手段と目的・院政・死刑廃止論
今日はいくつかの話題について簡単にコメントしたいと思います。
■「手段は正しいけれど目的が間違っている」の方が正しい
手段と目的のお話しについてコメントを頂きました。
政治とはいかに多くの人間を幸せにするか、というものだと思っています
手段が間違っていても目的が正しい
手段は正しいけれど目的が間違っている
この場合は上の方がより上位となるでしょう
手段も目的も正しいのが理想的ですね、
理論上は理想的な支配者の方がいいのは当然の事といえます
広い意味での政治という意味では、どうですかね、「手段が間違っていても目的が正しい」のと「手段は正しいけれど目的が間違っている」ではどちらが正しいか、どちらが上位かと決めるのは、難しいと思います。
この命題というのは、革命やクーデターによって多くの血が流されたとしても政治体制を変革させるコト、そしてそれを認める社会を作っておくコトが、最終的に国民のため人間のためになるかどうか、というかなり究極的なお話しですから、将来のコトまで考えるとなかなか難しい命題です。
理想的な支配者が現れる確率と、その次の代はどう継いでいくべきなど、問題も多いですからね。
特に日本においては、クーデターはあっても革命というのは有史以来発生したコトがないワケですし。
で、これが現代の日本においてはって話になりますと、これは明確に「手段は正しいけれど目的が間違っている」の方が上位になります。
なぜなら、目的が主義主張や思想になりますと、それが本当に正しいか間違っているかなんてコトを普遍的な定義として定めるコトなんて出来ないからです。
なかなか世の中、これが正しいと全ての人が認めるような価値観は、そうは多くありません。
その上で、その主張をしている本人はもちろん自分の考えが正しいと思っているワケですから、そのギャップをどうするかという問題です。
それが「手段」なんですね。
すなわち、「こういう手続きを踏めば貴方にその考えを実行する権利を与えましょう」というのが民主主義なワケです。
選挙であったり法令で権限が大きくなりすぎないよう抑制していたりですね。
普遍的な思想的価値観を定めるコトができないからこそ、手段・手続きによって一定の定義を定めるコトによって、万人に対する普遍性を担保しようとしているワケです。
その中で目的を達成するなら許容しますよと。
だから現代日本においては、とにかく手段は正しくしなければならないのです。
それが「前提条件」なのです。
前提条件を満たさないのであれば、あとは全て否定するしかないと、そういうお話しなのです。
■橋下市長「僕は(調査内容は)全く問題ないと思っている。(凍結は)野村顧問の判断だ」
記事をご覧下さい。
大阪市、職員への組合・政治活動調査を凍結
大阪市の職員約3万4000人に実施されていた組合・政治活動実態調査について、調査を担当する市特別顧問の野村修也弁護士が17日、市役所で記者会見し、寄せられた回答の開封や集計を凍結することを表明した。
「思想・信条の自由を侵害し、組合運営に介入する不当労働行為だ」と反発する市労働組合連合会(市労連)などが大阪府労働委員会に救済を申し立てたことを踏まえ、「当面は推移を見守ることが妥当」と判断した。
府労働委員会は22日にも調査の一時差し止めの可否などを判断し、さらに数か月以上かけて調査中止を市に命じるかどうか最終決定する見通し。事実上、回答結果は集計・公表されない公算が大きくなった。
この日の会見で、野村氏は「残念だが、(府労委の)法的手続きが開始された以上、調査は凍結する」と説明。現時点で職員の回答率を含めて一切集計していないとした。ただ、組合の政治活動などについては、職員から内部告発を受けていることを明かし、実態解明は今回の調査とは別に継続する考えを示した。
凍結について、橋下市長は報道陣に、「僕は(調査内容は)全く問題ないと思っている。(凍結は)野村顧問の判断だ」と述べた。
橋下市長が特に公務員組合の政治活動・選挙活動について、最終的にはこれを潰す気なのでしょうけど、その前段階としての調査に関する記事です。
もちろん公務員の公務中の政治・選挙活動は認められていませんからこれは厳格に禁止すべきだと思いますが、ただそれを業務命令で調査するという行為について疑問が呈されたワケです。
まぁその是非は、やえはぜひとも裁判によって明らかにしてもらいたいと思うのですが、この記事において気になったのがこの点です。
凍結について、橋下市長は報道陣に、「僕は(調査内容は)全く問題ないと思っている。(凍結は)野村顧問の判断だ」と述べた。
んー?
橋下さんが調査をやれと言い出して、しかし凍結したら現場の責任にするのですか?
んー?
やえこの前なんて言いましたっけ。
「例えば大阪維新の会が国政で与党になったとして、しかし政策が実行できなかったとしても、橋下さんとしては「政策が間違っていたのではなく、議員が力不足だったため」と言えてしまう構図を残してしまいます」って言いましたよね。
あれー?
念のためにもう一度言っておきますよ。
なぜ院政がダメなのかと言いますと、最も権力を持っている責任をとらなければならない人間が後ろに隠れるコトによって、権力は持ちつつ責任は別の人間に押しつける形になってしまうからです。
こんな歪んだ形は許してはならないでしょう。
はい。
■だから死刑を廃止すべきっていう論拠を示してください
こちらの記事をご覧下さい。
元少年の死刑に反対=国民新・亀井氏
国民新党の亀井静香代表は22日の記者会見で、山口県光市で起きた母子殺害事件で元少年の死刑が確定することに関し、「どんな犯罪者の命であっても尊い命であることには変わりない。それを国家権力が奪うことは、私としては許し難い」と、反対する見解を示した。亀井氏は「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長。
亀井静香ちゃん先生が死刑廃止論者っていうのは有名で、著書も出されておられますから過去にやえも買って読んでみたコトもあるのですが、それでもやっぱり死刑廃止論の論拠が分かりませんでした。
今回のこれもそうです。
「どんな犯罪者の命であっても尊い命であることには変わりない。それを国家権力が奪うことは、私としては許し難い」なんて、これ全然論拠になってないんですよね。
命が尊いというのは、これは完全に主観です。
なぜなら、「なぜ尊いのか」という論拠がさっぱりないからです。
命が尊いというコトを自分で勝手に定義して、それを聖域化して論拠に使うというのは、これはほとんど詭弁としか言いようがありません。
もしくはマッチポンプかですね。
例えば、「人間は生まれながらに自由という尊い権利を有するから禁固刑はあってはならない」なんて言ったらどうでしょうか。
もし「尊い」という主観的な理由が誰にも犯すコトのできない神聖不可侵な概念になり得るのであれば、この論だって守らなければならなくなります。
こういうコトだって言えますよ。
「亀井静香は存在が尊いので終身国会議員にすべきだ」
バカバカしいですね。
この論を正当化するためには、まず「なぜ尊いのか」という論拠を示さなければならないでしょう。
よって「尊いから」というのは、死刑廃止論の論拠にはなりません。
このように、やえは一度として死刑廃止論のまともな論拠を見たコトがありません。
ディスカッション
コメント一覧
なんどもの質問にお答えいただきありがとうございます。
おかげで自分が勘違いしている理由が理解できたと思います。
あんまり自信はないけども…
今回の件は野村氏橋下市長お二人が調査は継続と仰られているので、アンケート調査は調査作業の中のいち作業と思っておりいち作業であるなら現場での判断に任せても問題ないのではと思っていました。
やえさんの書かれておられる「調査をする/しない」は
今後も調査は継続ということなので調査自体の「する/しない」の判断は発生していないと思いますので、今回の件であるアンケート調査自体の「する/しない」で、なおかつ中止ではなく推移を見守る為の凍結という一時的な判断においても橋下市長が責任をもって判断を下さなければならないということですね。
あの、すみませんが何度も言ってますように、「調査をする/しない」の問題と、「調査をした上での結果の内容」については別問題です。
まずここを理解してください。
zaxsさんはここがごっちゃになっているようで、責任の問題もごちゃまぜになっています。
いいですか。
調査を実施するっていうコトは橋下さんが独自に決めたコトです。
橋下さんが「調査しろ」と言わなければ開始されなかったコトです。
橋下さんが市長としての権限(というか権威ですね)において調査を命令したのです。
ですから、調査の開始と凍結については全て橋下さんの責任です。
ここに調査内容は関係がありません。
橋下さんが「調査しろ」と言わなければ調査は存在すらせず、野村顧問の存在もここの場面においては出て来なかったのです。
「調査の実務主体が野村氏というだけ。全責任と全権限は僕にある」
このセリフはそれを指し示しています。
調査という存在については橋下さんに全責任があると確認したコトです。
こんなコトはいちいち言わなくても当然のコトです。
自分で「調査しろ」って言ったのですからね。
その実行者として野村顧問が出てきただけです。
ただの実行者です。
決定権者ではありません。
野村顧問は、「調査を開始する」という前提があって、それ以外の部分についての権限を橋本さんから委任されたのです。
これは全て橋下さんが調査しろと命令したから始まったのであり、野村氏の行動は全て橋下さんの命令が前提となっているのです。
橋下さんの命令がなければ、野村弁護士はここでは登場しなかったのです。
「調査をする/しない」の問題と、「調査をした上での結果」は、次元が違うのです。
ここを理解してください。
「調査をした上での結果」とは、「調査をする/しない」の下に位置する概念なのです。
「調査をする/しない」が決定しなければ、「調査をした上での結果」は出てきません。
このふたつの責任問題は全く別問題なのです。
橋下さんの責任は、まず「調査をする/しない」の部分にあります。
調査を命令したのは橋下さんなのですから、その「調査をする」という決定を覆す決定も橋本さんにしか本来はできないのです。
「自分が承伏できない結果でも第三者チームにお任せしている以上はその判断に従います。」
という台詞は、それを踏まえた上で、調査の開始は自分の責任で命令するけど、その上で出た結果については自分の納得できないモノでもあっても従うよ、と言っているのです。
「従います」という台詞は「調査をする/しない」にかかる台詞ではありません。
調査をした上での結果」に「従います」です。
橋下さんが調査の開始は命令して、しかしその内容まで橋下さんが関与すれば、調査の内容についても橋本さんに一方的に有利になる可能性があるから、内容の部分についてだけは橋本さんの手でないところで行いましょうというコトです。
かなりしつこくなりますが、繰り返します、ここ理解してください。
調査を命令したのは橋下さんです。
橋下さんが命令しなければ、調査は行われません。
調査は橋下さんがしてもいいのですが、しかし内容については公平性を担保するために第三者委員会に委託しただけです。
この調査会、別に法的根拠があってやっているモノではありませんから、橋下さん自身が調査してもいいんですよ。
でもやりませんと言う。
それはなぜかと言うと、法的根拠が無いからこそ、誰の目から見ても公平になるようにと橋下さんが自分で気を使って第三者調査会に調査を委託したのです。
ですから、「調査会の判断でもし自分が納得しないなら従わないよ」と言っても、別に問題は無いのです。
法令で定められてい調査ではないですからね。
でもそうすると「世間」が納得しないから、橋下さんは結果が出る前に「その判断に従います」と約束しているワケです。
調査の存在は橋下さんの命令から始まったのですから、橋下さんの責任なのです。
内容の結果がどんなモノが出のかという問題とは、全くの別次元だというコトを理解してください。
調査自体が違法かどうかの問題は、すべて調査の開始を命令した橋下さんにあります。
今の問題は、調査をするっていうコトが違法なのかどうかが問題になっているのです。
内容には違法性も何もありません。
それはただのデータに過ぎないのですからね。
調査するコト自体、ひいてはそれを公開するかどうかが問題なのです。
この権限は全て橋下さんの責任であって、これを凍結するのであれば橋下さんの責任で行われなければならないのです。
決して他の人に転嫁できるモノではありません。
この問題は、「調査をするっていうコトが違法かどうか」です。
内容には一切触れません。
関係がありません。
ですから、内容については忘れてください。
考えないでください。
内容は関係ありません。
あくまで「調査をする」っていうコトが違法なのかどうかです。
>市長が調査をすると憲法に抵触する可能性があり調査内容を把握していない橋下市長が判断するよりも、
>第三者チームの判断に従うのは正しいしそれを説明しているだけに思います。
これはかなりごっちゃになってしまっている考え方です。
違います。
市長が自ら調査しようが、第三者機関が調査しようが、市長が市長として役人の身上調査のような調査命令をするコト自体が違法化どうかなのです。
もしこれが裁判所によって違法と認定されれば、市長が自ら調査しようが、第三者機関が調査しようが違法です。
第三者機関のクッションがあるとかないとかは一切関係がありません。
あくまでここは市長が市長として調査開始の命令をしているコトが問題になっているのです。
もしこれが、第三者機関が独自に、誰にも支持されずに勝手に調査し始めていたのであれば、橋下さんには責任がありません。
その場合は第三者機関のリーダーに責任があるコトです。
でも違います。
今回の件は、橋下さんが言い始めて始まった調査なのです。
「橋下調査」なのです。
調査の手足となる人は責任問題には関係がありません。
「橋下調査」いえ、「市長調査」だからこそ違法なのかどうかが争われているのです。
ここを間違いないでください。
調査をするっていうコトが違法であれば、それは調査をしろって命令した橋下さんの責任です。
そして「違法かもしれないから凍結した」って言うのであれば、それも橋下さんの責任です。
他の人に押し付けられる責任ではないのです。
内容ではないのです。
「調査をする/しない」の問題なのです。
ここをキチンと分けて正しく考えてください。
毎回丁寧なお返事ありがとうございます。
今回の件は責任問題ということですね。
橋下市長は14日に
「調査の実務主体が野村氏というだけ。全責任と全権限は僕にある」
と言っていますがこれは最終的全責任は橋下市長がとるということだと思うのですが、
コレを踏まえて上記の貼った台詞とあわせて考えると
「この問題に対しての全責任は私にあり、
自分が承伏できない結果でも第三者チームにお任せしている以上はその判断に従います。」
ということではないのでしょうか?
市長が調査をすると憲法に抵触する可能性があり調査内容を把握していない橋下市長が判断するよりも、第三者チームの判断に従うのは正しいしそれを説明しているだけに思います。
基本的には橋下市長は全責任は自分にあるとした上で発言していると思うのですが、
以前の発言は次の発言では考慮してはいけないみたいな決まり事とかあるのかな?
今回の発言、橋下市長が全責任をとると明言しているとしたうえででも
責任転換になるということでしょうか?
それとも全責任は僕にあるという発言はなかったこととして判断されるのでしょうか?
あったとするなら言い方が悪かったという問題だけになってしまうと思うのですが。
本当に正しいか間違っているか、は結局のところ結果をみないとわからない事もあるでしょうね
目的が間違っている=国民の幸せを無視もしくは害する事 は手段が正しかろうと論外だという話です
個々の例は複雑になってくるでしょうけど大雑把な考え方としてはこうなります
普遍的な定義とは国民が幸せに豊かになっているかどうか、ではないでしょうか
民主主義というシステム上の手段が正しくそれを遵守すべきだというのもわかります
この国の民主主義的な建前ではやえさんが正しいわけです
私はそもそも民主主義よりも前の建前を語っているだけですね
制度政体が違おうとも国家の存在意義は国民の安泰と幸福なのですから
すみません正確なインタビューの台詞はこっちでした。
「僕は全く問題ないと思っていますが、野村顧問が弁護士として、法律家としてご判断されたことだから、それは野村顧問のご判断で止めるということであれば、顧問にお任せしている以上は、そうするべきなんでしょうね」
▼Twitter / @asahi_hb: 大阪市職員のアンケートに関する発言をツイートしていき … https://twitter.com/#!/asahi_hb/status/170530499985547264
コメントありがとーございまーす。
念のために繰り返してきますが、調査の内容については橋下さんが感知するところでない仕組みでいいと思います。
そしてその内容について橋下さんがどうコメントしようが自由でしょう。
例えば調査の結果、役所職員には一切問題は無かったと出たとしても、そしてそれについて橋下さんが反発するコメント出したとしても、それは議論すべき問題であり、最終的には裁判によって決着すべき問題だと思います。
そこは院政とは全く関係のないお話しです。
しかし、調査というモノを実行するというコト自体は、これは橋下さんの発案であり決定です。
調査をする/しないの判断と決定ですね。
この部分において、橋下さんは他人に責任を投げてしまいました。
自分でやれって言った以上は、凍結するのも橋下さんの責任でしなければならないのです。
なのに橋下さんは「野村顧問が言ったからやめただけ。自分は問題ないと思っている」と、まるで子供のように責任を他人に押しつけてしまいました。
自分は悪くないと言っているのです。
これが良くないです。
仮に「調査する/しない」の問題で裁判になったとして、そして調査が違法だと裁判所が決定を下した場合、その責任を負うのは橋下さんです。
決して野村顧問ではありません。
しかしこの言い様は、野村顧問に責任を押しつける言いようではありませんか。
ここで一言「裁判所の勧告に従い凍結するコトを自分の判断で決定した」と言えばいいのです。
なぜ他人のせいにするのでしょうか。
そしてこの構図が出来るシステムを作っているコトが院政だと、院政の最も悪い部分が出てしまったと、そうやえは指摘しているのです。
お返事ありがとうございます。
野村氏が判断と書かれていたので最終決定は橋下氏がしたものだと思っていました。
第三者チームに任せず最終決定は橋下氏みずからしないといけないということでいいのかな?
でも橋下氏は独裁と言われていますが現場の意見もちゃんと聞くんですね。
一応ほんとうのインタビューの台詞はこれみたいです。
「全く問題ないと思っているが、野村特別顧問に任せている以上そうすべきなのだろう」
▼時事ドットコム:政治活動アンケート、開封を凍結=野村特別顧問が発表-大阪市 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012021700902
おはろーございます。
第三者チームは、あくまで調査の内容について公平性を担保するチームです。
調査自体をすると発案し決定したのは橋下さんですよね。
もし違うなら教えていただきたいのですが、この調査チームとは、法令か条例かなにかで常設されていて通常業務として調査が行っていたワケではなく、これは橋下さんがやれと言ったから調査チームが結成されて、橋下さんの命令の下で始まったモノですよね。
ですから、調査チームが担保するのはあくまで中身であって、その中身が橋下さんの承伏できないモノであってもそれは仕方ないコトだと思いますが、調査自体をやるやらないという権限は橋下さんに帰するモノです。
凍結するならやっぱりその責任は決定権者の橋下さんが負わなければならないハズです。
やれやれと言うだけで、その後の結果については他人に投げ捨てるっていうのは、民主主義政治においては最悪の部類に属するモノと言わざるを得ません。
はじめまして読んでいて解らないところがあったので質問ですが、
調査は第三者調査チームでおこなわれていて
第三者調査チームとは公平性を保つための市と関係のない第三者なわけで
そこにお願いをして調査は凍結という結論になったということは
「野村顧問の判断だ」というのは
ちゃんと公平に第三者調査チームの意見を受け入れたということであり
責任問題とはまたべつではないでしょうか?
亀井静香氏の命は尊い、というのは、その通りだと思うんですよ。しかし、死刑判決が下されるのは、その尊い命を二つ以上奪ってしまったからというのが現状です。命を奪われてしまった親族に掛ける言葉としては不十分だと思います。