皇統問題Q&A 男系がルールと言える証拠は? 2

2012年5月24日

 このようなコメントを頂きました。
 

 継体天皇は出自が怪しいから却下。学説も色々あるし。
 光仁天皇見たけど、最初は女系の子供を皇太子にしてた。男系にこだわりあるなら皇太子にしないでしょ。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E4%BB%81%E5%A4%A9%E7%9A%87
 男系が続いたのは「たまたま」じゃ?

 
 このコメントについては3つの観点があります。
 「継体天皇の存在の意味を読み間違えている、理解し間違えている」
 「天皇継承問題を考えるのに、論理として飛躍してしまっている」
 「そもそも他戸親王のコトを事実誤認している」
 です。
 順に説明していきましょう。
 
 まず、「継体天皇の存在の意味を読み間違えている、理解し間違えている」です。
 
 これは前回書いた通りなのですが、男系を考える上での継体天皇の存在の意味というのは、出自が怪しいからこそますます男系が絶対のルールだったという証明になるのです。
 正直「継体天皇は出自が怪しいから却下。学説も色々あるし」としか書いていないというのはやえの文章をキチンと読んでいない、内容を理解していただいていないとしか言いようが無いのですが、よくよく考えてみて下さいよ、なんで出自が怪しいのに、怪しいにも関わらず、皇統譜に「正史」に継体天皇が存在していると思いますか?
 もしですよ、男系が絶対のルールで無ければ、出自が怪しいのであればもっともっともらしい出自にすればいいじゃないですか。
 というか、男系が絶対のルールでなければ、そんな出自の怪しい人を地方からわざわざ連れてこなくても、先代の武烈天皇の女の兄弟の方を天皇にすればよかったじゃないですか。
 
 継体天皇の出自が怪しいのは別にここで議論はしません。
 それは学者の方にお任せします。
 でも、「正史」では継体天皇は天皇として連なっており、そして「応神天皇5世の孫」だと皇統譜に明記されているという事実が、この事実が「男系議論」の場合においては何よりも大切なのです。
 本当は出自はあやふやなのに、それでも「応神天皇5世の孫」にこだわったんですよ?
 正史は皇統譜は、近親の血よりも、なにより「応神天皇5世の孫」にこだわったのです。
 
 この「正史の事実」「皇統譜の事実」を見て下さいというコトなのです、この継体天皇のお話は。
 継体天皇の存在や出自の事実は、それは「男系が絶対のルールかどうか」という議論には一切関係の無いお話です。
 言ってしまえば、本当に継体天皇が「応神天皇5世の孫」かどうかという問題すら、「男系が絶対のルールかどうか」の議論には関係が無いと言えます。
 仮にもし本当に継体天皇が「応神天皇5世の孫」で無かったと科学的に証明されたとしても、しかしそれは逆に、であるにも関わらず正史では継体天皇が「応神天皇5世の孫」と書かれたのは「男系が絶対のルール」があったからこそだという、補強する事実にしかならないでしょう。
 この場合、現代の天皇は神武天皇家ではなく継体天皇家になってしまいますが、しかし「男系が絶対のルール」として護っていこうという意志・ルールがあったコトは否定出来ない、むしろ存在がハッキリする理由にしかならないのです。
 ここのところを間違いないで下さい。
 「男系が絶対のルールかどうか」という議論の中における継体天皇の存在の意味は、出自が怪しいかどうかは関係が無いのです。
 もう一度よくよく読み直していただき、考え直していただければと思います。
 
 
 次です。
 「天皇継承問題を考えるのに、論理として飛躍してしまっている」です。
 

 光仁天皇見たけど、最初は女系の子供を皇太子にしてた。男系にこだわりあるなら皇太子にしないでしょ。

 とのコトですが、なぜ継体天皇は出自があやふやと天皇のコトであるのに論拠として否定しつつ、皇太子の問題は皇太子であるのにも関わらず論拠として上位に持ってきてしまっているのですか?
 いまは「天皇の継承の問題」を考えているんです。
 ですから、正史としての皇統譜の上で天皇として連ねられているという事実こそが大切なのであり、もちろん皇太子……やえは東宮と呼ぶべきだと思っているんですが、東宮の問題も軽いとは言いませんが、それでも天皇に連なっているというコトよりはどう考えても論拠としては確実に下ですよ。
 
 近代以前の世界というのは天皇の継承も大きな政治問題として、時の為政者にとっては大きな意味を持っていました。
 特に天皇親政の平安以前は、天皇の継承は政治そのものと言ってもいいぐらいです。
 その中で、例えば当時随一の大きな力を持っていた豪族や貴族の力をおそれ、また押さえ込むために、とりあえず東宮にはこの人を立てておいて、でももう少し時間が経った後に別の人を天皇として立てる、なんてコトだってあり得たコトでしょう。
 実際に、東宮になった方が必ず天皇になっているというワケではありません。
 特に古代なんて、天皇や東宮ですら暗殺や粛正の対象だったワケで、記録に残っていないだけで実際どのようなコトが起こったかなんて分からないような事実も実際にはあったコトでしょう。
 そんな中で、結局天皇にならなかった方の例を持ち出されても、それはどう考えても天皇に連なっている方の例よりも論拠として上位になるコトなんてあり得ないワケです。
 
 この議論の中では、この順番を時々メチャクチャに振りかざす人が出てきてしまうんですね。
 「天皇」の「男系」の「継承」についての議論をしているのに、天皇ではないお話や、男系では無いお話や、継承では無いお話を持ち出して、さあこういう事実があるんだから男系は絶対では無いと、そう言う人がいます。
 これはもうこの議論に関わらず、議論というモノに対して理論破綻しているとしか言いようがありません。
 論拠はそこには無いからです。
 この前も言いましたように、例えば小林のよしりん先生は女の親子間で天皇が継承されたから女系継承があった、だから男系は絶対では無いとそんな理屈をこね回していましたが、事実はどちらの天皇も神武天皇家の男系に連なる方であり、男系のルールには何の問題なく合致する方々です。
 この「男系のルール」というのは、その継承される方が「男系の方かどうか」がルールなのであって、親子間の関係性はルールではないんですね。
 それなのに、全く別のルールを持ち出して、男系が続いているという事実を無視して、さあこっちのルールの方が上位だと、この理屈の方が「男系で続いている」より上位だと言い張ってしまっているワケで、もうこんなのは理論破綻だとしか言いようがないのです。
 言ってしまえば、論拠を別のモノにスライドさせて自分の論を正当化させるという、詐話と言わざるを得ない、そういう卑怯な論法なのです。
 
 いまは「天皇の男系の継承」についての議論をしているのです。
 ここを基準にして考えれば、なにが論拠としての上位になるのか下位になるのか、キチンと論理的に考えられる人ならすぐに分かるコトでしょう。
 別のお話が一切の論拠にならないとは言いませんが、さすがに「正史に天皇として連なっている方」と「天皇にならなかった東宮」とでは、論拠の上下は明らかだと言うしかありません。
 
 
 最後です。
 「そもそも他戸親王のコトを事実誤認している」です。
 これは男系の議論とはあまり関係の無いコトですが、事実誤認なので指摘しておきましょう。
 光仁天皇の時に立太子された他戸親王は、神武天皇家の男系男子ですよ?
 
(つづく)