法律は改正されるまで法律

 法律は改正されるまで法律です。
 いくらその法律が自分にとって都合が悪くても、肯定しがたいモノであっても、内容に全て反対だったとしても、それが改正されるまでは法律であり、遵守する義務があって、それに背けば罰を受けて当然です。
 法律を作る立場である国会議員という立場であれば尚更です。
 「この法律は自分は反対したのだから、自分はそれを守らなくても良い」なんて言いだしたら、法治国家もなにもあったもんじゃなくなります。
 例えば憲法改正を明言している安倍総理にしても、改正するまでは改正前の憲法に従って改正手続きを取るコトになります。
 改正要件である「国会議員2/3以上の賛成」の部分を「1/2」にするんだ、と現在言っていても、でもそう改正するまでは「2/3以上の賛成」を経なければなりません。
 安倍総理の理念が「1/2」なんだから、はじめての改正でも1/2でいいじゃないか、とは決してなりません。
 法律は改正されるまで生きている法律なのですから。
 
 この原則は、法律に限らず政府の公式見解でも同じです。
 河野談話も、安倍総理は見直しを検討しているところですが、しかし現在は改正がされていないのですから、公的には「河野談話を継承している」と言うのは当然のお話です。
 いくら安倍総理個人の思いが河野談話を否定したいと思っていても、改正がされるまでは公的には肯定しなければなりません。
 法律と同じです。
 いくらこの法律を変えたい、廃止したいと内心で思っていたとしても、改正される前の段階で「これを無視する」なんて絶対にやってはならないコトですから。
 これがまかり通れば、法治国家としては終わってしまうコトでしょう。
 いくら政治家と言えども総理だと言えども為政者と言えども、内心よりも公というモノに縛られるからこそ、法治国家なのです。
 安倍さんは総理になる前に言ってたコトをすぐ実行しないから悪だと言っている人は、つまり日本を中国や北朝鮮のような人治国家にしたいと言ってるようなもんなのです。
 
 もちろんこれは、外務大臣や防衛大臣などの全ての閣僚も同じです。
 先日小野寺防衛大臣が、安倍政権として歴史への「痛切な反省と心からのおわび」を引き継いでいると表明した、というニュースで話題になっていましたが、やえからすれば、なんでこんなニュースがニュースになっているのか不思議なぐらいです。
 例えばとある大臣が「道路交通法は遵守すべきです」と言ったところで、それがニュースになりますか?
 それと全く同じコトなのに、なぜこれが話題になっているのかやえには全く分からないです。
 
 安倍さんが河野談話を見直しをするっていうのでしたら、それはやえは期待したいところです。
 でもそれと、現在日本政府がどういう立場なのかっていうのは、別の問題です。
 法律は法律、政府見解は政府見解です。
 これを一個人の思いだけで変えられるほど日本政府っていうモノは軽くありません。
 鳩山総理なんていうのはここを完全に思い違いしていたからこその大失敗だったワケですが、だからこそ、ここの部分はキチンと理解しなければなりません。
 法律は改正されるまでが法律なのですから。