外交とは0と1の世界ではない

 さて、いよいよロシアのプーチンが今週末日本にやってきます。
 これまでの各国との首脳会談とは違い実質的な交渉事のある、しかもそれは根っこは第二次世界大戦にまでさかのぼるという歴史的な出来事の延長線上の交渉という、大変重い会談となります。
 今年はオバマ米国大統領の広島訪問など歴史的な場面がありましたが、もうひとつ大きな山が動くかもしないというのが、このプーチン訪日と言えるでしょう。
 
 しかし敢えて事前に言っておきます。
 そもそも交渉というモノは、その場で結果の全てが出るモノではありませんし、期待するモノですらありません。
 もちろん結果を出すために交渉を行うモノではありますが、しかし交渉なのですから、その交渉の中で結論が出なかったとしても、交渉自体が無駄だとは決して言えません。
 中には、交渉の場をセットし交渉が行われたという事実だけでも意味がある交渉というモノもあるワケで、本来こんなコトは外交に限らず世間一般の交渉事全てに言えるコトなのですが、なぜか外交になると頭に血が上って冷静に判断できなくなる人が出てきますので、念のために言っておきます。
 
 そもそもとして、この北方領土問題と平和条約問題は、ここ何十年とまともに交渉できていなかったというのが実際のところです。
 一番最近交渉自体が行われたのはいつかと言えば、おそらく森内閣の時ですね。
 あれです、鈴木宗男さんの時ですね。
 あの時も2島返還論が出たりなんだりしていた記憶があるのですが、当時のコトを当サイト管理人のあまおちさんは、「鈴木宗男の人物はともかくとしても、少なくともこれで北方領土の交渉が随分後退したのは確かだ」と言っていました。
 15年位前でしょうか?
 もっと前かもしれません。
 つまり前回の北方領土問題が交渉として動いていた時期っていうのは、それぐらい前のお話なんですね。
 ですから、ハッキリ言えば今現在交渉として成り立っている時点でずいぶん前進していると表現しても差し支えは無いのではないかと思うのです。
 もっと言えば、この件でロシア大統領を訪日させている=交渉が行われていると内外に示しているのですから、一定の成果は出ていると言えるんですよね。
 
 もちろんゴールはここにあるワケではないのですので、それだけで諸手を挙げて喜べなんてお話には全くならないワケですが、しかし逆に、プーチン大統領が来日した交渉で結論が出ないからという理由で日本政府や交渉そのものを批判する材料にはなりません。
 戦後70年近く経つのに一向に動かなかった交渉事を、たった1,2年で解決しろとか、この交渉で全ての結論を出せと言う方が間違いなのです。
 そして言うまでもなく、この交渉事は大変に難しい問題です。
 領土問題なのですからね。
 ですからますます交渉に時間がかかって当然なのです。
 その日その場だけで見ればもしかしたら動いていないように見える前進も、後から考えれば大きな一歩だったってコトはよくあるお話で、それを些細な感情論で潰してしまうのはあまりにも国益を蔑ろにする行動でしょう。
 これは前回のお話と同じコトになりますが、外交とはその場の国民の評価がその後の動きに直接影響を与える身近な存在です。
 だからこそ主権者たる国民が冷静に判断しなければならないのです。
 
 もっと言いますと、正直言いまして、こういう外交交渉直後の国民の反応っていうのは、一歩引いて考える必要があると思っています。
 それは日比谷焼き討ち事件もそうですが、最近で言えば日韓合意なんかも、その発表直後は頭に血がのぼりまくっていた人達がたくさんいましたね。
 しかしいま時間が経って冷静になったら、あの合意が日本にとっては大きなカードになっている、防護壁になっているというのが分かるハズです。
 あとは「約束を破る」という行為をした方が悪いのは当然のお話で、そこをキチンと日本国民が理解し、もし万一のコトがあれば誰をどう批判するのかっていうのさえ間違えなければ、この合意は日本にとって大変有益なモノなワケです。
 やえはあの当時直後からずっとこのような評価をしていましたが、全然理解できない人いっぱいいしまたよ。
 そしてあの時散々罵詈雑言を吐いていた人が謝罪をしたり考え方を転換したとか、やえは見たコトがありません。
 この辺は民主党政権誕生時も同じようなお話ができるワケですが、ですから、もうやえとしては直後の国民の反応に対しては「頭を冷やして冷静になりましょう」とか言いようがないと思っています。
 もちろんですが、それでも国益に反すると分析できれば、それはキチンと批判すべきですが、少なくとも感情のままに批判しても、それはただの罵詈雑言にしかなりはしないでしょう。
 
 今の段階で山口での日露首脳会談がどのような結末を得るのかは、やえには全く分かりません。
 ただそれは、どんな結末だとしても、これからもずーっと続く日露関係の1場面に過ぎないというのは確実なコトです。
 ですから、今回の結末をどう受け止めるのかというのは、「将来の日本にとってどう受け止めるべきか」という視点で考えなければなりません。
 少なくとも日比谷焼き討ち事件のような最悪な結果は避けなければなりませんし、まぁあんなおバカなコトは現代ではあり得ないとは思いますが、世論の爆発も構図としては同じなのですから、キチンと国民は冷静に受け止めなければなりません。
 一時の感情が日本の何十年後にも影響を与えるのです。
 ここのところをよくよく考える必要があるのです。
 
 さて、明日からどうなるコトでしょうか。