国会が始まりました

 秋の臨時国会がやっと開会しました。
 憲法上は臨時国会の開会は義務ではありませんから開かなくても法令上は問題はないのですが、しかし憲法で義務づけられている通常国会はだいたい6月~8月までの開会で、これだけだと約半年は国会が開かれないというコトになりますから、慣例として9月~12月にかけて臨時国会を開会するのが、これまでの日本の国会のあり方でした。
 さすがに半年も国会が動かないというのは、国政上いろいろと不都合があるでしょうし。
 ですから秋の臨時国会はだいたい開かれるのですが、それが10月も終わろうという今日、やっと開会したワケですね。
 
 しかし実質的にどういう国会になるのかは、まだ不透明です。
 
 いまの国会の焦点は、まずいつ衆議院を解散させるか、次に憲法違反状態である一票の格差問題をどうするか、そして特例公債法案をどうするのか、この3点のみと言えます。
 また参議院の問責についての落とし前をどうつけるのか、というイレギュラー的な問題としてあります。
 今日の衆議院では野田総理の所信表明が自民党などの野党も出席の内に開会されましたが、参議院では本会議のセットすらされていないという、本当の意味でねじれ現象が起きています。
 さてこれをどう考えるべきでしょうか。
 
 国会には国会の、国会議員には国会議員の事情があるのでしょう。
 例えば技術的な問題、国会の規則の問題や慣例の問題など、外の人にはよく分からないけど、内部に関わる人間にとっては、その組織を運用するために筋を通すために必要なモノっていうのはあります。
 これは国会に限らず、どの組織でも大なり小なりたったりしますよね。
 時にその組織の歴史や設立時のエピソードに関わったりしますから、安易に外の人間が自分の都合だけで批判しても意味がないコトもあったりするでしょう。
 ですから、それはそれとしても、まず国民は国民の視点としてどう考えるべきかというところを考える必要があると思います。
 
 ここを考えれば、もう最近ずっと言ってますけど、まずは「民主党政権3年半をどう評価するのか」というところに全て集約されるでしょう。
 
 民主党が与党と行政の座に居座り続ければ続けるほど国益は失われていきます。
 例えば震災後の菅内閣に対する不信任案の時、あの時も「こんな時に政局をやっている場合か」というマスコミとそれに迎合した国民によって不信任案は潰されてしまったワケですが、しかし、その結果がこの現状ですよ。
 あの時民主党政権でなくなっていたら、どれだけ現在の惨状が止められていたか、それは想像に容易いコトでしょう。
 例えば復興予算の流用などは、自民党政権時には「名目がついている予算を全く別のところ(中韓友好促進団体のようなところ)に使う」なんて使いかがされるなんていうのは、想像すらできなかったコトです。
 消費税増税だって、景気条項を付帯決議なんて中途半端なモノにせず、もっと具体的な形として(具体的とは数値をハッキリさせるコトではありません。それはむしろ害になりかねません)景気や経済復興を鑑みながらの増税に出来たかもしれません。
 特例公債法だって一票の格差問題だって、解散は絶対にしたくない何物に代えてでも絶対にしないという民主党政権以外だったら、もう片付いていた問題だったかもしれません。
 結局、あの時のマスコミと国民の判断が現状を招いたと言わざるを得ないのです。
 いまはそのツケをどう払うのかという問題なのですし、それは菅政権に限らず、どの政権でもどのタイミングで同じコトが言えます。
 鳩山政権でどれだけ外交がメチャクチャになったのか、外国とどれだけ空手形を発行してしまったのか、野田政権だって与野党のあり方というモノを現在進行形で破壊し続けています。
 これがまかり通るのであれば、これからの歴代与党は仕事をしなくてもOKというコトになってしまいます。
 民主党政権が続けば続くほど国益は失われていくのです。
 
 もし、もしですよ、「日本がどうなったところで関係ない。前回の選挙で『4年間は民主党に任せる』と決めたのは国民自身なのだから、日本がどうなったとしても任期満了までさせるべきだ」と言うのでしたら、もはやそれは仕方ない言い分です。
 なぜなら、それは間違っていない考え方だからです。
 紛れもなく「4年間民主党にやらせよう」と決めたのは国民自身です。
 ですから国民生活がどうなったところでそれは国民自身の手によるモノですから、仕方ないと言えば仕方ない、受けなければならないと言えば受けなければならない、そういうお灸を国民が受けるべきというのは、間違いではありません。
 
 ただ、憲法規定により衆議院の解散がありますから、それにのっとって「これ以上国益を失う前に解散」も、間違いではありません。
 4年間させるのは義務ではありませんが、解散しなければならないのも義務ではありません。
 ですからここはもはや考え方の違いでしかなく、結論は出せない問題です。
 やえは「国民自身の手によるモノとは言え、これ以上国益を失わせるコトは危険だと判断するので、いますぐ解散すべき」と思っているというコトなんですね。
 「4年間やれ」も間違いではありません。
 ここは自分自身を含めて、国民がどれだけ我慢出来るのか、そしてその「お灸」をお灸として国民自身が反省材料として認識するかどうか、ここが重要ではないかと思います。
 
 まして民主党は、選挙の際の公約をあっさりと反故にするという、本来民主主義政治においてはもっともやってはならないコトをやってしまっているワケで、ここをどう考えるのかという点もあるワケです。
 公約を達成したのちに、その結果として国益が損なわれるというのであれば、それはその公約を承認した国民にも責任はあるコトです。
 しかしその公約すら果たせていないという段階では、とれる責任もないってお話になってしまいます。
 ですからこの時点でまず解散して「嘘に対する責任を明らかにする」というケジメも必要ではないかとは思います。
 
 まずは国民自身がどう思うかです。
 自民党の行動に対して何を言うかではなく、民主党の行動に対して何を言うかではなく、現状についてどう考えるかという点を考えましょう。
 それがハッキリすれば、ではいまやるべきコトは何が一番なのかも見えてきます。
 結果ありきではなく、まずは論拠なのです。