対等な関係は対等な制度から

 ごめんなさい、シルバーウィークを満喫してしまいましたー。
 ダメですね、この連休は人をダメにしてしまいます(笑)
 というワケで、気持ちを切り替えて、また今日から頑張っていきましょー。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 安保法制も可決しましたし、これが最終目標ではありませんけど、とりあえず一段落というところです。
 なので、しばらくこのお話もするコトがなくなると思いますので、最後にひとつ言っておこうと思います。
 
 似たようなコトはこれまでも何度も言ってきていると思うのですが、日本が国連憲章に基づいた国防政策をフルバージョンで行使できるようになるコトこそが、当面の日本の目標だとやえは思っています。
 なぜなら、それこそが真の意味での「自立」だからです。
 今回の安保法制の議論でもよく聞かれたのが、「結局はアメリカの言いなりになるだけだ」という批判ですが、しかしこの批判で一番間違っているのが、その言い方だとさも現状がアメリカの言いなりにはなっていないと言わんばかりの物言いだという点です。
 違いますよね。
 現状の日本は、アメリカに守って貰うコトが前提の国防体制を敷いています。
 他国から戦争をふっかけられても、火の粉を払うことは出来ても、自分からは相手を叩くコトが出来ないという、世界でも希有な縛りを持っているのが日本です。
 しかしそれではまともな国防なんてできるハズもないと現実問題としては分かっているからこそ、日本が自ら縛っている部分をアメリカに肩代わりして貰っているワケですよね。
 そして一番重要な点は、これは正式な条約によって公的な制度によって担保されているという点です。
 二国の間でなんとなくそういうパワーバランスになっている、なんていう類いのモノではなく、法律よりも上位にある条約によって、それが形作られているのです。
 安全保障問題を考える上では、まずはこの意味を考えるべきなんですね。
 
 制度として正式に「自分が殴られたら、お前が反撃されるかもしれないけど、代わりに攻撃してこい」という制度を敷いているのに、それで対等な関係だと思う方がどうかしてますよ。
 日本はアメリカに守られているんですよ、庇護されているんですよ。
 この現実から目を背けてはなりません。
 たまに「アメリカは本気で日本を守る気なんて無い」とか言う人がいますが、そういう問題じゃいなんですね。
 「条約でそう決まっている」のです。
 「法律で決まっている」よりも上位の決まり事であり制度なんですね。
 制度でそうなっている以上は、正式に制度によって「日本はアメリカの庇護下にある」と定められているのです。
 
 この時点で「アメリカの言いなりになるだけだ」という批判は的外れもいいところなんです。
 むしろ今も「アメリカの言いなりになりかねない制度を日本は正式に採用している」のであり、今回の安保法制によって、そこからちょっとだけ前進したというのが正しい認識でしょう。
 
 アメリカとは対等な関係になるべきです。
 いやそれはアメリカだけのお話ではありません。
 全ての国と、同じ権利を行使できる、それを背景に外交ができる国になるべきだと思っています。
 だからこそ、国連が認めるフルバージョンの集団的自衛権を行使できる国にする必要があるのです。
 
 国同士だって人間同士だって、お互いの関係性の中で微妙なパワーバランスは生まれるモノです。
 それは色々な事情があるでしょう。
 しかし少なくとも制度の上で対等にならないと、そんな関係性の中におけるパワーバランスを語る以前の問題じゃないですか。
 制度で日本はアメリカの庇護下にあるんですよ。
 対等だなんだを言うのであれば、まずここから脱却しなければお話にならない、それが最低限のスタートラインなんですよ。
 
 安保法制と集団的自衛権の問題には色んな視点がありますが、そもそも国連が認めている権利であるという点からして反対する理由がいまいち分かりませんし、また一方、アメリカと対等な関係になるという点で反対する人は少なくともやえは見たコトないワケですけど、でもそれなのに、それを実現する方向を歩き出したら批判し始めるというのは、ちょっと理解に苦しむワケです。
 目標があって、しかし現実にはその1から10を一度に全部同時に達成できるコトなんてまずないのですから、段階を踏んでコツコツやっていくしかないのは、キチンとした生活を送っている人なら簡単に分かるコトなのですから、そうやってやっていくしかないじゃないですか。
 安倍総理の意志がどうであれ、少なくとも形式上は集団的自衛権の一端を行使できるようになっている以上、日本がより強固な力を持つようになった、そしてアメリカとの差が小さくなったと言えるのは確実なのです。
 これがゴールでは全然ありませんが、その怪談の一歩を踏んだだけでも、十分評価に値すると思っています。
 0か100しか評価しないと言ってしまうのは子供の理想論だけですしね。
 
 日本が強くなる。
 結局はこれだけでいいんですよ、評価の基準としては。
 安保法制は現状よりも確実にそうなると思っているからこその評価なのです。