国会は議論の場であって、勝ち負けの場ではない

2012年4月15日

 国会は議論の場ですよね。
 予算や法案や様々な案件について、政府と各政党が議論をし、その案件の中身についてより理解を深め、問題があればそれを指摘して改善することによって、より良い案にしてから、その結果として最後には決定して国家の決定とする。
 これが国会の役割です。
 そしてこれらのプロセスは全て国民の公開されているモノで、国民に知って貰うべきプロセスであって、国民からすれば知るべき、半ば知る義務があるプロセスなワケです。
 現代民主主義は、政治を他人に託す代議員制です。
 政治における様々な面倒なコトを、職業として専門に政治を扱う人に代行してもらい、その代議員を選挙で選ぶというのが現代民主主義基本的なルールです。
 そしてそれはつまり、政治家に対してはプロセスを代行して貰っているだけであって、議論そのものは国民自身のモノであるワケで、政治家にはただ「代行」してもらっているだけですからね、すなわち国民はそれを知る義務があるとも言えるでしょう。
 国会の議論も、それは全て国民のモノなのです。
 
 それなのになんでしょうか。
 予算委員会とか党首討論とか、マスコミに躍る文字は「総理が優勢だった」とか「野党は攻めきれなかった」とか、いつもいつも勝ち負けでの評価ばかりですよね。
 いつ国会が勝ち負けの勝負の場になったのでしょうか。
 国会はゲームの場でも、スポーツの場でも、戦争の場でもありません。
 議論をするコトによってその問題の理解を深め、齟齬や問題や矛盾や不備を指摘して、それを是正する場です。
 勝ち負けの概念なんてここには無いハズです。
 どうしてそんな表現になるのでしょうか。
 
 こう言う目で政治を見るから、政治がどんどんダメになっていくのです。
 マスコミも、そして国民も、国会をこういう目で見て、結局「勝った方が優秀だ」みたいな価値判断の仕方をしてしまうから、そうなれば当然選挙で勝たなければならない政治家だって「勝ち」を目指すようになるに決まっているじゃないですかと。
 そうして負のスパイラルとなって、政治のレベルがどんどん低くなってしまうのです。
 
 マスコミも国民もキチンと国会の議論、委員会の中身を見て欲しいです。
 議員も、場合によっては勝ち負けでの勝負をしてしまう場面もありますが、そうでない委員会審議もたくさんあって、本当に深い議論をしているコトも少なくありません。
 マスコミも国民もそういうところを見て、そして判断して貰いたいです。
 勝ち負けではなく、その議案に対する深い理解を得るという視点です。
 そしてそういう深い議論こそを判断基準にすれば、勝ち負けの議論なんて無くなって、予算委員会でも党首討論でも、本質的な深い議論が行われるようになるでしょう。
 
 マスコミは「真剣な議論を」とか「揚げ足取りをするな」とか言いながら同じ口でそれらを阻害するコトを言うのです。
 マスコミこそが政治に対するガンと言わざるを得ないでしょう。
 まずはマスコミ上に踊る「総理が優勢だった」とか「野党は攻めきれなかった」とかという表現は即刻止めるべきです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、本当に真剣な国会での議論を応援しています。