自分を陣営分けしなければ不安になる人々

 こんなツイッターまとめがありました。
 

 自民党って「保守」政党?それとも「左翼」政党? 自民党自身がわかってないようだ
 
 「左翼」であるかどうかは、ルソーを肯定するか否定するかにある。これは、先進国の教養ある人々の常識である。

自民党にはこの程度の教養もなく、右往左往し、するたびに赤く染まっていっている。自らの「レッドパージ」を敢行しよう。この国の永続のために。

 
 まぁ全部読んでいただきたいのですが、あ、いや、全部読んでもタメにはならないとは思うのですが、正直首をかしげるっていうレベルの内容ではありません。
 なにかこう、不気味というか、そんな感じの内容です。
 つまりですね、このまとめにまとめられている内容っていうのは、まず定義ありきで、「自分は保守だから」「自分はリベラルだから」っていうのが先にきていて、「自分の中の定義からズレてるモノは全て間違っている」という認識になってしまっている、やえから言わせれば目的と手段をはき違えてしまっている内容なんですね。
 まとめた本人からして「ルソーこそ左翼の始祖」なんて言ってしまっているのですが、これがまだ机上の空論議論だけならまだしも、この内容で自民党という現実論にまで空論で言及しようといている点が甚だ勘違いしているとしか言いようがありません。
 
 これこそが当サイトのキャッチフレーズ「右も左も逝ってよし!!」なんですよ。
 
 思想にしたって政治にしたって、一番大切なのは自分の考えです。
 学者さんは過去の偉人を聖人化してしまうきらいがありますが、やえから言わせていただければ、そんなのは自分が考える上で参考にはなるでしょうけど、あくまで参考であって、決定を委ねるモノではありません。
 最終的に自分の考えを形成するのは自分です。
 結局自分がどう考えるかですよ。
 仮に過去の偉人と呼ばれる人の考え方と、自分が実際に生きてきた中で感じた考え方に齟齬があるのであれば、やえは自分の感じた方を是とするでしょう。
 だって現代を生きているのは自分であって、その生きてきた中で必要なコトだからこそそう感じたのであって、むしろ過去に縛られていまが生きにくくなるのであれば、そんなのは思想の存在からして本末転倒もいいところです。
 思想も政治も、人間がいかに生きやすく生きていけるかの考え方であり、人間のタメにあるモノなのですからね。
 
 このまとめにあまおちさんもコメントを寄せました。
 全文はこれです。
 

 自分は保守だと定義が先に来る「保守だから保守政党を支持する」ほど下らない物はない。只の言葉遊びでファッションでネトウヨの病理。本来は「主張内容が自分の思想に一番近いから支持する」だろ。自分を自分で言葉で定義して縛って喜ぶ奴の気が知れない。

 
 ですが、いまこのまとめにはこれが載っていません。
 理由は分かりません。
 あまおちさんも自分のミスかと思ってもう一度載せ直したらしいのですが、また消えていたそうです。
 ですからおそらく、まとめた人が権限を使って消したのでしょう。
 なんと思想を語る人間が他人のコメントを反論も無くいとも簡単に消去するのです。
 これだけでもこの人の言っているコトのなんと薄っぺらいコトかと言ったところです。
 
 「自分は保守だから保守政党を支持する」
 こんな考え方、本当にいびつだと思いませんか。
 なんで「自分は保守だから」と形に当てはめなければならないのでしょうか。
 あまおちさんが書いてある通り、本来は「自分はこう考えるからこそ、その考えに一番近い政党に投票しよう」というのがあるべき姿です。
 もうちょっと言うと、どうしても妥協したくないなら自分で立候補すべきですが、まぁこれは別のお話なので別の機会に。
 でもそうではなくてですね、まず先に定義が来てしまっては、結局その定義や言葉に自分が縛られてしまって、ある問題を目の当たりにしても自分で考えるというよりは「保守としてはどれが“正解なのか”」という算数になってしまい、それはやっぱり「机上の空論」となって現実問題に対処するコトができなくなってしまうのです。
 だって結果結論を、問題提起された瞬間から全く自分で考慮するコトなく他人に委ねているのですからね。
 そんなのはその他人の意見を聞けばいいだけで、その自分の思想的存在価値なんてないといっても過言では内でしょう。
 
 昔の全共闘時代の「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」の時のファッションでやってた左翼の雰囲気や、いまではネトウヨと呼ばれるような雰囲気が、まさにこれです。
 この両者、思想のベクトルは真逆ですが、思考方法は同じです。
 「革新が正しいんだ」「保守が正しいんだ」っていうのが先に来て、「左翼思想」「保守思想」をファッションとして着飾り肩書きにして、自分を構成する要素の1つとして取り入れてしまっているのです。
 そしてどんな問題に対しても、「自分は革新だから」「自分は保守だから」という理由にならないファッションとしての理由だけで、自分の頭で考えずに自動的に回答を出してしまうのです。
 その方が楽ですし安心するんでしょうね。
 そしてちょっと自分を格好良く思えるのでしょう。
 例えばいまだっていっぱいいるのが、「自分は保守だから人権擁護法案には反対だ」とかそういう考え方です。
 なにやら「保守チェック」とか言って「人権擁護法案に反対している はい/いいえ」みたいなのが羅列してあったサイトとか見たコトありますが、まさに定義病と言いましょうか、定義にさえ当てはまっていれば正義でいれられるという病理だと言うしかない風潮です。
 自分は思想しているんだと格好良く思えてしまうのでしょうけど、でもそれは本当に自分の頭で考えいるのですかとやえは問いたいのです。
 
 定義なんてどうでもいいじゃないですか。
 自分がどんなラベリングされるのか、そんなコトはどうでもいいじゃないですか。
 自分が考えた結果それが一番正しいと思うのであればそれを主張し、もし他人からの反論等があってそれが正しくないと思えば訂正してまた正しいと思う主張をすればいいだけじゃないですか。
 自分が「どの陣営にいるか」なんて、本当にどうでもいいお話です。
 それともそんなに「自分へのラベル」「自分が属する陣営」がなければ不安なのですか?
 だったら、その程度の覚悟であれば、思想政治主張なんてやめた方がいいですよ。
 
 過去の偉人を絶対化して、彼らの言葉に外れない行動をするというのは、それは宗教です。
 宗教ならいいんですよ。
 やえは宗教は否定しませんし、それで人間が幸せに生きていけるなら必要なモノだと思っています。
 でも思想は宗教ではありません。
 なにより政治は宗教ではありません。
 古代はともかく、民主主義政治においては過去の偉人が絶対化されませんし、むしろしてはいけません。
 もちろんそれは「左翼思想」「保守思想」というモノに対しても同様です。
 
 自分で考えましょう。
 特に公の場で主張を公表するのであれば、自分の頭で考えてからにしましょう。
 「○○が言っているのに左翼(保守)と言うなんておかしいだろ」なんて言い方は、むしろそういう考え方の方がちゃんちゃらおかしいというコトを指摘しておきます。
 自分の頭では考えられない人っていう自己紹介にしかなっていない恥ずかしい行為ですよって言っておきます。