戦略的核廃絶論2015

 8月6日は、広島に生まれた身としては様々な感情がわき出る日です。
 まずはあの日の原爆によって命を絶たれた方のご冥福とお祈りしたいと思います。
 
 さて、去年と全く同じお話をします。
 しばらくこの日はこのお話が浸透するまで続けていこうと思っています。
 
 この考え方は、決して人道的見地とか反戦思想のためのお話ではありません。
 やえ自身は核兵器というモノに対して様々な感情がありますが、「戦略的核廃絶論」という名の考え方の場合は、それらを一切排除した上での、純粋なる「日本の国益」、もっと簡単に言えば「その方が日本によって有利になる」という見地からの考え方です。
 まずこの入口の段階について確認しておきたいと思います。
 
 ではなぜ、核兵器廃絶によって日本が有利になるのか、です。
 でもこれってよくよく考えれば実はすごく簡単なお話です。
 分かりやすいように一番極端な例で考えましょう。
 「世界中の全ての国家が核兵器を持っている世界」と「世界中どこの国家も核兵器を持っていない世界」と、果たして日本の軍事力は比較してどちらが上位にあると言えるでしょうか。
 
 それは「核兵器が無い世界」です。
 なぜなら、核兵器と通常兵器のコストパフォーマンスが全然違うからです。
 核兵器10発vs100発の脅威度抑止力度の差と、通常兵器にかける予算が10倍の時の脅威度抑止力度の差は、どう考えても通常兵器の差の方が大きいです。
 むしろ核兵器の場合はこの程度では差は無いと言ってもいいぐらいですよね。
 核兵器10発も持っていれば、それだけですでにオーバーキルの破壊力を持っていますから、100発に比べたところでオーバーキルという意味では変わらないですから、戦力差も無いと言って過言ではないワケです。
 ですから、現状核兵器を持っている国家が100発、その他の日本を含めた新しい国家が10発の核兵器を持ったとすれば、その軍事力の差というモノは、どの国もほぼ横並びというコトになってしまいます。
 よって日本も相対的に上位の軍事力とはとても言えない状況になってしまいます。
 
 しかし通常兵器はそうはいきません。
 通常兵器の戦力差を比べるコトは難しいですが、しかし少なくともその国家の経済力が戦力差の大きなウエイトを占めるのは確かです。
 さらに言えばその他の部分、例えば国家の科学技術力や練度の高さ(国民性からくる真面目さ)などを考えれば、9条などのソフトの面をのぞけば、現状日本は世界トップレベルの軍事力を持っているというのは否定できない事実でしょう。
 もちろんソフトの面は吃緊の課題で、ここは核廃絶論とは別で早急に対応しなければならないコトですが、日本の経済力と科学力を持ってすれば、核兵器がない世界においては世界トップレベルの軍事力を誇るコトは容易いお話なのです。
 
 こう考えたとき、では日本は「核のある世界」と「核の無い世界」とどっちを選択すべきかって考えれば、それはもう「核の無い世界」を選ぶべきだと言うしかないわけです。
 世界から核兵器が減れば減るほど相対的な日本の軍事力が増すのですからね。
 であるなら、日本はやはり核廃絶を訴えるコトが国益になると言えますよね。
 むしろ主張するだけで軍事力が上がるのですから、最も安上がりな軍事対策とすら言えるでしょう。
 
 これが「戦略的核廃絶論」です。
 最初に言いましたように、やえは核兵器に対しては人道的な面や感情の面についても色々と言いたいコトはある、というか今まで色々と言ってきましたが、この「戦略的核廃絶論」はそこを除いた純粋な軍事面における優位性を説いたモノです。
 ぜひとも多くの人に理解して貰いたいと思っています。