国民は見抜く力をどこまで持っておくべきか

 今日は皆さんにお聞きしたいコトがあります。
 それは、国民は政治に対してどこまで見抜く力をというモノを持っておくべきかというお話です。
 
 端的に言います。
 前の衆議院選挙の時に民主党が掲げたマニフェストですが、これを見て「実行不可能だ」と理解し判断するという力を国民は主権者として持つべきだ、というのはハードルが高い主張でしょうか?
 
 またこれは、現実可能性だけではありません。
 民主党のマニフェストを見れば、それは自民党との考え方の違い、基本的思想の違いも見えてきます。
 例えば「控除と給付」の違いです。
 自民党の控除の考え方は、収める予定の税金を少なくしましょうという考え方ですから、これは真面目に働いて税金を納めた人が得られる利益です。
 だって税金を納めていない人はそもそも控除が受けられませんから、これは真面目に働いて真面目に税金を納めている人の権利になるワケですね。
 でも一方民主党の給付は、真面目に働くとか真面目に税金を納めるとか、そういう観点は一切ありません。
 とにかく日本国内に住んでいればお金をあげましょうという、働いているとか税金を納めているとかそういうコトは全く関係ない視点での思想です。
 ですから、結論だけ見れば自分のおサイフが助かるというコトにはなりますが、しかしこの両者は基本思想が正反対なワケで、これを一緒にしてしまうのはある意味、民主主義も共産主義も国家運営の考え方であり同じだと言ってしまう乱暴なモノにしかならないワケなのです。
 
 そして民主党のマニフェストを読んだとき、この違いが理解出来るかどうか、その力を国民は持っているべきかどうかという点をお聞きしたいのです。
 
 みなさんどうでしょうか。
 主権者たる国民は、どの程度の見抜く力が必要だと思うでしょうか。
 上のお話はハードルが高すぎるとお思いでしょうか。
 ぜひコメント欄に御意見をお聞かせいただければと思います。
 よろしくお願いします。
 
 
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