祖母への思い日記

  祖母がボケた。
 いわゆる痴呆症だ。
 70を越している年だから、テレビなんかで100歳でも元気なお年寄りを見ると複雑な気分ではあるのでもうちょっと頑張って欲しかったとは思うが、致し方ないことだということは受け入れられる。
 
 祖父はかなり前に他界した。
 もう20年も前になるかもしれない。
 つまり20年もの間祖母はひとりで暮らしてきたのだから、むしろ頑張った方なのかもしれない。
 
 祖母はいま幸せなのだろうか。
 
 オレは東京で生活しているが、オレの両親は健在だし祖母とはごくごく近所に住んでいるので、「ひとりで暮らしてきた」と表現した場合の一般的なイメージとはオレの祖母は結構違うかもしれない。
 またオレの弟たちはすでに結婚し、子供もいて、やはり広島のごく近い場所に住んでいるので、つまりひ孫にも囲まれた生活をいま祖母は送っているし、調子を悪くしてからはデイサービスを受けたりしていて、生活の不自由はないそうだ。
 弟の嫁さんも祖母にはよくしてくれているらしい。
 だから多分、同じ境遇の人よりも良い暮らしを、楽な暮らしをオレの祖母はしているんだろうと思う。
 
 そう考えれば、これは相対的な他人と比べての評価になってしまうが、祖母は幸せなのだろう。
 
 ちょっと前に実際に会った。
 オレが祖母の異変に気づいたのは、祖母が滅多にかけてこない電話があったからだ。
 その場では取れなかったので、変だなと思ってすぐに場所を変えており返すと、なんとオレのことが分からない。
 「誰だったかいね?」と言われた。
 それなりにショックを受ける言葉ではあるが、たしかオレはまず「ついにきたか」と思った。
 動揺はしたが冷静だった。
 その後、かなり久しぶりに広島に帰郷し、実際に祖母に会った。
 
 祖母はニコニコしていた。
 
 オレのことはすぐには分からない。
 説明して、そういう人もいたなぁぐらいのものだ。
 でも知らない人がそばに居ても、祖母はニコニコしている。
 まだ具合が悪くなっていないとき、祖母はここまでいつもニコニコしていただろうか。
 たまに広島に帰ると、オレは東京ばな奈を両親にではなく祖母に買って帰り、そして祖父の仏壇に備えていた。
 その時は祖母はニコニコしていた。
 でもいまは、あの時よりニコニコしている。
 
 祖母はいま幸せなのだろうか。
 
 おそらく平均寿命がまだここまで長くなかった時代では、認知症の問題はそんな身近な問題ではなかっただろう。
 ボケるより前に死んでしまうからだ。
 だからほとんど人はボケないまま人生を終える。
 ましてもっと時代が遡ると、老人を山に捨てに行く風習があったわけだから、ますますボケの問題は身近にはなかったんだろう。
 そしてボケたとしても、それは山姥のような形で、認知症ではなく、別の力によって発生する自然災害のような認識でこの問題を捉えていたのだろう。
 
 でもいまは科学が進み、認知症は誰にでも起こりうる普通の現象として捉えられるようになった。
 体が寿命を迎える前に脳が付いていけなくなってしまうと言えるこの現象。
 オレはこういう人間の仕組みを目の当たりにしたとき、その意味を考える。
 
 「なんのために人間には認知症というシステムが組み込まれているのだろう」と。
 
 オレはこの世の全てには理由があると思ってる。
 意味があるからこそ、そういうシステムがあるんだと思っている。
 認知症もそうだ。
 ただの脳の欠陥で済ますのではなく、なんらかの理由があるから「寿命」があるんだと思う。
 そして理由を考えれば、いろいろな想像は出来る。
 その中のひとつが「人生の最期は、例え他人に迷惑をかけようとも自分の中では幸せな人生を送るためだ」というモノだ。
 外部の煩わしい情報をシャットアウトして、自分の一番幸せだった時の記憶だけを残して、そういう中で人生の最後を迎える。
 こういう理由があるんじゃないだろうか。
 
 オレの祖母はニコニコしている。
 他の認知症の人は知らないけど、オレの祖母はずっとニコニコしている。
 傍目から見ればとても幸せそうに見える。
 正直オレはなかなかどう声をかけていいのか分からない部分が大きいのだが、でもそのニコニコしている姿には、だいぶ救われている。
 祖父と祖母と過ごした時間はたくさんある中で、オレがそれをどこまで恩返しできたのか、孝行できたのか分からないけど、でもいま幸せでいてくれるのであればそれが何よりだ。
 
 この前帰郷した時、オレは墓前とか神社で願い事をすることは滅多に無いのだが、仏壇を前にして祖父に願った。
 せめて祖母が最後を迎えるときまで、どうか祖母が幸せでいられるように見守ってくれ、と。