政治の責任とマスコミの責任と国民の責任

 前回の更新では「国民は見抜く力をどこまで持っておくべきか」というコトについて御意見を募集しましたところ、たくさんの方にコメントをいただきました。
 本当にありがうございます。
 今日はそのコメントを拝読しました上で、いろいろと語ってみたいと思います。
 
 全体的には「理想としては国民はマニフェストや政治をキチンと理解した上で自分で判断すべきだが、現実的には難しいので、本来はそこをかみ砕くのがマスコミの責務だろう」という意見に集約されるんじゃないかと思います。
 そしてこれは、その通りでしょう。
 本来マスコミは、公平公正な報道というモノは、そのために存在するハズです。
 でもいまの日本のマスコミは、そのほとんどが政局にかまけて、つまりどっちが勝つか、いえむしろこっちを勝たせよう、いやこっちを負かせようという選挙運動ばかりしてしまっているワケで、その政策が実現可能かどうか、つまりウソが含まれているかどうかなんていうコト一切関係のない、全てはマスコミ自身の利益のためだけの報道にしかなっていないというのが現実なワケです。
 こんな状態では本来のマスコミの役割を期待する方が馬鹿を見ちゃいます。
 ここにいまの日本の政治の混乱の、もっとも大きな原因があると言えるでしょう。
 
 ですから本当に日本の政治を良い形にするには、マスコミを改革するしかありません。
 でもですね、そのためにの方法についてはいろいろあって、やえもよくマスコミ批判はするワケですし、これからも提案も含めてしていこうとは思っていますが、やっぱりそれを実行したとしても急激に変わるワケではありませんし、そもそも変わる保障も無いですし、やえが言えば実行出来るというモノでもありませんし、そしてなによりいま現状がこうだからと諦めていいモノではないでしょう。
 つまり、マスコミは腐っていますが、それが現状ならその現状の上で考えるべきモノもあるのではないかというお話です。
 結局「マスコミはダメだ、マスコミはダメだ」と言っているだけでは、我々国民のモノである政治はいつまで経っても我々の手には戻ってきません。
 マスコミを変えるコトは第一ですが、それと同時に国民も変わっていくべきではないのでしょうか。
 
 1つ言っておきたいコトは、自分の力だけでは無理だと、一般国民にはそんな時間がないというお話がたくさん出てきていますが、他人を頼るっていうのは間違いではないと思うんですよ。 
 そもそもやえだって、どこまで自分の意見が自分だけの独自のモノかなんて分かりません。
 いろいろな人の意見や、様々なところからの情報を得た上でのやえの主張ですから、オリジナル度なんていうモノはもう自分でも分かりません。。
 やえの意見は、やえ一人だけで情報を集めて、一人だけで考えた上でのモノではありません。
 だからいろんな人の意見や情報を集めた上でというのは、むしろ正しい行為だと思います。
 
 ただ忘れてはいけないのが、そうした様々な場所や人から集めた情報ですが、最終的にこうやって意見を言っているというコトは、全てやえの意見であり、やえの責任だというコトです。
 情報元がよほどの事実誤認をしなければ、例えば「総理大臣が菅直人になったとお伝えしましたが、実際は鳩山由紀夫でした」とか、そういうレベルでなければ、やえは自分の意見を言ったコトに対して他人のせいにしたりはしません。
 そもそもやえは、特に情報ではなく意見の場合は、それをそのまま自分の意見にするのではなく、自分の中に咀嚼して飲み込んで、自分の中で昇華させた上で自分の意見として言ってるつもりですから、そこはもう自分の意見として言っていますから、ここにもはや他人の責任という概念が入る余地がないんですね。
 
 ネットでもどこでも自分の意見を公の場に載せるっていうコトも、そして選挙で投票するっていうコトは、最終的には自分だけの責任における行為じゃないですか。
 ですから、ここに他人の責任を介在させてはならないと思うのですよ。
 マスコミはウソをつきます。
 ウソを付きますが、最終的に行動するのは自分自身です。
 選挙の際の投票だって様々なしがらみがあると言う人はいますが、しかし腕を掴んで無理矢理投票用紙に書かされているワケではないのですから、最終的には自分が自分の意志で投票先を選んでいるワケです。
 ですから、最後はマスコミのウソを昇華して自分の意見とするというのが、国民の責任なのではないかなとやえは思っています。
 
 もちろん、騙されるよりも騙す方が悪いに決まっています。
 ですから、国民の責任があるからマスコミの責任は問わなくていい、マスコミは放置でいいとは決して言いません。
 どっちが悪いかと言えば、考えるまでもなくマスコミです。
 でも、でもですね、例えば窃盗する輩が悪いに決まっているから自衛する必要はないとはならないですよね。
 そして政治においては国民は主権者ですから、自衛以上の意味を持つワケです。
 例えば自分のおサイフを誰に預けるか、そんな選択が選挙です。
 自分がおサイフを預かりますと立候補する人が実は悪人で騙されたとしても、もちろん一番悪いのは騙した人ですが、「自分は被害者だ」と騒ぎ立ててもおサイフは戻ってきません。
 結局それは、自分が自分の頭でその人におサイフを預けたのですから、ここの行為に関してはやっぱり一定の責任があるのではないでしょうかと、そう言いたいのです。
 騙された後に騒ぐのではなく、騙されないように自衛する必要性というのは絶対にあるハズなのです。
 
 この問題はこれだけではない、民主主義の根幹のお話ですからいろいろな観点がありますが、まずはこういう姿勢をまず国民が自分自身で持つというコトが大切だと思います。
 国民は自律して自立しなければならないでしょう。
 
 このお話は引き続き続けていきたいと思いますので、これからもどんどんコメントをいただければと思います。
 次は「自民党のネガティブキャンペーンとレッテルを貼られた行為」っていうモノに注目して考えてみましょうか。
 よろしくお願いします。