日本にも差別はある。こんなに簡単に差別は生まれる。

 出自や血統で人格を批判する行為は差別じゃないですか。
 むしろこれを差別と言わずして何を差別と言うのですかというお話です。
 週刊朝日が差別心丸出しです。
 

 橋下氏、朝日新聞の取材拒否へ…週刊朝日記事で
 
 新党「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は17日、市役所で記者団に対し、朝日新聞グループの朝日新聞出版が発行する「週刊朝日」(10月26日号)で始まった、ノンフィクション作家佐野真一氏の執筆による橋下氏の肉親らの系譜を探る連載について、「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ」と批判した。
 そのうえで、「朝日新聞社からきちんと考え方をお聞きするまでは質問には答えたくない」と述べ、当面、朝日新聞と系列の朝日放送の取材に応じない考えを示した。
 連載のタイトルは緊急連載「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」。
 橋下氏は、「政策論争をせずに先祖を徹底的に調査して暴き出すことは、言論の自由の一線を越えている。身分制度を肯定するような言論機関はナチスの民族浄化主義につながる。非常に恐ろしい考え方だ」と話し、朝日新聞側の見解を求めた。
 朝日新聞出版の井手隆司管理部長は17日、「週刊朝日は、当社が発行する週刊誌であり、朝日新聞社や朝日放送は別会社です。(連載は)当社が責任を持って独自に編集しており、公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です」とのコメントを発表した。

 
 橋下市長に対する政策やまた政治姿勢に対する批判と、しかし橋下さん個人の生まれのお話とは、ここは全然関係がないお話です。
 橋下さんがどんな生まれの人だろうが、まぁ日本国籍を持たない外国人だったら選挙法の関係で大問題ですが、つまりこういう論拠があるならまだしも、橋下さんがどんな生まれの人だろうとその政治主張や姿勢には何ら関係の無いお話でしかなく、この論拠の無いままに生まれや血統だけで批判するっていうのでしたら、それはもう差別以外何者でもなくなります。
 例えば「広島人は政治に口を出すな」とか「女は政治に口出すな」とか言うのでしたら、それはまぎれもなく広島差別や女性差別ですよね。
 これは政治に限らず全てのコトに言えるコトで、女だから仕事するなとか、そこ出身だから意見するなとか、そういう生まれだから表舞台に出るなとか、そういうコトは差別であって絶対に許してはならないコトだというのが、現代社会の日本の有り様のハズです。
 いまの日本は差別を絶対に許さないという正義を持っている国と国民のハズです。
 
 それなのにこの週刊朝日の卑劣さ下劣さ低俗さはなんなのでしょうか。
 
 例えば部落解放同盟という組織の組織としての運動や主張に対して、何か反論をしたり批判をしたりするっていうのは、これは言論の自由がある日本ではあってしかるべきです。
 部落解放同盟に意見を言う反論をする批判をするっていうコトだけをもって差別とは絶対に言いません。
 もし部落解放同盟がその組織として間違った言動をしているのであれば、論拠を持って批判すべきでしょう。
 しかし「部落は政治に口を出すな」っていう言い方は、また全然別モノですし、ましてその組織に入っていない人にまで部落解放同盟の言動を当てはめて批判するっていうのも別モノです。
 結局橋下さんの主張や行動は全て橋下さんに責任が帰されるべき問題であって、当サイトもずいぶん橋下市長に対しては批判をしているワケですが、これは全て橋下さんの言動をもとに、それを論拠にしてしているモノであって、橋下さんの出自や血統なんて全然関係ないお話でしかありません。
 部落解放同盟からの指示でそのような言動をしていたっていうのでしたら部落解放同盟の責任は免れませんが、そうい生まれだからっていうだけでその言動を批判するっていうのでしたら、それはもう差別だと表現するしか他ないワケです。
 
 本人に全く責任がないところで、まして批判の内容に対する根拠としては全く当てはまらない出自や血脈を利用するっていう行為は、最低最悪の差別です。
 極めつけに、週刊朝日の記事には堂々と「橋下がやった政策なんてどうでもいい」って書いてるんですよ。
 週刊朝日の言うコトをまとめれば、結局「橋下は部落だからバカなんだ」と言っているコトにしかなりません。
 こんなのは絶対に許してはならない差別です。
 
 人権擁護法案のからみで未だに「日本には差別なんてない」と言う人がいますが、残念ながらこのように差別は日本でもあるのです。
 差別とは人間の本能的な感情ですから、むしろ「ない」という方がおかしいのです。
 部落問題とかそういう固定化された概念の問題ではなく、人間は他人を理由も無く蔑むという感情がふと生まれてしまう、そういう原罪って言っていいのかどうか分かりませんが、人間とはそういう生き物なのです。
 だからこそ、せめてその負の感情を他人にまで拡散させないために、何より本人の人間としての尊厳を傷つけないようにと、その感情を外には出さないように長年かけて人は工夫して苦労してきたんじゃないですか。
 部落解放同盟の運動方針に反発が最近強まっていますが、しかし解同がダメだからといって部落差別を容認するようなコトになってしまうのは絶対にダメです。
 部落だけではありません。
 原発問題だって、ふとある日、本当に突然に、全然自分の責任でもなんでもないのに「お前は事故のあった地域に住んでいたのだから近づくな」と言われてしまったのです。
 自分もそういう目にあってしまうんじゃないかと、そういう想像をしたコトありませんか?
 放射能に関する差別なんて、終戦以来放射能を理由とする差別がいまこの現代にもう一度復活してしまうと、いったい大震災以前の誰が想像していたコトでしょうか。
 むしろ広島や長崎で学んだからこそ、もう二度とそんな差別は起こらないとすら思っていました。
 まして当時と比べれば一般人の科学に対する知識と教育レベルは段違いです。
 それでも起こったんですよ。
 本当に低俗な、福島ナンバーだからガソリンスタンドに入るなと、そんな本当に低俗な差別がいまこの世の中に現実に起きてしまったんですよ。
 これでどういう根拠で差別が無いと言うのでしょうか。
 今後絶対に差別が生まれないと言えるのでしょうか。
 
 この週刊朝日の姿勢は絶対に許されません。
 そして今一度、差別問題とは何なのかという部分を考えてもらいたいです。
 決して、部落問題ですとか、女性問題ですとか、そういうすでに形作られたモノを解決するコトが差別問題への取り組みの全てではありません。
 こうもあっさりと差別は生まれるのです。
 むしろそういうコトに今まで強く取り組んできたと思われる朝日がこの有様だというコトを鑑みて、差別問題の根深さ難しさを考えてもらいたいと思います。