首相公選制は魔法の装置ではない

2012年4月15日

 やえには首相公選制のなにがいいのか分かりません。
 もちろん制度の問題というのは一長一短であり、首相公選制も議院内閣制に比べて優れている点はあろうかと思いますが、しかし当然デメリットもあって、そう考えた時に、なにがなんでも首相公選制に移行すべきだというような論調には首をかしげてしまうのです。
 首相公選制のなにがいいのか、どの辺にメリットがあるのか、そこがよく分からないのです。
 と言うか、首相公選制を主張している人というのは、どの辺のメリットに着目して、いまはそれを選択すべきと言っているのかが分からないのです。
 なんとなく、総理大臣は直接選挙で選びたいなぁと、そんなぐらいで「首相公選制にすべきだ」と言ってはいないでしょうか。
 果たして首相公選制のどの部分を指していま選択肢べきだと言っているのでしょうか。
 
 そもそも、最近よく言っているコトですが、残念なコトにいまの国民は立法府と行政府の違いを明確には理解していません。
 首相公選制を仮に採ったとしても、総理大臣は行政府の一員であり、大臣も等しく内閣の一員であるコトには変わりがありませんし、ましてこれが大統領制になったとしても、大統領はあくまで行政府であって立法府ではありません。
 そしてその大統領にしても内閣や総理大臣にしても、その権限というモノは立法府で定められた法律の中でだけ揮える権限がある、法律に明記されたコトしか出来ない、という三権分立の大原則をキッチリと理解している人が残念ながら少ないとしか言いようがないのです。
 公選制で選ばれた首相は、大統領は、その座にいるだけで何でもできる存在だと、国民はそう思ってしまってはいないでしょうか。
 
 例えばいくら総理大臣であったしても、警察に捜査令状無しに一般家庭に押し入って物品を押収したり逮捕監禁しろという命令は下せません。
 なぜなら、そんなコトが出来る権限は総理大臣には無い、もっと詳しく言えば、そんなコトが総理大臣に出来るという法律が存在しないからです。
 でも、総理大臣になればなんでも出来るとか、知事や市長になったらなんでもできるとか、そう無意識なところでも思ってしまっている人ってけっこういますよね。
 総理に法律を超えるような要求をする人がいたり、野党に行政マターの行為を求める人がいたり。
 正直なところ、政治家の中にもそう思っていた人というのは、少なくないと言わざるを得ない残念な状況です。
 
 特にこれが首相公選制となれば、選挙の際には完全に行政のお話と立法のお話とは別になってきます。
 いまの国政選挙は国会議員という立法府の一員を選ぶ選挙ですから、選挙の際の立法行為の主張は不自然ではありません。
 憲法を改正しますとか、法律を改正して郵政を民営化させますとか、こういう主張は立法府マターのお話ですが、立法府である国会議員を選出する選挙においては、これは公約として成立します。
 しかし首相を選ぶ選挙となれば、首相に限っては行政府を選ぶ選挙ですから、ここでいくら立法のお話をしても全く無意味なのです。
 立候補者も、求める国民もですね。
 この違いを政治家も国民もキチンと理解して、その上でちゃんと切り分けて考えられる人っていうのは、果たしてどれくらいいるのかは、疑問としか言いようがないのではないでしょうか。
 
 さらに言えば、首相公選制はねじれますよ。
 簡単なお話です。
 総理大臣と議会は別の選挙で決めるのですから、首相選挙の時はA党の人が勝ったとしても、国会議員選挙の時はB党が過半数を取ったとなれば、これだけであっさりとねじれてしまいます。
 しかもいまはまだ衆議院の優越があるので衆参でねじれても予算案など最低限のコトは通せますし、法律だってねじれてから1本も通らないなんてコトにはなっていないワケですが、例えば首相の時はA党だったのに、その後の国会議員選挙でB党が最大会派を取り、さらに第2会派はC党で、A党なんて箸にも棒にも触れない結果になってしまったなんてなったら、これは大変なコトになってしまうでしょう。
 議会はオール野党なんて有様になったら、果たして国政がまともに動くのかどうか、予算案ですら通るのかどうか、大変危険な状況になってしまうでしょう。
 
 どうも首相公選制を叫ぶ人の中には、現状の「ねじれ」を打破しようっていう論拠を掲げている人もいるワケですけど、しかしねじれの観点から言えば首相公選制はむしろ悪化させる方向にしかなりません。
 現状は必ず衆議院の過半数をもっているところから総理が出るようになっているからこそ、いまの程度のねじれで済んでいると言えるのです。
 首相公選制にすると最悪のねじれの可能性があるというコトは、これは事実として指摘しておきたいと思います。
 
 安部総理からずっと約一年ごとに総理大臣が変わってしまっていますが、結局これも国民の意思ですよね。
 その総理はもうイヤだって国民がうんざりしたから辞めさせたのです。
 でもそれは特にシステムに拠る辞任ではなく、あくまで国民の声というモノに推されての自発的な辞任です。
 もしですよ、これが首相公選制の場合であったらどうなるのでしょうか。
 総理が辞任したら、それは即選挙というコトに他なりません。
 国会議員の中から選出しましょうっていうコトにはならないのですから、これは大変です。
 しかもしかも、いくら総理を選ぶ選挙をやり直して新しい総理を選んだとしても、それでは議会の勢力は全く変わらないのです。
 大変ですよ、これは。
 だから首相公選制を採用するというのならせめてですね、立法府と行政府の違いがキチンと国民の大部分の中で理解されるようになり、そして今の制度であっても一定期間はどんな総理であったとしても我慢できるメンタリティを確立させる必要があるのではないでしょうか。
 やえは、菅直人みたいな人が総理になってしまった場合はさっさと代わってもらった方がいいと思いますので、この観点からすればいまの制度のままでいいと思っていますけどね。
 
 少なくとも「首相公選制」は、現状の全てを打破する、政治を一気に良くするかのような魔法の装置ではありません。
 首相公選制と言えば優れた提案をしているかのように扱う雰囲気が最近ありますが、まずはここのところをハッキリと認識しておくべきでしょう。