地方分権について考える 4

2012年4月15日

 やえが地方分権について考える際、その最も大きな疑問がこれです。
 「道州制」というモノです。
 ハッキリ言って、やえにはこれのどこが地方分権なのかサッパリ分かりません。
 
 地方分権って、地方の特色に根ざした地域住民に対してきめ細かい行政サービスを実現するのが目的だと思うのですが、それなのになんで行政区分を大きく広げるんですかと。
 やえには完全に矛盾しているようにしか思えません。
 橋下元知事の言葉を借りるのであれば、広い行政区分はグランドデザインを描いて、狭い行政区分は地域へのきめ細かい行政サービスをするんだというコトになるのでしょうけど、正直、地方単位の行政区分を作ったところで、それが広いグランドデザインを描く機関として適切に機能するかどうかは、やえには疑問でしかありません。
 例えば中国地方を見てみれば、山口はどちらかと言えば福岡文化圏ですし、岡山は逆に関西文化圏ですし、山陰の島根鳥取なんて普段広島との絡みなんてほとんどないと言っても過言ではないぐらいの違いがあります。
 よって広島は広島で独自の文化圏です。
 なんか中国地方ってバラバラですね(笑)
 やえは他の地方の事情は分かりませんが、このような状況で果たして無理矢理に中国地方で1つの行政区分を作る必要性がサッパリ分からないワケなのです。
 
 ここまでするなら、もう国という単位でいいじゃないですかと。
 地理的な意味しか存在しない地方単位で区切るぐらいなら、国という単位で考えた方が全然意味があるコトでしょう。
 国がグラインドデザインを描いて、地域がきめ細かい行政サービスをすると。
 その方がスマートですし、むしろこれの方が真の地方分権なんじゃないでしょうか。
 そこに地方単位の「道州制」は不要としかやえには思えないのです。
 
 ですから、もし本当に地方分権を実現したいと思うのであれば、むしろ藩に戻した方がいいと思います。
 江戸自体のアレです。
 現在の憲法や法律を無視して、無視してと言うか、それらを改正して地方分権を実現すべきだと言うのであれば、もはや「国-藩」という2つの行政区分だけにすればいいんじゃないかとやえは思っています。
 国がグランドデザインを描いて、藩がその地域の特色に合わせたきめ細かい行政サービスを行うのです。
 
 結局いまの日本人の地方の特色というのは江戸時代に完成されたモノと言えます。
 自分の生まれた地方のコトを思い浮かべてみてほしいのですが、例えばやえは広島市内の生まれですけど、やっぱり広島市と、広島県の第二都市である福山市や、軍港として有名な呉市などとは、文化がかなり違います。
 聞けばどこの出身か分かる程、方言も違います。
 これは藩政の区分での分かれ方なんですね。
 また、当時の大名も大きな影響を与えたらしく、徳川時代になってから元々の領地から別の領地に移った際に、その家臣団が大量に移動するモノですから、その元々いた土地の文化や方言も持ち込んで、新しい土地で融合した文化っていうのも、今でも残っているそうです。
 そもそも江戸時代がとんでもなく長い期間平和な時代を築いたワケで、これがいまの日本人の地方の文化を作ったキッカケになったワケなんですね。
 ですから、「地域の特色に合わせたきめ細かい住民行政サービス」を実現するのであれば、地方単位に行政区分を広げるのではなく、むしろ藩ぐらい小さく狭くする方が、行政の目線的にも文化的にも、より良い地方分権が実現できるのではないのかと思うのです。
 
 地方分権という言葉はよく聞きますし、その理念も分からないコトもないのですが、どうもその方法論の部分でいまよく出ている主張には、やえは全然共感が出来ません。
 橋下元知事の主張も、道州制も、広域連携連合も、それが「地方分権」なのかという部分で、やえには疑問しか思えないのです。
 一番いいのは「藩」じゃないですか?
 なぜ地方分権なのに行政区分を広げるのですか?
 果たして、地方分権とは一体なにを実現するための手段なのか、今一度整理して考えて議論してみる必要があるのではないでしょうか。