「国民に伝わってない」のは、伝える役目を負ってるマスコミの責任だろう

 世の中、理屈にならないコトがなぜかまかり通っている、なんてコトはよくあるワケですが、最近流行っているこれも、その最たるモノでしょう。
 
 安保法制の議論にからみ、最近マスコミはしきりに「国民に伝わっていない」「理解が広まっていない」と言っています。
 でもこれ、普通に考えて大変おかしい言い分なんですよね。
 理由は2つあります。
 1つは、国民主権である以上、知ろうとするのは国民の側から動くべきであるというコト。
 もう1つは、そのために存在しているのがマスコミのハズっていうコトです。
 
 政府は、特に民主主義国家における政府とは、決して国民の安楽装置ではありません。
 国民自ら形作るのが民主主義における正しい政治のあり方であり、政府も国民こその政府です。
 そう考えれば、そもそも発想からして間違っている人も多いのですけど、全ての法案はまず「国民のため」のモノだというコトをキチンと考えなければならないんですね。
 決して「政府の都合」で提出されているモノではありません。
 ここを勘違いすると、出口も間違ったままになります。
 すなわち、「政府の都合で法案が出されているんだから、政府が国民に対して誠心誠意お願いして当然だ」というそんな構図の考えは、これは完全に間違った発想なんですね。
 
 民主主義国家における国民とは、主張するなら自らが情報を調べるべきです。
 特に今の世の中、生の情報を得ようとするコトは、大変容易な時代になりました。
 昔は国会の議事録を読もうとしても、数日後に発行される議事録を国会図書館なりにわざわざ行って等しなければ読めませんでしたけど、いまならインターネットで簡単に検索できますし、そもそも国会の様子はリアルタイムで動画配信されています。
 また各政党もwebサイトを作り、それぞれの主張を載せていますし、ブログやSNSなどを活用している国会議員も少なくありません。
 いまの世の中、こんなにも簡単に生の情報を得るコトができるんです。
 こうやって長年政治のコトなど様々な主張をしてきたやえも、基本的には情報や知識はネットで仕入れたモノが大半ですし、ツイッターとかで政治のコトをよく取り上げている人も多いですが、そういう人たちも基本的には同じでしょう。
 政治の仕組みなど公的なモノなんかは特に、ネットで調べて分からないモノは無いと言っても過言ではないですし、法案も、成立後の成立文ではなく、提出された時点の法案文の時点のモノを目にするコトすらできてしまうのです。
 そんな中において、仮に「政府は国民の安楽装置」であるならまだしも、国民主権の世界においてここまで開かれた情報社会であるにも関わらず、「目の前に自動的に情報が提示されないから自分は知らない」なんて言ってしまうのは、大変に傲慢で、民主主義とはかけ離れた言い分ではないかと断じざるを得ません。
 
 そしてなにより、政治と国民との架け橋の役割を負っているのがマスコミという存在です。
 これは日本に限らずどの国でも、民主主義の発生と共に生み出された概念とすら言えるでしょう。
 民主主義の必要条件は様々ありますが、その中に「マスコミの存在」というモノを否定する人は、まぁいないでしょう。
 もし権力を持ってマスコミの存在を弾圧しようとするのであれば、それは民主主義国家であるというコトを疑われるコトになります。
 それだけに、マスコミはある種の特権を持っています。
 一般人が普通では入っていけないところまで入って取材活動をするコトが認められているワケで、それは全て、「政治と国民との架け橋役」だからこその特権なワケです。
 
 こういう中において、では「国民に伝わっていない」のであれば、果たして誰の責任が大だと言えるのでしょうか。
 マスコミじゃないですか?
 これがまだ、議事録も探すのが大変、各政党の考え方も探し出すのに物理的に一苦労する、総理も記者会見を全くしないとかでしたら、ある程度致し方ないと言えるかもしれませんが、今の時代、そんなコトはありません。
 先ほど言いましたように、情報はこんなにも簡単に手に入りますし、実際政府も各政党も様々な情報を公開しています。
 こういう時代において、もし本当に「国民に伝わっていない」のであれば、その第一の責任はマスコミにあり、その次には国民自身にあるのではないのでしょうか。
 それなのに一番の戦犯であるマスコミがしたり顔で「国民に伝わっていない」と言い出すのは、無責任を通り越して責任転嫁そのものであり、むしろ別の意図があって世論誘導しているのではないかと疑うレベルと言わざるを得ません。
 
 「考えた結果必要ない」と主張するのは、もちろん自由です。
 それは尊重されるべき一意見です。
 でも「分からないから反対」はあまりにも無責任です。
 安保法制の議論に限らず、政治に対してこんなコト言ってしまうのは、民主主義の主権者として無責任であり、同時にマスコミが自分の責任と感じていないのであれば、自らの存在をはき違えている、むしろ否定しているとすら言えてしまう勘違いだと言うしかないでしょう。
 国民も、このマスコミの欺瞞に騙されないよう、自立した主権者としてよくよく考えてもらいたい問題です。