3.11です

 あれから二年が経ちました。
 あの時の記憶や恐怖は。わざわざ繰り返して言いません。
 様々な人が色々な思いをもったかと思います。
 できればそれを教訓に、それぞれが自分の経験として未来に繋げていけばいいのではないかと、やえはそう思います。
 
 あの災害で命を落とされた方に、鎮魂の誠を捧げます。
 
 それにしてもムッとするのがマスコミです。
 特にテレビです。
 今日も朝から報道という名のバラエティ番組を垂れ流し、あるタレントが「被災地に実際に行って見てきた」とかドヤ顔で言ったり、コメンテーターとかいう人種がしたり顔で「復興が遅い」と政府批判をしたりと、なんと薄っぺらいセリフを吐いていました。
 中でもやえが一番気に障ったのが、小学生とか子供をわざわざ集めて、テレビの前でセリフを言わせるあの行為です。
 ハッキリ言って、あの手の行為って何の意味があるのでしょうか。
 別に子供でなくても、そしてこれは災害の問題だけに関わらず、政治でもなんでも街角で一般人数人の個人的な感情を吐露させて、それを公共の電波に垂れ流すあの行為は、果たして何の意味があるのでしょうかと言いたいのです。
 
 ましてコメンテーターなんかは、そのたった数人の意見をもって「これが被災地の思いです」とか言うワケですよ。
 意味がわかりません。
 その人がどんな立場で、どんな権限をもって、被災者全員の思いを代弁出来ると言うのでしょうか。
 例えば原発の問題1つとっても、今すぐ原発を稼働させて電力を安くさせてそれで経済をまわして景気を良くするのが一番だと思っている人だっているでしょう。
 もっと言えば、原発で働いていた人の中には、また同じ仕事をしたいと思っている人だっているでしょう。
 もちろんそういう人たちがどれだけの人数いるのかというコトはやえには分かりませんが、ただ少なくともたった数人だけのインタビューで、その全ての人の思いを代弁する行為というのは不可能だというのは確かです。
 やえなら、そういう人がいるという事実だけをもって全ての人がそう思っているなんて口が裂けても言えません。
 ましてそれが何万、何十万、何百万という人が同時に視るワケで、その影響力は計り知れません。
 インタビューを受ける人も受ける人だと思いますが、それを垂れ流す方はその責任をどれだけ自覚しているのでしょうか。
 
 特に今日醜悪だなと思ったのが、その子供を集めてのインタビューの際にですね、その子供が言葉が詰まったんですね。
 感極まったとか、そういうんじゃないんです。
 明らかに「セリフを忘れた」みたいな顔を子供はしていたのです。
 それで困るのがインタビューアのアナウンサーやスタジオのタレントたちですよね。
 「リハーサルではこう言ってたのよね」みたいな焦りの表情が出て、子供の隣にいるアナウンサーも次の言葉を自ら言わんばかりに急かすのです。
 
 所詮はテレビです。
 もしかしたらその子供の言葉も、子供自身が考えたのではなく、テレビ側が用意した作文を丸暗記させていただけかもしれません。
 良くて子供に事前に話を聞きいて誘導した後に作文を作り、それを子供にカメラの前で言うように決めていたのでしょう。
 でなければ、本番の前で言葉につまる必要なんてないんですからね。
 本当なら、その子供に自由にしゃべらせるコトこそがインタビューのハズなのに、事前に「リハーサル通り」ときつく言っていたのでしょう。
 だから本番に頭が真っ白けになった子供が困ってしまったのです。。
 リハーサル通りでなければならないと決めるのは、テレビの傲慢です。
 ましてそれを被災者代表かに仕立てあげ、さらに子供を使って反論を許さぬよう感情に訴える。
 これを醜悪と言わずして何を醜悪と言うのでしょうか。
 
 民主党政権が復興の足を引っ張っていたコトは否定しません。
 足を引っ張るというよりも、何もしていない、何をしていいのか分からなかったというのが民主党でしょう。
 しかしその民主党政権を作り上げたのは、だれでもないマスコミの先導によるところが大きかったではないですか。
 その責任を取ろうとせず、未だにこのようなでたらめな世論を作り上げようとするマスコミは本当に醜悪としか言いようがありません。
 どんな顔をして「被災者代表」を作り上げようとしているのでしょうか。