それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか? 3

 では続きです。
 
 ちょっとその前に1つ言っておきますと、今回のお話は人物評をしているワケでは無いと何度も言っているワケですが、例えばやえが本気で自民党の応援を理屈抜きでやろうと思っているのでしたら、こんな更新する必要なんて1つもないワケですよ。
 だってやえは安倍さんが総理の時に、それはもうマスコミや国民の大バッシングの中で、それは筋が通らない批判ではないかと評価すべき点は評価すべきだとずっと言い続けた身ですから、それは今でも過去ログに残していますからあの時の雰囲気を覚えている人はどうぞ見ていただきたいと思っていますから、もしやえが単に自民党のためだけにサイトをやっているのでしたら、むしろ石原さんを悪者にして安倍さんの大応援をする方が効率的に決まっています。
 でもやえはそんなコトのためにサイトをやっているワケではありません。
 理屈が通らないコトには理屈が通らないと、正しい物事の筋道を問うためにサイトをやっているのです。
 っていうと、なんか使命感バリバリな感じがしてちょっと違う気もするのですが、決して自民党のためでも、安倍さんのためでも、まして石原さんのためでもないのは確かだというコトは言っておきたいです。
 今回の件で言えば「国民の雰囲気がおかしい」から言っているのです。
 それは筋が通らないのです。
 その論拠では「裏切り者」と結論づけるほどの理由にはならないと、そこを指摘しているのです。
 筋道のお話です。
 前回も言いましたように、こんなデタラメを許していては、いつまでたっても「神の国発言騒動」から国民は一歩も脱せられないのです。
 「政治家の首狩り族」から脱せられないのです。
 気に入らない政治家がいればワンフレーズの印象だけで叩きつぶして良いという風潮は、決して日本のためになりません。
 やえは日本のためにこのおかしな部分を批判しているのです。
 
 

 石原伸晃氏の場合は、幹事長である間は谷垣総裁を支えると言った数日後に、谷垣総裁のために政治をやってきたわけではないと出馬を宣言したりと、態度が一貫しなかったのが問題なのではないのでしょうか。

 
 前回のお話とかぶるのですが、「幹事長として総裁を支える」のと「谷垣さんを支えるために政治をやっている」のは全然別のお話ですよ。
 そこはまず言っておきます。
 
 また、「態度が一貫しなかったのが問題」(前記の通り態度が一貫してないとは思いませんが)であれば、しかしそれは「裏切り者」という言葉には繋がりませんよね。
 これは論拠と結果の関係の問題であり、日本語の関係の問題でもあります。
 「態度があやふやだ。だからお前は裏切り者なんだ」
 これ、日本語として成立していません。
 繰り返しますが、やえは石原さんという個人の人物評をしているワケではありません。
 ですからこの部分を持って「石原氏は優柔不断だ」と言うのでしたら、まぁやえはさっき言いましたようにそうとは思いませんが、まぁ日本語としては成立しますね。
 でもやえはそんなコトを言ってるワケではないのです。
 あくまでタイトル通り「それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか?」というコトを問うているのです。
 よって申し訳ありませんが、「態度が一貫しなかったのが問題」という論拠で「裏切り者」と言ってしまうのは不適切ですと言うしかありません。
 
 

石原さんが幹事長じゃないor幹事長をやめて立候補すればこんな問題にはならなかったのでは?
 
 多くの生放送の番組で『何故立候補したのか?』との問いに『福島の実情を見ていてもたってもいられなくなった』と弁明してました。
 『だったら谷垣さんで良いのでは?』と思われた方もいるのでは無いでしょうか?
 
 小職も谷垣さんを応援してましたし、出馬辞任には腑に落ちない感想を持っている一人ですが、ブログ主様の言う通り、『谷垣さんの出馬断念』と『石原さんの裏切り説』は深い関連性はあっても責任所在は別で考える公平さがあっても良いと思いますよ。
 
 よって、『石原さんの裏切り説』は石原さんの責任であって、レッテル貼られる言動に対して弁明できない事も今回の選挙結果も今後の議員生活への影響も、当然、石原さんの責任となります。

 
 多くの視点があるのですが、まず「石原さんが幹事長じゃないor幹事長をやめて立候補すればこんな問題にはならなかったのでは?」の部分についてですけど、これって幹事長だけに言えるコトなのかどうかという疑問があります。
 幹事長だけはってコトであれば、まずその理由が聞きたいところです。
 なぜ幹事長だけは総裁に立候補してはならないのかと。
 しかし幹事長が総裁選に立候補したのは自民党史の中でも今回が初めてではないようですし、役職で立候補を縛るというのは、それはちょっと民主主義的ではありません。
 そもそも総裁選の最中も全ての党役は現職中であり、現職は立候補するなと言うなら、全ての党役は立候補できないコトになります。
 林さんだって政調会長代理という、自民党の役員会に出席するまごうことなき執行部です。
 さらに言いますと、そもそも被選挙権と選挙権は同格の権利であって、もし党役は立候補すべきではないとか言うのであれば、党役は全て現役総裁に投票しなければならないという理屈にもなってしまい、これは無茶な言い分としか言いようがないでしょう。
 こういう視点から、「それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか」を問うのであれば、現職幹事長だからダメだと言ってしまうのは論拠にはならないと言うしかないのです。
 
 問題にならなかったかどうかっていうのは、これは順番が逆でしょう。
 「それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか」という問いに、「呼ぶべき行為だった」と結論づけられるのでしたら、「問題にはならなかったのでは?」という言い方も適切かと思います。
 しかし「呼ぶべき行為でない」のに論拠なきレッテルだけで騒いだだけであれば、問題にした方が問題であって、問題にした方が悪いという結論になります。
 間違ったコトを言ったワケではないのに問題になったんだから反省しろって言ってしまうのは、あまりにも独善的過ぎると思いませんか?
 やえはまずもってここの筋道を正しく見直すべきだと言っているのです。
 

 多くの生放送の番組で『何故立候補したのか?』との問いに『福島の実情を見ていてもたってもいられなくなった』と弁明してました。
 『だったら谷垣さんで良いのでは?』と思われた方もいるのでは無いでしょうか?

 
 この部分についても同じコトが言えると思います。
 まずもって「石原さんが立候補したのが間違い」という前提があるから、そう思ってしまうのではないでしょうか。
 もしこう言うのであれば、今回の立候補者すべてがそうだと言えると思います。
 誰ひとりとして谷垣さんの3年間は否定していたワケではありませんからね。
 
 多分腹の中ではいろいろな思いがあるんだと思いますよ。
 石原さんだって、もしかしたら「あの人はギリギリのところで決断力がない」とか「だからあの時の党首会談で下手打ってしまったんだ」とか、そう思ってたのかもしれません。
 でもそれは、それこそ総裁を支える幹事長としての職責に含まれますから外にはさすがに言えないでしょう。
 そしてこういうのって立候補者全員そうじゃないですかね。
 口にはみな出しませんでしたが、谷垣総裁に思うところがあったからこそ立候補したのです。
 谷垣さんのままでは自民党はまずいと思ったからこそ、石原さんに限らず安倍さんも石破さんも林さんも立候補したのでしょう。
 「谷垣さんのままでいいじゃないか」って理屈になってしまえば、それはもう誰もが立候補しないコトになりますからね。
 
 また推薦人も同じですよ。
 結局今回自民党の議員数が有史以来最も少ない中で行われた総裁選だったのにも関わらず、最も多いと言えるぐらいの5人が立候補した、いえ「できた」ワケで、つまり推薦人20人必要な中での5人の立候補ですから本人あわせて「21×5」人の人が、自民党は谷垣総裁から変わるべきだと思ったからこそ、今回の5人の候補者による総裁選が開催されたワケです。
 この数はいまの自民党の議員の半数を超えています。
 半数以上の所属議員が「なんらかの理由」で谷垣総裁のままじゃダメだと思ったからこその、今回の総裁選だったワケです。
 その理由は様々なんだろうと思うのですが、でもなにか谷垣さんが神聖不可侵みたいな感じになっているコトも合わせて、正面からその理由を言う人はいませんでした。
 ですからやえとしましては、そこも含めて本当は谷垣さんは立候補すべきだったんですよね。
 立候補すれば、キチンと正面から議論できたワケですから。
 実際のところ、ここの部分がキチンと議論できなかったという点は、今回の総裁選の一番の残念なところだと思っています。

 ただし「だったら谷垣さんで良いのでは?」という理由だけでは立候補してはならない理由にはなりませんし、何より「裏切り者」だと言えてしまう論拠にはなりはしないでしょう。
 立候補者の5人全員が「谷垣さんからは変えるべきだ」と思ったからこそ立候補したのですからね。
 よって、もしくは自民党所属議員全員に対して「裏切り者だ」と言うか、です。
 

 よって、『石原さんの裏切り説』は石原さんの責任であって、レッテル貼られる言動に対して弁明できない事も今回の選挙結果も今後の議員生活への影響も、当然、石原さんの責任となります。

 
 これはダメですよ。
 言い返せないからレッテルを貼られても仕方ないと言ってしまうのはダメです。
 これは、申し訳ないですが「盗っ人猛々しい論」です。
 
 レッテルは、貼った人が悪いのです。
 これは当然のお話です。
 ここを崩してはいけません。
 レッテルは悪です。
 もし論拠と結論の関係が正しく作用するのであれば、それはレッテルではなく正当な批判です。
 だからこそ論拠が大切なのです。
 今回のお話は、この論拠の部分を問うお話です。
 その中で論拠と結論の関係性が不適切であれば、それはレッテルであり、それは悪の行為であって、全てはレッテルを貼った人が悪いのです。
 この場合、石原さんは「裏切り者」の部分に関しては被害者としか言いようがなくなります。
 全ての論は論拠が正しいかどうかですよ。
 もし「論拠としては間違っているが、本人が言い返さないから本人の責任だ」なんてコトがまかり通ったら、世の中はネガティブキャンペーンだらけになっちゃうでしょう。
 そもそもそのせいで安倍さんも福田さんも麻生さんも潰されたんじゃないですか。
 
 まぁ石原さんの責任かどうか、それを本人がどう受け止めているのかという点はともかくとしたとしてもですね、やえの立場や、今回の主題である「それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか」という部分に関しては、これは石原さんの人物評ではなく、また責任問題の追及の話題ですらなく、ここでは個人は直接は関係なく、「主張として筋が通っているかどうか」の問題ですから、「レッテル貼られる言動に対して弁明できない事」は今回の主題とは全く関係がないですという結論になります。
 「弁明が出来ないから筋が通っている」では、論としては成立しません。
 これをもって「裏切り者」と呼ぶには論拠たり得ないのです。
 
 何度も繰り返しますが、やえは人物評はしていません。
 それが論として成り立つかどうか、論拠と結論の関係が適切かどうかを問うているのです。