それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか? 4

「社長を支えることがひいては会社を支えることになる」くらいは普通のリーマンならいうだろ。組織なんだから。
例えば副社長が「社長を支えるためだけに会社員としてやってきたのではない」なんて言ったら、すわ内紛かってレベルだがな。
 
石原議員は幹事長なんだよ。そして谷垣氏は総裁だ。
「総裁を支えるために政治家をやってきたわけではない」と幹事長が言ったわけ。分かる?
 
個人の問題じゃないの。組織の位置づけでの問題なの。

 
 まずひとつは、これはもう前の更新で言ってますように普通の企業に勤める人と違って、民間人は社長に登用して貰ったという面はあるかもしれませんが、国会議員は国民によって選ばれている存在であって本来的には全ての国会議員は同列であるという点です。
 確かに幹事長は総裁の任命でしょう。
 しかし「政治家をやっている」のはあくまで国民に選ばれたからこそ「やれている」のであり、よって「総裁を支えるために幹事長をやっているワケではない」なら問題かもしれませんが、「政治をやっている」のは総裁のためではないコトは明白であって、この違いはキチンと認識すべきでしょう。
 国民のための政治であって政治家なのです。
 ここは間違えないようにしましょう。
 でなければ、むしろ主権者である国民自身の手によって国民主権の原則を破ってしまうコトになってしまいます。
 
 もう一点は、今回のコトをもし「内紛」と思っているのでしたら、これは大きな間違いです。
 というか多分「裏切り者」論は、石原さんの立候補を「谷垣さんへの攻撃」と受け止めているからこそなんだろうと思うのですが、そもそもとしてまずここが大きな間違いなのです。
 
 選挙は戦争ではありません。
 むしろ選挙とは血を流さず権力闘争するための平和的な手段として用いられているのですから、選挙をするってコトをお互いが血を血で洗う紛争のようなコトをイメージするのは、それは本当に大きな間違いです。
 民主主義の基本思想から逸脱してしまっていると言ってもいいでしょう。
 立候補するっていう行為は、戦争するとか裏切るとか、本来はそういう単語が出てくる余地のない、ただの「通常業務」なのです。
 特に総裁選は任期も選挙時期も前もって定められているワケで、ますますこれは通常業務なワケですね。
 そして石原さんの発言は、あの時点ではもはや自民党は総裁選モードにさしかかっていて、あの時期というのはすでに問責が可決しており、事実上国会は止まっていたという時期でした。
 まぁ本当ならあの発言は国会が閉幕してからの方が良かったとは言えますが、誰かが解任決議案を出したワケではなく任期は定められていたモノであり、あの時期に総裁選を実施するというコトは3年前から決まっていたコトであて、つまり谷垣総裁も形式上一度は必ず退任するという形をとるのですから、これはもう完全に自民党にとっての通常業務だったのです。
 あの時期はもはやその通常業務に移行した後だったんですね。
 
 だからこそ、石原さんのその発言をとらえたマスコミもほぼ全ての国民も「それは総裁選のコトだろう」と思ったワケです。
 もしですよ、あれを「内紛」と称するのであれば、それを意味する行為とは「離党」とか「政界再編」とかその手の単語でしょう。
 通常ではあり得ない方法を用いて反旗を翻すっていう行為が内紛です。
 民間会社でも、例えば副社長が株主の過半数の委任状を集めて、定められた時期ではない時期に突然に臨時株主総会を開いて社長の解任決議案をとるっていう方法でしたら、まぁ内紛と呼んでもいいかもしれません。
 合法手段ではありますけどね。
 でも今回の場合は違うワケです。
 総裁の任期が定められていて、総裁選挙が開催されるコトが決定されていて、なおかつ国会は事実上の閉会状態で、自民党は総裁選モードでした。
 マスコミもこぞって誰が立候補するかという点で報道していましたし、事実、石原さんの発言はほぼ全員が「総裁選立候補に関する発言だろう」と受け止めたワケです。
 これは「内紛」ではありません。
 タイムスケジュールに従った通常業務です。
 
 この通常業務に対して「裏切り者」と言ってしまうのは、はじめから定められている選挙への立候補を「裏切り者」と言ってしまうのは、様々な意味において不適切です。
 そもそこれも前に言いましたように、代表の意に全く従おうとせずに三党協議や合意が遅れに遅らさせた輿石幹事長の行為の方がよっぽど「内紛」という言葉が相応しいハズなのですが、なぜかそっちにはそのような言葉は出ませんでしたよね。
 そういう悪意のある言葉を、人によって付けたり付けなかったするのは卑怯ですよ。
 
 そして、これも前に言いましたように、もし「幹事長は立候補するな」という内容のコトを言うのであれば、それは「幹事長は総裁の私兵になれ」という意味にしかならず、それは総裁に対しても幹事長に対しても大変に失礼なお話にしかなりません。
 もしくはそれならもう党規に「幹事長は総裁選に立候補出来ない」と定めた方がいいんじゃないですかね。
 やえはそれは民主主義的ではないと思いますが。
 よって、組織の位置付けの問題であったとしても、そもそも総裁の任期が目前にあり選挙が決定事項だったのですから、それは通常業務であり、裏切りでもなんでもありません。
 決して副社長が何の前触れもなく突然に社長に反旗を翻したような出来事でもなく、予定通りのコトなのですから、それを「裏切り」と呼ぶ要素はないのです。
 
 総裁も幹事長も、個人のために仕事してるんじゃありません。
 自民党という党全体のためであり、そしてなにより国民のためです。
 つまり幹事長も他の党役員も、谷垣さんの私兵ではないのです。
 ここを勘違いしないようにしなければならないでしょう。
 
 

<①『幹事長をやめて~』に対するコメントについて>
ルール的にはブログ主様の言う通りかもしれませんが、残念ながら組織人としての『筋』の通し方、社会人としての『道徳』の観点が完全に抜け落ちてます。
ルールや組織体と言うのは、人間を機械の持つシステム性に近づける為のものですが、人間である以上、『筋』と『道徳』を無視しろと言う方が無理ですね。

 
 結局これも、「幹事長が出馬するのは悪」「幹事長は任期が終わった後の選挙においても総裁を支えなければならない」という、まぁルールでも筋でも道徳でもいいんですが、そういうモノがあるという前提のお話ですよね。
 やえは、そんなモノはないと言っているのです。
 当初、谷垣総裁と石原幹事長が会談をして出馬するしないというお話をしていましたが、あれも別に石原幹事長が谷垣総裁に出馬の許可を得ようとしていたワケでは全くありません。
 あれは単にどちらが出れば有利に選挙戦を戦えるのか、つまりどちらが出れば勝てるのかっていうお話であり、逆に言えば二人とも出たら共倒れになってしまいますよねっていう、そういう会談でした。
 で、その結果、谷垣さんは石原さんの支援がなければ立候補すら出来ない状況であり、一方の石原さんは谷垣さんの支援がなくても立候補出来るという状況であり、ではどうするのかと言えば石原さんが立候補したというコトでしょう。
 特に不自然なところはありません。
 結局谷垣さんは石原さんを最後まで支援しませんでしたけどね。
 まぁそれはともかく、ですから任期途中に解任決議案を突き付けるとかならまだしも、任期満了による選挙の際において立候補するっていう行為が「組織人として筋を通していない」とは言えないでしょう。
 だって任期満了になれば総裁も幹事長もないのですから。
 もし任期満了後のコトまで縛るっていうのであれば、それはルールとか筋とかいう以前の問題になってしまいます。
 まず前提として、立候補するっていうのは「袂を分かつ」という意味ではないというコトは認識しなければなりません。
 任期満了後の選挙は通常業務なのです。
 それを対立しているとか、裏切るとか、筋違いだとか言う方が、それがルールであっても不文律であっても筋であっても、間違っているのです。
 

<②『番組で石原氏が立候補した理由~』に対するコメントについて>
ブログ主様が言われた通り、①の前提認識が違うのでしょうね。
人間ですから、同じ情報を入力しても違う出力がでるモノです。
それが認められているのが民主主義ですからね。
総裁選の中身を明確化する為に、谷垣氏が出馬すべきと言う点に関してはその通りだと思います。
同時に候補者は前総裁との違いを鮮明にすべきだったでしょう。
見ている側は『何で谷垣氏ではダメだったのか?』と結論がでるのは当然ですね。

 
 特に最後の行の「見ている側は『何で谷垣氏ではダメだったのか?』と結論がでるのは当然ですね」については、その通りだと思います。
 内部事情は内部事情として想像はできますけど、あくまで皆さんもやえも外部の人間ですから、外に出ている情報だけで判断するのが当然ですし、その上で結論を得るのも当然です。
 想像すれば、やえであればあの党首会談はかなりズッコケてしまったと言えるとは思いますが、それも想像の域を出ませんので、それはそれでしょう。
 よって今回の総裁選は、谷垣批判が出来ない雰囲気が出来上がってしまったせいもあって「何で谷垣氏ではダメだったのか?」という点は立候補者からは全く見えなかったというのは、やえも否定するところはありませんし、最も残念だった点です。
 谷垣さんは何が何でも立候補すべきでしたし、推薦人が足りなかったら素直にそのように自分の非を認めて言うべきでした。
 ただここは、「その論拠では裏切り者だっていう結論にはなりません」ので、今回の主題からは関係ないと言わさせていただきます。
 

<③『説明できない石原氏の責任~』に対するコメントについて>
小職は『レッテル貼りを肯定』してはおりませんよ。当然レッテル貼りの行動は悪意が伴うものですから、悪行と言えるでしょう。
但し、『レッテル貼りされる状態になった結果』に関しては石原氏に責任がある的な事はいってますがね。
弁明できないで組織としての『筋』を超えて行動したのは個人の責任でしょうね。
『浮気はしてないが、毎日朝帰りしている旦那を疑うな』って奥さんに言ってるようにしか聞こえません。
そもそも、マスコミ介しての話では無く、党内に対しての弁明が出来ていなかったから今回の総裁選結果になったのでしょう?
この実測値と経過観察結果をもっての客観的評価を『レッテル貼り』の悪行と混ぜてはいけないとは思いますが、貴殿のブログなので荒らすつもりはございませんので気分を害されたのでしたら申し訳ないです。

 
 まず「『浮気はしてないが、毎日朝帰りしている旦那を疑うな』って奥さんに言ってるようにしか聞こえません」とのコトですが、しかし旦那さんのお仕事がものすごく忙しくて毎日毎日朝になるまで働いていたのであれば、それは疑うのは可哀想と言ってあげるのが、それこそ筋でしょう。
 疑わしいから疑いの目を向けて当然だと言うのは、それは無責任だと思います。
 疑わしいなら本当はどうなのかをキチンと知るべきだと、それは自分の場合であれば自分がそう考えるべきですし、他人であればそう言ってあげるべきでしょう。
 やえはそう言ってるんです。
 一緒になって「疑わしいよねぇ」と言うのは違うと思います。
 
 やえはここを言ってるんですよ。
 奥さんが疑ってしまうという反射的な一瞬の反応はまだ仕方ないにしても、しかしそれが真実かどうかは別問題であって、よってその反応の後はそれが本当に正しい反応かどうかを問うというのが冷静な判断というモノであって、やえは「その反応は本当に適切なのですか」という部分を問うているのです。
 石原さんには裏切り者というレッテルを貼られたという結果は確実にはありますし、世の中マスコミに流される人はまだまだ多いですから、そういう反応をしてしまったコトは、仕方ないとは言いませんが、そういう結果があるコトは残念ながら受け入れなければなりません。
 それが現実ですからね。
 でもやえは、それが現実であっても、その現実として出てきた反応は間違っていると、ここを指摘しているワケです。
 「その反応は間違えてますよ」って言ってるのです。
 それに対して「反応してしまうのは仕方ないでしょ」って言われても、それはもう全然お話がズレてますよね。
 そう思ってしまうコトは、その一瞬の反応は仕方ないにしても、それをさらに口にしたり、ネット上に書いたりするっていう次の段階に移る前に、冷静になって自分の頭で考えて判断するという行為をすべきだったのではないのですかと、やえはそこを言いたいのです。
 
 まして身近な問題である浮気問題と違って、今回の問題はマスコミという悪質なフィルターがかかっている問題なワケです。
 だからこそより一層「その反応は、マスコミフィルターによって歪められている可能性が高いからこそ、もう一回キチンと冷静になって考え直してみるべきではないのでしょうか」と言っているのです。
 「普段からマスコミに対して批判的な人すら、なぜかこの件はマスコミ報道に迎合しているのは違うんじゃないでしょうか」と、これはあまおちさんがツイッターで散々言ってましたが、いまの段階というのはここを言っているのです。
 マスコミの言うコトは必ず事実真実ではないコトぐらい、もう多くのネットユーザーには常識じゃないですか。
 それなのになぜ今回はこうもマスコミを疑うコトをしなかったのか、大変に疑問なワケです。
 マスコミがこれ以上増長しないためにも、是非ともここを考えて欲しいです。
 
 それから、「党内に対しての弁明が出来ていなかったから今回の総裁選結果になったのでしょう?」というのは違うでしょう。
 党内を党員も含めての意味でしたらそうかもしれませんが、一般党員はマスコミフィルターでしか情報を得られないのは一般国民と変わらないワケで、内部事情を知られる立場といえばやはり国会議員ですから、国会議員だけの結果を見れば、今回は石原さんはトップの得票を得ました。
 石原さんは議員票では一番支持を得たのです。
 ここも考えれば様々な見方が出来るワケで、例えば、やっぱり幹事長が出てはいけないとする風潮も党内には無かったという証拠のひとつとして挙げるコトが可能なのではないでしょうか。
 少なくともこの結果を見れば、一般人はマスコミフィルターにひっかかっているからこそ一般人は石原さんを裏切り者と見てしまっただけで、そうでないなら違う評価があった可能性はあろうかと思います。
 実際もし幹事長が立候補するコト自体を裏切りと呼ぶ行為だと党内に以前から常識としてそのような雰囲気があったのであれば、さすがに石原さんが議員票トップという結果は残せていないでしょう。
 
 実際問題、議員さんが裏切り者という単語を使って批判した人っていうのは、やえはあんまり記憶にありません。
 唯一思いつく事例を思い出せば、それは麻生太郎先生でしょうか。
 ただしかし麻生先生に言いたいのは、もし谷垣さんでいいって思っていたのであれば、それは谷垣さんが立候補するかどうか決めかねていた時期に支持を表明し、麻生派の議員さんを使って推薦人固めをすればよかったのではないかというコトです。
 これは麻生先生以外の全ての議員さんにも言えるコトです。
 谷垣さんが本当に素晴らしい総裁で、今後の3年も谷垣総裁でやっていきたいと思うのであれば、それは谷垣支持を表明して推薦人になって谷垣さんに立候補してもらい、そこで仮に石原さんが立候補しても大差で谷垣さんが再任させれば良かったんじゃ無いでしょうか。
 なぜ推薦人20人が集まらず、なぜ大規模な支持表明がされなかったのでしょうか。
 「谷垣さんで良かった」と言うなら、そうすれば理想通りの結果になっていたじゃないですか。
 なぜそうしなかったのでしょうか。
 まして、これがまだ新人ではぐれ一匹狼的な議員さんの表明だけならまだしも、麻生さんは派閥の領袖ですよ。
 今回他の派閥と違って麻生派はかなりまとまった行動をとったみたいですが、だったらなおのコト谷垣さんを端役から支持表明すれば良かったのです。
 ですから、石原さんを裏切り者呼ばわりするのであれば、それは全ての自民党議員…谷垣派は除いてもいいかもしれませんが、それ以外の議員さんは同罪になりますよ。
 谷垣さんを「支えなかった」のですからね。
 それが「裏切り者」と呼ぶのであれば、当然谷垣支持の議員さん以外は全員裏切り者ですよ。
 力がある先生はなおさらです。
 
 このように結局、任期満了に伴う選挙に対してすら総裁を支えなかったら裏切り者と呼ぶのは無理がありすぎるのです。