「政府が間違っているから官僚がそれを正す」はクーデター思想

 田母神氏についてこのようなコメントをいただきました。
 

 田母神さんのそのあたりのご意見はこちらです。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11085015134.html
 
 ついでに上のブログから本題と関係のない部分を引用してみました。
 「国が間違った方向に進んでいるときに、これは俺の責任ではないからお上の言う通りしておこうというのは、国家に奉職する者として責任ある態度ではないと思う。それではお上が間違えばみんな間違ってしまうことになる。」
 ちょっと関係ない部分ですけどこういう考え方もしているようですね。
 乱暴に言ってしまえばやえさんは役人は黙って言われた事だけやっていろという考えで
 田母神さんはその逆だというわけで、まぁ合わないのは当然といえば当然ですね。
 私などはどちらも一理あるなと思いますが、臨機応変に最善と考える事で対処したらいいんじゃないかなと。
 人それぞれ出来る事出来ない事合う事合わない事があるのでね。

 
 このコメントを見て、やえは益々、やっぱり田母神氏は政治行政に最も関わってはならない人ですねという思いを強くしました。
 これは完全にクーデター思想・革命思想、そして易姓革命思想そのものです。
 なによりテロリズムにも繋がる考え方です。
 テロリズムはみんな言いますよ、「自分たちが正しく、相手が間違っている。だからそれを正すために武力を用いているのだ」と。
 
 みんな自分の正義を持っているんですよ。
 やえも持ってますし、田母神氏も自分なりの正義を持っているでしょうし、ルーピー鳩山元総理だって未だに自分は正しかったと自分の中にだけは正義を持ち続けているワケです。
 政治なんてむしろ、それぞれ各自の正義が寄り集まる場であり、それをどう調整するのかというのが政治の本質ですよね。
 この世の中に明確に全ての答えをその場で逐一出してくれる神が存在しない以上、この世の中に「普遍的な正義」も「絶対的な正解」もないのです。
 
 そしてなにより、この「この世の中に「普遍的な正義」も「絶対的な正解」もない」という事実を認めるコトが、つまり他人には他人の正義があり、その「自分とは違う正義もある」という他者の存在を認めるコトが政治の第一歩です。
 特に民主主義は、ですね。
 これが王政なら、王様の答えが絶対正義です。
 そういう制度ですからね。
 ですから、天皇神聖政治の場合は、天皇の聖断こそが絶対の正義であって、これに背く者は悪だと罪だと規定されていました。
 これは良い悪いの問題ではありません。
 そういう制度だ、というだけの、ただの制度論です。
 そしてその制度論の中のひとつとして、民主主義制度があるっというだけなんですね。
 
 では民主主義制度とは何なのかというコトを考えなければなりません。
 それは、国民が直接代議員を選んだ上で、その国民の代表たる代議員が国政を司る制度です。
 つまり「正義」はどこにあるのかと言えば、主権者が国民である以上、国民による選挙の結果が正義である、もっと言えば「多数決の結果が正義」と言えるのです。
 これが民主主義の大前提なんですね。
 だから国民の多数決による結果=選挙によって国会議員と与党が決まり、総理大臣と内閣が決定されるのです。
 民主主義という制度は、政策の中身について成否を問う制度なのではなく、あくまで「国民の意思を反映させるのが正義」であるという制度であって、その中身は正義とは関係ないところにあるのであって、選挙の結果こそが正義であると規定する制度なのです。
 
 ここまで言えば分かりますよね、「お上が間違っているから、(政治家ではないけど)自分がそれを正す」という考え方がいかに「反民主主義的=悪」であるかというコトに。
 
 そもそも「国が間違った方向に進んでいる」っていう考え方が、すでに何に立脚した考え方なのか分からないんですね。
 少なくとも民主主義の考え方ではありません。
 果たして田母神氏は、何を根拠に自分の考え方が正しいと、しかもそれは正しいと「信じる」だけではなく、「普遍的に正しい」と言っているのでしょうか。
 やえもやえの主張は自分では正しいと思っていますが、それが即他者に反論を許さない正しさがあるとか、誰もが無条件でひざまずく正しさがあるとか、全人類の普遍性を持つ正しさがあるとか、そのようには言えませんし、考えてもいません。
 こんなコトが言える人というのは神ぐらいなモノでしょう。
 神ならざる田母神氏は、果たして国民と一切の結びつきもない一公僕という立場において、なにを根拠に正義をかざして普遍性を唱えているのでしょうか。
 あまりにも傲慢です。
 
 個人的に「間違った方向に進んでいる」と考えるのは自由ですが、それを官僚の立場で公務員の立場で考えるのであれば、政治家の出した施策を「間違った方向」とは絶対に言えないハズなんですね。
 だってその政治家は国民の代表なのですから、国民の意思こそが正義であるのですから、それを「間違った」とは絶対に言えないハズなのです。
 民主主義の制度における公僕の立場であればですね。
 ですから、どうしても政府が間違っていると考えているのであれば、政治家がトップ=国民の意思がトップであると規定されている民主主義の中における行政府の職権を持っている立場で、その立場を利用してどうこうしようとするのではなく、それは悪の行為なのですから、一旦行政府の立場を離れて、一国民に戻ってから、政治を目指すべきだったでしょう。
 田母神氏は、なぜ行政府の幕僚長という立場を利用しようとしたのですかと、ここが一番「反民主主義=悪」だったのです。
 ああいうコトをせずして、自主的に辞任した後に国政でも都知事選でも出馬すれば良かったのです。
 でも未だに田母神氏は過去の行為を肯定していますよね。
 であるなら、それは「間違っていた」「悪だった」と言うしかないのです。
 
 「政府が間違っているから官僚がそれを正す」はクーデター思想なのです。