皇統問題Q&A 男系がルールと言える証拠は? 2-2

(つづき)
 
 最後です。
 「そもそも他戸親王のコトを事実誤認している」です。
 これは男系の議論とはあまり関係の無いコトですが、事実誤認なので指摘しておきましょう。
 光仁天皇の時に立太子された他戸親王は、神武天皇家の男系男子ですよ?
 

 光仁天皇見たけど、最初は女系の子供を皇太子にしてた。

 と、ウィキペディアを引用されていますが、よく読んでください。
 ウィキペディアに「女系」という文字があったので飛びついてしまったのかもしれませんが、他戸親王はあくまで天武天皇系としては女系である、というコトを書いているだけですよ?
 神武天皇の女系ではありません。
 他戸親王は男系男子であり、仮に天皇に即位していたとしてもそれは今までのルールから1ミリも逸脱していない、男系による継承が行われていました。
 いまの議論というのはあくまで「神武天皇家の男系」という論点ですから、「他戸親王は女系だ」というのは全くの事実誤認であり、今回の議論とは全く関係のないお話なのです。
 

 神護景雲4年(770年)、称徳天皇が崩御する。独身の女帝に後継者はなく、度重なる政変による粛清劇によって天武天皇の嫡流にあたる皇族がいなかった。ただ、井上内親王は聖武天皇の皇女であり、白壁王との間に生まれた他戸王(他戸親王)は女系ではあるものの天武天皇系嫡流の血を引く男性皇族の最後の一人であった。このことから天皇の遺宣(遺言)に基づいて立太子が行われ

 
 これは同じページにある皇統譜を見ても明らかです。
 よく見てください。
 確かにちょっと分かりにくい文章ではありますが、ここで立太子が行われたのは他戸王(他戸親王)であり、この方は白壁王(後の光仁天皇)と井上内親王との間に生まれた子でして、そして井上内親王は聖武天皇の子である天武天皇系の血筋であるので、よってその子である他戸親王は天武天皇系の血筋を受け継いでいるというコトがここで書かれているのです。
 そして、他戸親王の父親である光仁天皇は天武天皇系ではないので、他戸親王は天武系で考えれば母親からの血筋でしかなく、よってこの血のあり方を「女系」と表現しているワケなんですね。
 しかしここで書かれているのは、あくまで天武天皇を起点とした考え方、天武系の中のお話です。
 そうでしかないのです。
 よって天皇の継承問題である「神武天皇家の男系の血筋かどうか」という議論においては、ここはまったく関係の無い個所でしかありません。
 
 実はこの点というのは、男系とか女系というモノを正しく理解していればすぐ分かるコトです。
 例えば井上内親王は天武天皇系で言えば、男系の皇族となります。
 皇統譜を見てください。
 井上内親王の父親は聖武天皇であり、その上はずっと父親だけで天武天皇に繋がります。
 一代天皇でない父親(草壁皇子)がいらっしゃいますが、男系という考え方には「必ず天皇でなければならない」というモノは含まれていませんので、関係がありません。
 あくまで「父親で繋がる」というのが男系ですから、よって井上内親王は天武系男系女子皇族なのです。
 しかし他戸親王を見れば、他戸親王自身は父親は天武系ではなく、母親でしか繋がらないので、これをもって「女系」と表現しているのでしょう。
 正直これを「女系」と表現するのは適切ではない気もするんですが、「他戸親王は天武天皇の男系ではない」と表現する分には事実です。
 
 ですから、キチンと「男系」というモノを理解していれば、そもそも他戸親王について誤解するハズがないんですね。
 だって他戸親王の父親は光仁天皇という天皇なのですから、親王と表現している時点で男ではあるのですが、他戸親王が男であろうと女であろうと「神武天皇家の男系の人物」であるのは確定なのです。
 これはもう考えるまでもないコトなんですね、男系というルールをキチンと理解していれば。
 ちょっと辛辣な表現になってしまって申し訳ないのですが、正直、いくら読み間違いをしたとしても、「光仁天皇の子である人が東宮になった」という事実を前にして「女系である」と誤解するのは、ちょっと普通では考えられません。
 もし男系というルールをキチンと理解していれば、この場合、書いてある方を間違いだと読み直すか、それとも自分が別の意味で読み間違えているのか、どちらかを疑って確認するでしょう。
 光仁天皇が天皇でなければ、というのも変な表現ですが、であればまだ間違えても仕方ないと思う部分もあるのですが、でもさすがにこれは無いですよ。
 
 光仁天皇は天武系ではなく、しかしその皇后の井上内親王は天武系であったので、その子である他戸親王は男系では無いけど天武系の血は引いているので、神武天皇家としてのルールには関係はないけど、天武系の血を残しておきたいという願いから他戸親王を東宮にした。
 
 というのがこの場合の正しい表現と言えるでしょう。
 結局この例を見ても、一番の下地にあるのは神武天皇の男系の血を引き継いでいるという事実なのです。
 他戸親王を天皇にと望んだ理由は、これがまず下地として絶対のルールとして存在している上で、天武系等のその他の付加価値を色々と付け加えようとしただけなのです。
 そしてその付加価値は、絶対のルールではありません。
 事実、他戸親王は天皇に即位されず、そして天武系でない、しかもいわゆる「天智系」である(光仁天皇も天智系であり、それ以降現在の天皇も天智系です)桓武天皇が次の天皇として即位されたのです。
 
 よってですね、この光仁天皇とその東宮との例も、実は「神武天皇家の男系のルール」の強力な状況証拠なんですね。
 コメントをしてくださった方はこの事例を持って「男系が続いたのは「たまたま」じゃ?」と結論を出していますが、全然逆ですよ。
 むしろこの事例は、本来は天武系を残したいという当時の強い思いがありながら、でも「神武天皇系の男系のルールだけは絶対に護らなければならないので、天武系は断念した」というのが事実なのであり、つまりは男系は絶対であるという何よりの証左ですよね、これ。
 天武系と天智系の対立というのは当時はかなり激しいモノがあったワケですが、しかしそんな権力争いよりも、さらに上の概念として存在しているのが「神武天皇に連なる男系の血筋」だという考え方なのです。
 このルールだけは、時の為政者が権力者が、そして天皇であろうとも、変えるコトの出来ない絶対のルールだったのです。
 
 歴史が証明しているのです。
 
 天皇の歴史を見れば、どこを見ても「神武天皇の男系が絶対のルール」と思うしかないのです。
 やえは結論を先に持ってきて論拠を言っているのではありません。
 どこをどう見てもそう思うしか無いので、そう言っているのです。
 それ以上の理由はありません。
 むしろこれらを「たまたま」と言う方がどう見ても不自然です。
 むしろなんでこれを「たまたま」だと言えるんですか?
 「ひいひいお爺さんの兄弟の孫」という、とてつもなく遠い血筋、これはもはや他人と表現するしか無いような関係の人に継承しても、それを「たまたま」と言うのですか?
 これはもう日本人の普通の感覚からしたらあり得ないですよ。
 
 しかもこういうのは1度だけではないのです。
 様々な難しい局面、それは48代称徳天皇と49代光仁天皇の間だけではなく、今回の光仁天皇と他戸親王の立太子の件もありますし、他にも不自然な継承はいくつかあります。
 これを目の前にして「たまたま」というのは、別の意図があるとしか言いようがありません。
 もしこれを「たまたま」だと言うのであれば、キチンとした「歴史の事実」を持ってきてください。
 
 なにより「神武天皇家の男系でない人が天皇に即位した証拠」を持ってきてください。
 それがあれば、やえは「男系が絶対のルールだった」とは言いません。
 それだけのコトです。