それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか? 2

 では金曜日の更新にいただいたコメントにレスをする形でもう少しつっこんで考えてみたいと思います。
 
 まずですね、前回も最初に言ったのですが、どうしてもこう言ってしまう人がいるんですね。
 あのですね、今回はあくまで「○○という論拠では××という結論は出せない」というコトを言ってるんですよ。
 人物評をしているんじゃないんです。
 

 なんで「谷垣さんを支えるために政治をやってきたわけでは決してない」を取り上げない?意図的としか思えないね。
 マスコミをよく批判してるけど都合のいい情報だけで結論を創ってる点で大して変わらんね

 
 任期が決まっている中で谷垣さんは推薦人を集めようとしたら集まらなかった、それは決して石原さんが協力しなければならない義務なんて無いワケで、それを「裏切り者」と呼ぶのはあまりにも不適切ですというお話をしているんです。
 別のここの登場人物が谷垣さんとか石原さんじゃなくてもいいんですよ。
 総裁が安倍さんで幹事長が石破さんでも同じお話ですし、さらに言えば今回の総裁選でも林さんは政調会長代理なのですから執行部の一員であり、それだけをもって批判の論拠とするなら林さんだって「同罪」になるワケですから、やっぱり矛盾なのです。
 ここに登場人物は関係がないのです。
 立候補自体に文句付けるコトは民主主義の否定ですよ。
 こんなコトは誰に対してもしてはなりません。
 石原さんの好き嫌いは個人が好きにすればいいと思います。
 まさに人の勝手です。
 でも嫌いだからといって論拠にならないモノで相手を批判する行為は、それはただのレッテル張りにしかなっていないというコトを言っているのです。
 ここのところをキチンと切り分けて理解して下さい。
 
 それとも「谷垣さんを支えるために政治をやってきたわけでは決してない」という発言が「裏切り」とでも言うのでしょうか。
 理解に苦しみます。
 民主主義政治における国会議員と戦国武将は全然別モノですよ?
 武士は命すら捧げて主君に使えるのが美徳とされていますが、いやそれも徳川幕府が徳川の世を長らえさせるためと治安維持のために作りだした価値観ですからそれを下克上の時代の戦国時代に完全に当てはめられるかどうかは疑問が残るところですが、それが武士ならまだいいでしょう。
 でも民主主義における国会議員はそれぞれ独立した存在ですよ。
 だって国会議員ひとり一人を国会議員として信任しているのは、誰でもない国なのですからね。
 決して政党の党首が国会議員を信任しているのではありません。
 「谷垣さんを支えるために政治をやってきたわけでは決してない」
 当たり前ですよ。
 むしろ谷垣さんのためだけに政治をやってきたと言う方が、国民に対しての裏切りと言えるでしょう。
 
 では自分の会社で言ってみればいいんです。
 「自分は社長のために身命を賭して働いているんです」って。
 まぁ中にはそういう人もいるかもしれませんが、特にオーナー企業ではない大きな会社でそんなコト言っても、ただのおべんちゃらとしか捉えられないでしょう。
 自分がその役職に就いているのも、決して社長個人のためではありません。
 あくまで会社全体の利益として、部長とか課長とかそれぞれの役職があって、それぞれの人が就いているのです。
 社員は社長の私兵ではありません。
 自民党だってそうでしょう。
 石原さんが幹事長だったのも、谷垣さん個人の利益で任命したワケではありません。
 むしろですよ、谷垣さんへの裏切りだと言ってしまうコトは「石原を個人的な手下にするために谷垣個人の利益のために幹事長にした」と谷垣さんが思っていると言ってしまうコトにしかならず、これは大変に谷垣さんに失礼でしょう。
 あくまで谷垣さんは自民党全体の利益として石原さんを幹事長に任命したのです。
 ですから「谷垣さんを支えるために政治をやってきたわけでは決してない」は谷垣さんの意としても当然の発言なのです。
 「谷垣さんを支えるために政治をやってきた」とおべんちゃらを言うのは勝手ですが、そうでないと言っただけで「裏切り者だ」と言ってしまうのは理屈が通らない上に、谷垣さんにも失礼な話なのです。
 
 敢えて言うなら、これはせめて国会が閉幕するまで言うべきではなかったとは言えるかもしれません。
 全ての党所属国会議員は「党のために総裁を支えるべき」とは言えますから、任期一杯までは出るななんて言ってしまうと総裁選最中も任期中ですから誰も立候補出来なくなってしまう理屈になりますから任期一杯とは言いませんが、国会開会中は慎むべきだったかもしれませんね。
 ただまぁこれも「幹事長としては」です。
 幹事長としては国会閉会中までは待つべきだったとは言えるでしょう。
 しかし「谷垣さんを支えるために“政治”をやってきた」と言う場合は、やっぱりその通りなワケです。
 もしかしたら谷垣さんは加藤紘一先生を支えるために政治をやってきたと思っているかもしれませんし、表明するかどうかはともかくその心情は自由だと思いますが、しかし谷垣―石原ラインは全然違います。
 石原さん、一時期宏池会に所属したコトもあるようですが、現在は近未来研究会(山崎派)です。
 加藤の乱後も加藤先生を支えてきた谷垣さんの構図とは全然違います。
 ですから国会会期中に「総裁を支えるために幹事長をやっているわけではない」と言ってしまうのは不適切だと思いますが「谷垣さんを支えるために政治をやっているわけではない」というのは、至極当然のお話でしょう。
 
 もしこれを「裏切り」と呼ぶのであれば、では全ての自民党所属の国会議員に聞いてみればいいです。
 「貴方は以前まで谷垣さんを支えるために政治をやってきたのですか?」
 「いまは安倍さんを支えるために政治をやっているのですか?」
 民主党の議員にも聞いてみればいいです。
 「野田さんを支えるために政治家やってるんですか?」って。
 維新の会に行った議員さんにも聞いてみましょう。
 「橋下市長のために政治をやってるんですか?」
 早くもこんな記事が出てますけどね。
 この記事については次の機会にでもとりあげたいと思います。
 
 やえはこういう批判がでるたびに思います。
 「森総理の神の国発言騒動」から何一つ進歩していないんですかと。
 言葉の一瞬のフレーズだけ切り取り、一瞬の印象だけで判断して、全ての批判に繋げる手法。
 いつまで国民は「政治家の首狩り族」のままなのでしょうか。
 繰り返しますがやえは別に人物評をしているのではありません。
 石原さんの評判は最初からあまりよくないのは知ってます。
 でもだからといってどんな言葉を投げかけてもいいとは決してなりません。
 石原さん以外の人が、それが例え民主党議員であっても、例えば輿石幹事長でもいいですよ、「野田代表を支えるために政治をやっているワケではない」と言ったとしても、それは至極当然のお話でしょう。
 というか輿石幹事長は、むしろ幹事長としてでもすら野田さんのために党務を仕切っているワケでは無いと言えちゃいますよね、これまでの言動を鑑みれば。
 野田さんの指示を無視して逆のコトを言ったなんで、いままで何度ありましたか?
 輿石幹事長は野田さんの意志を無視してでも党の延命のためにこれまでやってきましたし、これからもやっていくでしょう。
 その輿石幹事長の言動に対しては評価は分かれるところだと思いますが、少なくとも「特定個人のための政治家をやっている人」なんていないワケです。
 仮に内心そう思っていたとしても、それを表明してはいけないのです。
 なぜなら、国会議員は国民のために仕事をしているからです。
 個人のために政治をやっているって言う方がよっぽど問題なのです。
 
 「日本は神のための国ではない」とか「政教分離に反する」とか、一瞬のフレーズだけ切り取り、一瞬の印象だけで判断して罵詈雑言を投げかける。
 全く同じコトが繰り返されています。
 早く国民はこのステージから脱するべきでしょう。
 
 
 というワケで、ごめんなさい、ちょっと長くなってしまいました。
 続きはまた次回に持ち越しさせていただきます。