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2015-03

誹謗と批判の区別がつかない人たち


 残念なコトですが、世の中には誹謗と批判の区別がつかない人たちが、思いの外いっぱいいるようです。
 

 「報ステ」で元官僚と古舘氏言い争い、番組混乱
 
 テレビ朝日系のニュース番組「報道ステーション」で27日、コメンテーターの元経済産業省官僚、古賀茂明氏がニュースの内容から逸脱した発言を続け、キャスターの古舘伊知郎氏と言い争いになる場面が映し出された。
 テレビ朝日は番組の混乱を陳謝したが、ニュース番組のあり方が問われることにもなりそうだ。
 古賀氏の発言は放送開始から約20分後。古舘キャスターが中東情勢の解説を求めると、いきなり「テレビ朝日会長らの意向で、今日(の出演)が最後」などと切り出し、「官邸の皆さんにはバッシングを受けてきましたが、(視聴者の)皆さんのおかげで楽しくやらせていただいた」と述べた。
 古舘キャスターは「今の話は承服できません」「(番組を)降ろされるということは、違うと思います」と反論したが、古賀氏は「古舘さんは『自分は何もできなかった。申し訳ない』とおっしゃった」「(楽屋での会話を)全部録音させていただきました」などと続けた。
 さらに約15分後、エネルギー政策などで安倍首相を批判した古賀氏は「I am not ABE」(私は安倍ではない)と印刷した紙を示した。

 
 ご存じの方もいっぱいいると思いますが、元経産官僚の古賀茂明氏がテレビ朝日の番組「報道ステーション」内で「I am not ABE」とプリントした紙を掲げたコトについて、官邸やテレビ朝日、そして古舘伊知郎氏の事務所から圧力を受けて降板させられたと、テレビの前で大騒ぎした件です。
 これなにがすごいのかと言いますと、繰り返しになりますが、「誹謗と批判」が区別できていない、本来はなにがどう問題として挙がっているのかという点が、古賀氏も古館氏も全然理解できていないというところです。
 
 この騒動に対して古賀氏に同情的な声が上がっているというところも頭の痛いところです。
 「I am not ABE」
 これが批判だと思う人というのは、言論に向いてないので今後公の場で自分の自説を開陳する行為はやめた方がいいと思います。
 これのどこが批判なんですか?
 批判とは、論拠があってはじめて成り立つモノです。
 まず結論から「安倍総理は退陣すべきである」と語り出すというのであれば構いませんが、しかしこの場合必ずその後に「なぜ退陣すべきなのか」という論拠を付け加えて、そこではじめて「意見」や「主張」や「批判」という公論になるのです。
 もし理由もなく論拠が付けられないというのであれば、それは公論ではなく、多くの人が見聞きできる場に発表すべきではないただのヒトリゴトにしかならず、もしそれでも公の場に垂れ流すと言うのであれば、そんなのは誹謗中傷でしかなく、規正されても仕方ない言葉の暴力でしかありません。
 
 誰に対してでもいいですが、理由を付けずに「お前は辞めるべき」とか言ってみればいいですよ。
 普通の人は怒るでしょうし、もしその人がとても優しい人でも、せめてなぜそう思ったのかの理由を問いただすでしょう。
 つまり、そもそもとして古賀氏というのは自己矛盾しているんですね。
 他人に対しては理由なき誹謗だけで辞めろと言うくせに、いざ自分が辞めさせられるとこんなにも見苦しくわめき立てる。
 もし自分の主張通り理由もなく辞めさせられるのが正しいと思うのであれば、自分がそういう扱いを受けても唯々諾々として受け入れなければならないハズではないのでしょうか?
 「I am not ABE」が正しい主張と言い張るのであれば、「I am not KOGA」も正しい主張のハズであり、それを受けたテレビ朝日が古賀氏を更迭しても、なんら問題はないと言えてしまうコトでしょう。
 古賀氏の報道ステーションでの見苦しい大騒ぎそのものが、古賀氏の矛盾と、自らの行動が間違っているコトを証明しているのです。
 
 さらに頭が痛いコトに、一部、政府や政治家に対してだけは誹謗すら正当な言論だと思い込んでいる人たちがいるってコトです。
 どういう理屈でそうなるのか分かりませんが、特に民主主義政治においては政府や政治家も国民そのものであるワケで、それらに対して誹謗すら許されるというのであれば、国民に対してすら誹謗中傷がそのまま許されるというコトになってしまいます。
 そもそもこんな理屈出さなくても、誹謗中傷というモノは誰に対してでも行ってはならないモノでしかなく、それを公の場で発言するのであれば、それは単なる「暴力」でしかないコトぐらい分かりそうなモノです。
 そして暴力は権力を使ってでも規制べきモノです。
 もし公権力だけには誹謗が許されると言うのであれば、それは公権力に対してだけは暴力を持って覆しても構わないというクーデター理論にしかならないのですからね。
 どちらにしても、政府権力は国民が決めるという民主主義の精神からしても、もうちょっと頭を使って考えて欲しいです。
 政府に対してだけは誹謗中傷も許されるというのは、それは国民をバカにしている論でしかありません。
 
 結局「権力が暴走している」と言うのであれば、それはイコールで「国民が暴走している」となるワケで、それなら堂々と「国民が悪い」と言いなさいよ、と言いたくなります。
 でも国民批判をすると自分の立場が悪くなるからと、政府批判にすり替えているだけなんですよね。
 それはただの卑怯者の行為でしかないのです
 

民主主義を国民から否定する愚


 こんなデタラメなデモも珍しいワケです。
 

 「安倍政権NO!」 安保政策などに反対、国会前でデモ
 
  国会周辺で22日、安倍政権が進める安全保障政策や原発政策に反対する集会があった。首都圏反原発連合などの市民団体の呼びかけで集まった約1万4千人(主催者発表)は、「戦争をする国をつくるな」などと声を上げた。

 
 「安倍政権NO!」とは一体誰に向かって言っているのか、それはどういう手段でなのか、ではそこに参加している人達というのはどういう立場の人達だというのか、上から下まで全て意味不明なのです。
 
 これがまた政策に対するデモなら理解できる部分もちょびっとはあると言えるかもしれません。
 しかし「安倍政権NO!」とは、つまりは安倍さんを総理大臣の座から降ろせというコトなのでしょうけど、でもそれは誰でもない国民の意思によって安倍さんは総理大臣の地位にいるのですから、もし本当に安倍さんを総理から降ろしたければ選挙によってそれを示せばいいのです。
 むしろそれしか手段はないワケですよね。
 まさか武力を持ってクーデター的に物理的に安倍さんが総理の職務を全うできないような形にしろと言っているワケでは……言っているワケではないですよね、そう信じたいワケですが、ですから安倍さんが憲法法律に則って民主主義のプロセスを踏んで総理大臣の座にいる以上は、それを降ろしたければ同じように憲法法律に則って民主主義のブロセスを踏むしか無いのです。
 それ以外は民主主義の破壊です。
 
 それなのに、つい数ヶ月前に行われた選挙すら目に入らず、ただただNO!NO!と言うのであれば、果たしてあなたたちはその選挙権をどうしちゃった人達なんですかと聞きたくなってしまいます。
 それとも選挙権を持っていない人なんですか?と。
 まぁおそらくは民主主義の根幹たる選挙の結果も、自分たちの意にそぐわなければ納得しないとでも思っている単なるワガママな人達なんでしょうけど、しかしこんな愚行は「ワガママ」という言葉一つで許されていい者ではありません。
 実際集まったのが何百人なのか何十人なのか知りませんけど、たったそれだけの人数で、何千万人という人が投票した結果をひっくり返せとこのデモは言っているワケで、そんなの果たしてどうやったらそこに結論がたどり着くのか不思議でなりません。
 
 それとももしかして、このデモは一般国民に向かって言っているのでしょうか。
 しかしそれなら、国会周辺でデモする意味は全くありませんね。
 変な例えですが、選挙の際に街頭演説とかを国会の前で行っても全く意味はないワケで、やるとしたら東京で言えばいつも秋葉原ですとか新宿ですとか、そういうところで各党は行っています。
 その方が「より多くの国民に訴えられる」からです。
 当たり前すぎて今更言うのもなんですが、たくさんの人がいるところで行ってこそですよね。
 これはデモとかに限らずあらゆる「主張」で言えるコトで、誰も見てない自分だけしか見ない日記帳に主張を書いてもそれに共感する人なんて出てくるワケもなく、誰でも見れるインターネットだからこ多くの人がいろいろな主張しているワケです。
 ですから仮にこのデモ隊が国民に訴えているのでしたら、その手法は下策も下策であり、ましてこんな中身が全く伴わない、断定的に「NO!」と連呼したところで、誰が自分の考えを改めようと思うのかというお話にしかならないのです。
 
 今度また詳しく取り上げようと思うのですが、政治などを始めとする主張というモノは、特に民主主義国家においては政治家ではなく国民に訴えてこそ意味のあるモノです。
 またその主張をするという行為の根底には「どっちつかずの人に納得してもらう」と「反対の考えの人に考えを変えてもらう」と、これを目的にして行わなければなりません。
 民主主義の政治とは、多数の人間の意見を集約したモノを反映し実行するモノなのですから、意見や思想は多数の国民に指示されなければこそです。
 もちろんこの世にある全ての主張が多数の支持を得るためでなければ全く無意味とは思いませんが、それでも少しでもいいから「他人に理解される主張の仕方」をしなければ、ただの自己満足にしかならないと言うしか無いでしょう。
 それは主張ではなく、文字通りただの日記にしかなりません。
 やえだって、人数は少ないですが、少しでも理解してもらうために日々文章を書いているつもりです。
 
 しかしこのデモはなんですかと。
 現職総理をその座から引きずり下ろそうという国民の過半数の合意が無ければできない主張であるにも関わらず、この体たらくです。
 果たして何をやっているんでしょうかね。
 そもそもやえとしてはデモという手段自体がこういう視点からも下策としか思えないワケで、なぜならどうやったって他人に迷惑をかける行為ですからね、通行人をどかしてでも道路を占領して大行進するワケで、ですから他人に迷惑をかけておいてどうやって他人から理解を得られるのかと、やえにはさっぱり分かりないワケです。
 いくらやえの主張が素晴らしいと自画自賛したとしても、それをスパムメールのように一方的に無差別にばらまいては逆効果でしょう。
 それともただ騒ぎ立てて自分が気持ちよくなるためでしたら、それはもう、デモなんて多くの人が迷惑を被る手段をとっている時点で害悪としか言いようがないのではないのでしょうか。
 
 いくら見たくないと言っても、現実を否定してはいいというコトではありません。
 安倍総理は国民の意思によっていま総理大臣の職にあるのです。
 それを変えようと思うなら、それは国民の意思によるモノでなければなりません。
 しかしこのデモなんかでは、国民の意思を反映したモノとは全く言えません。
 国民の意思による総理大臣を否定したければ、ただただ選挙によって結論を得るしかないのです。
 それ以外は民主主義の否定です。
 デモ隊の言っているコトは、「少数による多数の弾圧」でしかないのです。
 ここをキチンと理解しているのでしょうか?
 

予算成立を遅らせてまで大騒ぎした政治資金の問題のケジメは誰がとる?


 いつの間にか下火になってしまっている政治資金・政治献金の問題ですが、しかしその影響は現実に確実に悪影響を与えていて、このままではおそらく来年度の予算が今年度中に成立しないという事態になってしまっています。
 

 予算案:年度内成立を断念…2年ぶり暫定編成 政府・与党
 
 政府・与党は11日、2015年度予算案の年度内成立を断念した。予算案は、昨年11月の衆院解散の影響で提出が2月中旬にずれ込んだのに加えて、閣僚の政治資金問題でも審議が遅れていた。与党は4月上旬の成立を目指す方針で、2年ぶりに暫定予算が編成される見通しとなった。

 
 ちなみに2年前の暫定というのは、自民党が政権復帰した時の選挙の影響で遅れたモノです。
 それ以来の暫定なワケですが、しかし2年前と違って遅れる理由が、政治資金のせいっていうのはどうなのでしょうか。
 
 これがですよ、国益を損失させる大犯罪的な事件が起きてそれを暴くコトによって国家の利益になるっていう末での国会審議の遅れと、暫定というのでしたらまだ分かるのですが、しかし今回の大騒ぎは、結論を見れば何の利益も生み出さない、文字通り騒ぐだけ騒いだだけのコトにしかなりませんでした。
 こういうのを「無駄」と言うのです。
 騒ぎの終盤には、誰が見ても明らかなほど明確に法律に「復興と調査研究予算は含まれない」と明記されているのにも関わらず、その分野の献金にまでさも悪かのように大騒ぎする連中がたくさんいました。
 この前詳しく取り上げましたから繰り返しませんが、合法行為を悪と呼ぶ行為は法治国家への挑戦でしかなく、いまの日本では決して許してはならない人治主義の大罪と言っても過言ではない行為です。
 それは、“問題”を“発見”した民主党自身の姿を見れば明らかで、火を付けた当初では「違法献金」なんて勇ましく言っていたのに、それが違法でないと“判明”し、なおかつ岡田民主党代表にも「違法ではないけど悪だと断じていた献金」が見つかると、それまでの大騒ぎはなんだったのかというぐらい突然だんまりを決め込んでしまいました。
 そしてそれに追随するマスコミ。
 こんなバカ騒ぎが、ちょっと前まで予算審議をしなければならない国会を中心に行われていたのです。
 
 この結果、何が得られたのでしょうか?
 得られたのは、無駄だけではないのですか?
 政治献金の問題について、それを数週間にもわたって大騒ぎしていたコトによって、果たして何が得られたのか、少なくともやえには全く分かりません。
 もし利益があると言うのでしたら、ぜひとも何のどんな利益があったのか教えてもらいたいぐらいです。
 大騒ぎするだけした上で、しかし結局「違法行為していた人は誰も居なかった」というのが本当のところなのではないのでしょうか。
 
 では、時間だけを無駄に使ったあげくの末に大切な予算の成立が今年度中に間に合わなかった責任とそのツケは、果たして誰が取るというのでしょうか。
 
 昔からこういう構図はありました。
 本質を突く議論ではなく、雰囲気だけでなんとなく悪だと決めつけて、その根拠も論拠もなくイメージだけで悪印象を与えていくっていう、そんな構図です。
 過去を振り返ると思い多あるフシはいくらでもあると思います。
 しかしその結果どういうコトになってしまったでしょうか。
 今回は詳しくとりあげませんが、本質を見ずに雰囲気だけで総理大臣にしてしまった結果どれだけ国益を失っているかなどを考えれば、その重大さはよくよく分かるコトでしょう。
 そして今回の結局、なんら意味の無い大騒ぎで貴重な貴重な時間を無駄にしてしまい、このようなコトになってしまっているのです。
 
 「騒いで終わり」は、もはや悪だと言うしかありません。
 騒ぐなら騒いだ上でのケジメを付けるべきでしょう。
 騒いだ結果失うモノもあるワケで、しかしその失っているコトを知らないままでは同じ無駄の繰り返しになってしまうコトでしょう。
 それこそ国益の損失以外何物でもないワケで、国民こそがそれを自覚する必要があるのではないのでしょうか。
 

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