国のあり方があってこそ制度を作るべき

 さて今日は、先日お話ししましたように選挙制度に関する議論について、いただいたコメントにレスをさせていただきます。
 コメントして下さいました方々、ありがとーございまーす。
 

 ちょっとやえちゃんに質問なんだけど、コレって問題なの?
 人口の多いところってつまりは都市でしょ?
 少ないところは過疎の進む田舎でしょ?
 一票の格差を減らすって事はコレを平均化するってことだと思うケド
 そうすると都市に都合のいい政策が通り易くならない?
 今現在は都市の方が選挙で一票の格差の被害を受けてるんでしょ?
 だったらこのままって選択は次善の策にならないのかな?
 経済的に力を持ってる都市の意見が通りにくく過疎が進む田舎の意見が通りやすくなるならそれは一概に悪いと言えない気がするのだけど・・・
 もしかしたら前提をキチンと理解してなくて頓珍漢な質問かもだけど気が向いたら教えてくれ~

 

 そんなに一票が軽んじられる地域にいるのがいやだったら、価値の高いところに引っ越せばいいだけって話があったな。

 
 人口というモノはどうやっても平均化できませんから人口が多い地域と少ない地域が生まれ、そしてその人口に比例させるように代議員を選ぶのであれば、やっぱりどうしてもその議員数にも差が生まれるのは、制度上の必然と言えるでしょう。
 ですから確かに、議員数を増やすというコトをすれば都会選出の議員が増えるのは確かですから、議員数だけで言えば、ますます都会の意見が通りやすくなるというコトになるかもしれません。
 つまり現状は、一票の格差を是正する前の状態に比べて、「比較的、経済的に力の無い地方に配慮している形」だと言えるでしょう。
 
 まぁこれをどう考えるかですね。
 というのも一票の格差を問題にしている人というのは、そういう国土の事情とか経済の事情とかは一切無視して、とにかく「人間ひとり一票」が大原則で、その平均化こそが「平等」だと考えているからです。
 そしてそれは確かに、現代の人間社会の考え方からすれば、間違いではありません。
 ただしそれはそれとしても、「政治的にそれが正しいかどうか」というコトについても、平等の観点と全く同じ高さで真摯に考える必要はあるでしょう。
 どちらも同じ重みのある問題であり、つまり選挙制度の問題の中での一票の格差の問題とは、「人間の平等と権利」を着眼点とするか、「国家全体としての繁栄」を着眼点とするかに集約されると言えるワケです。
 
 「イヤだったら引っ越せばいいじゃないか」というのは後者の考え方でしょう。
 やえもまぁ、そう思わなくもありません。
 そしてその一票の権利が大きい地域=過疎化が進む地方に暮らして、大勢の人が移住して、その地方を発展させればいいんじゃないですかと、そう思わなくもありません。
 ただまぁ、どこに住むかというのも自由意志を持つ権利がありますから、なかなかそう言うのもどうなんですかねとは思うんですけどね。
 
 やえは、日本っていうのは、地方の積み重ねがあって成り立っている国家だと思っています。
 様々な地方の特色があるからこそ、日本は多様な文化と風土があり、それがひとつに集まって国力となっているのです。
 このお話は次回に詳しくしたいと思うのですが、だから、そこはそことしてキチンと考えるべき要素なんだと思うんですね。
 例えばアメリカは上院は「一州に2人」と決まっているワケで、人口比とか一票の格差とか一切無視しています。
 これはアメリカという国の文化や歴史に根付いた制度なのでしょう。
 やえにはアメリカの風土や文化はよく分かりませんが、しかし本来国家の制度とはこうあるべきなんじゃないのでしょうか。
 つまり一票の格差なんていうモノよりも、より「その国のあるべき姿」に即した制度を作るべきなのです。
 
 アメリカの憲法にも当然「平等の権利」は明記されているでしょうから、そこから一票の格差問題をどう整理しているのか分かりませんが、もし法律でそれが整理できるのであれば、日本はアメリカを参考にするのも手なのではないかと思います。
 結局なぜいま違憲判決が出ているのかと言えば、別に憲法に「一票の格差は許さない」と明記されているワケではなく、「平等の権利」があるから、そこから一票の格差はそれに抵触するとされているだけです。
 ですから、つまり逆に言えば「一票の格差は平等の権利に抵触しない」と整理されれば、この問題は全て解決するワケで。
 もしかしたらこれは憲法改正も必要なコトなのかもしれませんが、「国のあり方としてはどういう制度が適切なのか」という部分をまずは考えるべきなのではないでしょうか。