のシステムについては、やえは前々から国会改革論として色々な文章をアップしていますので、そちらも合わせてご覧になって頂ければと思います。