見せかけの数字でしかないデモと、政治を決める実数としての選挙

 山形市長選挙が自民党系の候補の勝利で幕を閉じました。
 山形市長が自民党系の人になったのは、なんと半世紀ぶりだとか。
 

 <山形市長選>自民系、半世紀ぶり市政奪還
 
 任期満了に伴う山形市長選は13日、投票が行われ、即日開票の結果、無所属新人で元経済産業省職員の佐藤孝弘氏(39)=自民・公明・次世代・改革推薦=が、ともに無所属新人で元防衛省職員の梅津庸成氏(48)=民主・共産・社民・生活推薦=、飲食店経営の五十嵐右二氏(64)を破り、初当選した。市政の転換を求める民意の勢いが、安全保障関連法案への批判を上回った。自民は約半世紀ぶりに市政を奪還した。梅津氏とは1773票差の激戦だった。

 
 しかしこの選挙、市長選という地方選挙だったのにも関わらず、特に国会での野党側が推薦していた候補陣営が、安保法制をなぜか争点にし出しました。
 記事にもしっかり残っています。
 

 <山形市長選>五輪相地元で安保決戦の様相
 
 安全保障関連法案の参院審議が進む中、3新人が立候補を予定する山形市長選(9月6日告示、13日投開票)が「安保決戦」の様相を呈している。法案の賛否と同じ政党対決の構図、選挙期間に審議が大詰めを迎えるタイミングに加え、安倍政権の閣僚の地元という舞台が拍車を掛ける。
 (中略)
 <法案の審判にも>
 立候補するのは、いずれも無所属の飲食店経営五十嵐右二(64)、元防衛省職員梅津庸成(48)=民主・共産・社民・生活推薦=、元経済産業省職員佐藤孝弘(39)=自民・公明・次世代・改革推薦=の3氏。
 「首長の役割は住民を守ることだ。安保(法案)は地方に無関係ではない」
 梅津氏は20日、連合山形の決起集会で力を込めた。安保法案の違憲性を指摘した憲法学者、小林節慶大名誉教授の教え子。2人が並んだポスターを市内各所に張り巡らせ、「平和都市宣言」事業の継続を訴える。
 野党が山形市長選を重視するのは、法案審議の終盤と投開票が重なるためだ。審議が難航した場合、憲法規定の「60日ルール」を適用すれば投開票翌日の9月14日以降、衆院で再可決し成立させることができる。
 民主党県連の吉村和武幹事長は「これだけ政党対決が強まれば、市長選が安保法案の審判という側面は否めない。国会も選挙結果を無視できない」と見通す。

 
 実際に争点になっていたかどうかは、地元の人の肌感覚によりますから、やえには分かりません。
 ちらほら地元の人の声のようなモノを聞く限りは、うんざりするぐらい野党側の安保反対の声が大きかったみたいな感じだったようですが、まぁそれは人それぞれというコトにしておきましょう。
 ただし実際に、今回の市長選挙に敗北した野党側が自ら争点にして、それを旗印に選挙に臨んだという事実は否定できないワケです。
 
 もしこれが、伝統的に自民党系が強い地盤であったらまたお話は別なのでしょうけど、今回はなんと半世紀ぶりの自民党系の勝利ですよ。
 これはもはや、まざまざと「デモが見せる数字は虚数でしかない」というコトが証明されたと言えるでしょう。
 デモに対してやえはいつも言っています。
 仮にデモに一万人集まったとしても、衆議院選挙で当選した人に投票した人の数字には全く届かない、と。
 さらに言えば、デモとかは住所など関係なく、言わば全国から集まるコトができるのですから、ますますその数字は意味が無い、と。
 今回の山形地方選、当選得票数が約5万6千票ですから、衆議院選挙の約半数ですよ。
 本来的には安保法制なんて全く関係ない地方の市長選に、一方的に安保法制を争点として仕掛けたにも関わらず、結局選挙には負けているのですから、デモや運動ってモノが現実的としての数字とはかけ離れているという現実をまざまざと見せつけられたと言えるのではないのでしょうか。
 
 つまりこれは、ハッキリ言ってこの前のデモが本当に10万人集まっていたとしても、だからなんだってお話なんですよ。
 30万人でもそうです。
 それだけデモで集まったところで、決して衆議院選挙で候補者ひとり勝たせるコトは難しいでしょうし、事実として市長選挙すら勝たせるコトは出来なかったのですし、なにより与党を形成するほどの国会議員を輩出するコトなんて夢物語にすらなってないと言えるでしょう。
 本来地方選挙ですから国政には関係ないので、与党側からこの結果についてどうこう言うのは適切ではありませんが、しかし少なくとも野党側は争点だと自ら設定したのですから、その言葉は受け入れないとダメですよ。
 デモの人数なんて全く政治に直結しないコトが、安保法案反対派自らが証明したのです。
 
 やえは、デモは民主主義とは相容れない行為だと思っていますが、いまのところ合法手段ですから、デモをするなとは言いません。
 しかし、いくらデモが起きようとも、それが政治政策に直結するがごとくの言説というのは否定します。
 そんな事実は存在しないからです。
 見た目の数字が多ければ実数を凌駕すると言わんばかりのデモ肯定の言説は、つまりはそれは民主主義の否定にしかなっていないのです。