コメントレス

 「歴史を紡げない民族2」についてたくさんコメントを頂きましたので、ひさしぶりにコメントレスの更新をしたいと思います。
 コメントしてくださった方々、ありがとーございまーす。
 
 
505さん
 

>特に日本なんて徳川の天下統一まではまさに征服と内戦の歴史じゃないですか。
>征服と内戦の歴史の否定は日本の否定にもなっちゃいませんか?

 
 少なくとも日本は日本という歴史的アイデンティティとは別のアイデンティティを持つ民族に征服されたコトはありません。
 敢えて言うなら大戦後のアメリカですが、少なくとも徳川以前はありません。
 また内戦は武士による争いのコトを言っているのだろうと思われますが、安土桃山時代あたりを内戦と呼ぶかどうか、まぁそこは呼んだとしても、でも鎌倉時代にしても室町時代にしても、その節目には戦争はありましたが、それでもけっこう長い期間平和な時代が続いていました。
 まして平安時代は、これも江戸時代に並ぶ、いえもっと長い期間の「奇跡の平和な時代」です。
 
 重要なのは「歴史的・文化的なアイデンティティ」です。
 更新の中でやえがリンクを張った「アルジェリアの歴史」を見ました?
 古代からしてすでにローマに征服され、のちにイスラムの国にまた征服されてイスラム化し、また欧州の国に征服されと、ずっとそんなコトを繰り返しています。
 日本が日本という「歴史的・文化的なアイデンティティ」を一番の価値においたままに争った戦国時代とは、まったく意味合いが違います。
 一線を画するとかいうレベルではありません。
 

>たまたま天皇制という権威があったり、周囲を海に囲まれて大陸の侵略があんまり無かったりといったある意味運に恵まれていたこその明治維新で、実在しないアッラーや内陸国家にそれを求めるのは傲慢な気もします。

 
 天皇という制度をたまたまと言うのであれば、世界の歴史の全てはたまたまです。
 まして世界の国のほとんどは古代から中世にかけて王政なのですから、ずっと日本が天皇を戴いてきたのは決してたまたまではなく日本人の不断の努力と意志によるモノであって、それを否定するコトはできません。
 また島国だったというのも、1つの要素としては内陸国家と安易に比べられない要素ではありますが、しかしそれを生かすも殺すもその民族の意志にかかっています。
 では島国ならすべて日本のような国家になるかと言えば、結果としてそんなコトは全然ないワケですね。
 島国国家なんていくらでもありますよ。
 でも全てが日本と同じ国ではない。
 つまり日本人は「島国という条件を、自らの努力と意志によって好条件にもっていった」と言えるのです。
 
 もし歴史を「たまたま」で語るのであれば、それはそこに生きてきた人間の意志を無視する考え方です。
 歴史たまたま論を否定するつもりはありませんが、ただその場合、その論者ともはや語るべき言葉をやえは持ち合わせません。
 言ってみれば「歴史は全て神が動かしているんだ」と言ってるようなモノですからね。
 

>プライドの高い無能な働き者が巻き起こす悲劇は、民主党政権3年半を例に出すまでもなく非常に大きな被害を出すことは日本人も学んだ所ではあります。
>が、未だに戦国時代であるあれらの国家に、現代日本の常識を期待するのがそもそもの間違いなんですよ。
>結局自国民を守れるのは自国の軍隊だけ! と言いたいところですが、今回は米英仏軍すら打つ手が無かったというアルジェリアのダメダメっぷりだったわけで。。

 
 やえはあの辺の国々の歴史を見る限りは、今回のテロリストらもアルジェリア政府も、結局「内戦の延長線上」としてしか考えていないと判断するしかありませんでした。
 日本の常識が通用するなんて最初から期待していませんが、しかし未来を創る努力というモノを理解しているのであれば、さすがに今回の行為は全てにおいて“ない”ワケです。
 時代の変革期には戦争が起こるというのは人間の性質上仕方ないコトなのかもしれませんので戦争自体を忌避する考え方には与しませんが、では何のために戦っているのか、どこに向かって戦っているのか、その辺が内戦に明け暮れる「征服と内戦の歴史」しか持たない国々に対して、大きな疑問と、そして侮蔑の念を抱かざるを得ません。
 
 
よんたさん
 

>また、歳入420億ドル 歳出307億ドル 経済援助1億ドル(wikipediaの「アルジェリアの経済」より)
>とのことで、「経済援助ばかり貰って、内戦に明け暮れ、自立しようとしない」といった見方は、
>ちょっと違うのではないかと思います。

 
 これから発展すれば、それはそれで喜ばしいコトでしょう。
 ただ日本に対して恩を仇で返す行為をした事実は変わらないので、それはそれとして見る必要があろうかと思います。
 
 あと敢えて言うなら、「長すぎる」というのは正直な感覚としてあります。
 第二次世界大戦が終わって何十年が経ってるんですかと。
 戦争はその国々の事情がありますから、日本とスタート地点が同じとは言いませんが、それにしても長すぎますよね。
 まして歴史をひもとくと「征服と内戦の歴史」ですよ。
 「何世紀もかけた上で未だになにやっているんですか」っていうのがまずあるワケです。
 
 
ぷぺーさん
 

>歴史という言葉の定義がやえさん個人のものになっているので。他は大体同意ですね
>自然と共存する文化というのもあるので現代的発展をした先進国しか認めないみたいな言い方はどうかと思いますがそれも>価値観の相違でしょう
>私は北アフリカや中央アジア等のマイナー史が好きなので歴史好きとしてはちょっとアレですが。
>現代のアフリカの多くが土人共頭悪すぎ国家になってるのはその通り
>言いたいニュアンスは大体わかるのです。

 
 この場合は別の方のレスで言いましたように「歴史的・文化的なアイデンティティ」という視点での歴史という意味です。
 つまりその民族の主眼としての視点で見たときの歴史です。
 ぷぺーさんは
 

>私は北アフリカや中央アジア等のマイナー史が好きなので歴史好きとしてはちょっとアレですが。

 
とおっしゃっているので、それは外からの視点での歴史、言わば学術的な歴史と言えるでしょうけど、それならそれを歴史と呼んでもいい、というか歴史と呼ぶべきモノでしょう。
それはやえもこう書いてます。
 

 他人から見た時の事実の羅列でしかありません。

 
 ですからマイナー史が好きな歴史好きとして「征服と内戦の歴史」を見るのは、やえは一切否定しません。
 それを歴史と呼ぶのも、むしろ当然と言えます。
 
 ただ今回の問題は、「民族アイデンティティ」の問題です。
 「征服と内戦の歴史」に果たして「民族アイデンティティ」があるのかどうかです。
 主体的な視点として歴史を受け継ぎ未来に紡いでいくという行為は、つまり「民族アイデンティティ」を伝承していくってコトです。
 「自分達はどうしてこの地で生まれ、先人達はどう考えて戦い生きて、我々は子や孫や子孫達に何を残していくべきなのか」
 それが歴史を紡ぐってコトなのです。
 しかし残念ながら「征服と内戦の歴史」にそれがあるとはやえには思えないのです。
 もしこの「歴史を受け継ぐ気概」があるなら、もっと違う事実の羅列である歴史があったのではないかと思わざるを得ないのです。