何のためのその表現なのかをひとつひとつ丁寧に検証を-『はだしのゲン』閉架問題
頂いたコメントで申し訳ないのですが、この件に関して最もやってはいけない言い方の例示をします。
随分とお手軽に思想弾圧という強い言葉を使うんですね
子供がお手軽に見るには相応しくないからそのまま棚に置くのは止めようというのが思想弾圧なら
エロ本に紐をかけるのも思想弾圧ですか?
なにがいけないのかと言えば、前回言いましたように、「エログロの問題」と「思想の問題」をごっちゃにしてしまっているところです。
やえは前回、思想問題についてそれを規制するのは思想弾圧だと言ったのです。
エロのお話なんて、エロ本への紐かけなんて、話題にすらしていません。
ここは明確に分けて考える必要があります。
この匿名さんの2行目は思想の問題なのかエログロの問題なのか分からないのですが、もし思想の問題だとしたら、しかし「供がお手軽に見るには相応しくない」とは一体どういう真理でふさわしくないと結論づけられるというのかという問題になってしまうワケですよ。
あくまで匿名さんが自分の意見として「子供にふさわしくない」と考えるのはいいんです。
しかしそれはあくまで一個人の一意見でしか無く、それが公権力を動かす論拠にはまったくなりません。
前回言いましたように「偏っている」というのも論拠にはならないのです。
ここの線引きはキチッとしておかなければなりません。
さて今日はエログロの問題に触れたいと思うのですが、まず先に言っておくコトがあります。
それは、「事実誤認の問題は事実誤認の問題として扱い、それは最優先される」というコトです。
これは最初からずっと言っているコトですが、『はだしのゲン』は事実と異なる描写も多々あり、表現の自由も「無かったコトをあったかのように書く自由」なんて保証してないワケですから、ここについては最優先として改善させる必要があると言えます。
まず前提条件として、ここを付け加えておきたいと思います。
ではエログロの問題ですが、もしですね「時代がそうなんだから仕方ない」というコトでしたら、これは由々しき認識だと言わざるを得ません。
やえは決して、そんなあやふやなモノに表現の線引きを委ねていいとは思えません。
もちろん時代によって考え方は変わってきます。
倫理は変化していきます。
ですからこれを全く無視しろとは言いません。
ただ、それにただただ流されるというのも、思想の放棄になるのではないのでしょうか。
深く考えます。
エログロの問題は、ただ一言エログロの問題と言っても、作品によってエログロの立ち位置というモノは違ってきます。
大きく分ければ、「エロ・グロが目的の作品」と、「主題が別にあり、流れの中でエログロ表現が必要な作品」とで分けられるコトができるでしょう。
前者は簡単に言えばエロ本とかですね。
そして前者の場合は、時代の変化の影響をモロに受けてしまうと言えるでしょう。
例えばヌード写真集も、昔はアンダーヘアが1本写っているかどうかで大騒ぎしていたような時代がありましたけど、いまではヘアなんて写したい放題ですよね。
また逆に、「多くの目が集まる場」でのエログロ表現がだんだん厳しくなっているという状況もあります。
もっと正確に言えば、「厳しいコトを言う人が増えてきた」と表現できるかもしれません。
実際問題、エロ本的な媒体は昔の方が目に触れやすかったかどうかというのは疑問が残るところだからです。
昔はある程度キチンとゾーニングできてましたが、いまは18歳の規制がかかってない媒体でも簡単に性描写を載せてしまっていますからね。
こう考えれば、果たしてここ数十年の間に「規制が厳しくなった」と言えるかのどうかという部分も議論が残るところだと思いますが、まぁその部分も含めて少なくとも「時代の変化の影響をモロに受ける」というのは違いないでしょう。
ただ果たしてそれを流されるがままにしていいかどうかというのも議論が残るところです。
「エロを未成年に見せてはいけない」という建前は、まぁこれは常識論で正しいと言っても差し支えないのかもしれません。
なぜだと議論を突き詰めてもいいですし、時に必要な議論だと思いますし、むしろ一度キチンとここも議論すべき議題とは思うのですが、未成年に「エロのためのエロ」「性的欲求のために性描写」を見せるのは良くないという線引きはまずあろうかと思います。
その上で次に「主題が別にあり、流れの中でエログロ表現が必要な作品」について考える必要があります。
『はだしのゲン』はここに当てはまります。
よもや『ゲン』をエロ本と同じく、そういう欲求を満たすための作品と受け取る人はいないでしょう。
それはうがち過ぎというモノです。
そしてこういう作品に対しても、「時代の影響を無批判に受け入れて良い」と言えるのかどうかというところは考える必要があるのではないでしょうか。
もっと言えばですよ、『ゲン』などの作品におけるエログロ表現というのは、エログロそのものが目的なのではなく、そういう描写を踏み台としてもっと先に考えるべき主題があるからこそのエログロ表現なワケです。
一番分かりやすい例で言えば、原爆投下直後の熱線で皮膚が焼きただれた人の表現でしょう。
原爆の問題にある程度興味がある人はその描写を見たコトがあると思いますが、あの描写は決してああいう姿を見せるためだけに描いているのではなく、もっと言えば、その姿そのものへの興味からの表現なのではなく、その先にある「原爆とはどういう結果が待っているのか」というコトを突き付けて考えさせるための表現なワケですよね。
逆から説明すれば、「原爆とはどういうモノか」というモノがまず主題としてあり、それを表現するためにはどうするのかというコトを考えると、ああいう人間が焼けただれた姿を描くという手法に、自然となったワケです。
エログロは目的ではなくあくまで手段であって、目的は「原爆の現実」なんですね。
いわゆるエロそのものが目的であるエロ本とかとは、その作品の根本思想が違うワケなのです。
でも近年はそういう表現も、例えば原爆資料館などで蝋人形を撤廃しようという動きがあるように、規制しようという方向に行ってしまっています。
本当にこれも腹立たしいコトなのですが、いったいなんのためのそういう表現なのか分かってないんです。
「エロ・グロが目的の作品」と、「主題が別にあり、流れの中でエログロ表現が必要な作品」とが違うってコトは、キチンと認識すべきでしょう。
そして後者の問題についてまで、「時代がそうなのだから仕方ない」とただ流されるだけなのは、もはや思想の放棄とすら言えてしまうのではないのでしょうか。
こういうコメントをもらっています。
はだしのゲンは読んだことがないので個人的な感想は言えませんけど、女性を犯した後、性器に一升瓶突っ込んで子宮を破壊がのシーンがあるそうで、それだけ聞いたら、そこらのエロ漫画よりも道義的に酷い内容に思えてしまいます。たぶん、その当時の不条理を描いているだけなんでしょうけど。
ネットでは問題のあるコマだけを切り取って連続して羅列するのでインパクトばかりが残って作品に対する冷静な判断が出来ないという問題かありますので、特に『はだしのゲン』という特異な漫画に対しては一度ならず何度かキチッと読んで欲しいなと思うところなんですが、なぜその表現がその場面にあるのかっていうところを読み取ってから判断してほしいところです。
もし、その場面だけをもって「エロ漫画よりも道義的に酷い内容」と判断して規制対象にするが妥当だと判断されてしまうのであれば、やはり蝋人形とかそういうモノが「時代の流れ」というあやふやなモノで規制されてしまうコトになるでしょう。
それは決して「作品への評価」とは言い難いモノです。
そしてではこの場合、原爆の悲惨さや“現実さ”というモノをどうやって伝えていけばいいのでしょうか。
現実から目を逸らしながらで現実をどう受け止められると言うのでしょうか。
ただ、文章上でこの辺の問題をキッチリと線引きするコトは難しいコトです。
悪意ある人によれば、本来「エロ・グロが目的の作品」なのに「主題が別にあり、流れの中でエログロ表現が必要な作品」として見せようとするコトもあり得ます。
だからこそ、これはキチンと作品ひとつひとつについて丁寧に検証しなければなりません。
そしてやえはその上で言っているのです。
『はだしのゲン』は実際に検証して実証できる作品なのではないのですか?
と。
ただただ空気に流されるのではなく、論拠をキチンと付けましょうと、さらに『ゲン』はそれをするにうってつけなんじゃないですかって言いたいのです。
『ゲン』はエログロが目的の作品ではなく、あくまでエログロは手段でしかない作品です。
その上でその表現が本当に子供に悪影響があるのかどうか、調べられるのですから調べてから判断してください、とそう言っているのです。
やえは別に、「「主題が別にあり、流れの中でエログロ表現が必要な作品」の場合は無制限に公開すべきだ」なんてコトは言ってません。
ずっと言ってるコトは、調査できるのですから調査しろってコトですから、故にそれは「調査した結果」には従うという意味です。
もし実際に調査して本当に子供の発達段階に悪影響があると断定できるのであれば、閉架措置は仕方ないと思います。
ただやえの実感として、調査してもそのような結果は出ないでしょうとは思っていますけどね。
しかしそれは調査自体を阻害する意見ではありませんし、調査しようの無いモノをしろと言っているワケでもありまんせし、少なくとも公権力を行使するのであれば調査できるのですからしなければならないハズだと言っているワケで、その上でキチンと調査して結論が出るのであればそれには当然として従うべきです。
少なくとも調査できる段階において、しかし「時代の流れ」なんていうあやふやな空気がそれに勝り規制しなければならないなんていう意見には、やえは到底納得はできません。
『ゲン』の問題に限らず、「実証されるデータ」と「ただの空気」とどっちが優先させられるべきかというのは、思想言論活動に身を置き論理こそ重要視する身としては、当然前者を優先すべきだと主張します。
これは本来「エロ・グロが目的の作品」でもそうだと思います。
実証可能かどうかはともかくとしても、もし本当に科学的検証において未成年に性的欲求のための性表現が発達段階に置いて一切悪影響は無いと断定できるのであれば、やえはすぐさま「18禁の撤廃を」と主張するコトでしょう。
「なんとなく」という空気的論拠は、科学的検証よりも優先させられるべきではないからです。
繰り返します。
これが検証不可能であればやえはここまで言ってません。
でも『ゲン』に関してはできるハズです。
その上で『ゲン』は「主題が別にあり、流れの中で必要な表現の作品」です。
だからこそ、何のためのその表現なのかをひとつひとつ丁寧に検証をした上で、丁寧に真摯に議論してその扱いを考えなければならないのです。
果たして松江市教育委員会はどのような論拠を持って今回の措置に踏み切ったのか、やえには「単なる思いつき」にしか思えないのです。
そしてその思いつきは、『ゲン』を愛読していた人間の人格をも否定しかねないコトなのです。
そのコトすら松江市教育委員会は想像が及んでいないようですが、こここそが一番腹立たしいところなのです。
ディスカッション
コメント一覧
結局またまたまた連投する私ですw 48時間以上経ちましたし、その間に新エントリーも上がってますし、他の方から上記投稿の間違いの指摘も無いですし、そろそろいいでしょうか?
いつのエントリーかはちょっとわからないのですが、やえちゃんのスタンスとして、返信するまでも無い(当たり前の)内容についてはスルーする事もある。というスタンスがあった覚えがあります。そもそもやえちゃんはお忙しい身ですしね。
完全に的外れな内容については私相手に限らず大抵お返事を頂けていたし、常連さんからの指摘が入るというのもこのブログの特徴ですし。
というこれまでの流れから、私の解釈はとんでもなく的外れ、という物では無いようです。安心しました。
私以外の方が行ったコメントもほぼスルーという事で、その差別の無い一環したスタンスも理解しました。
いつだったかのアルジェリアの時にも思いましたが、読者や国民に「考えろ考えろ」と繰り返しつつも自分の考えはあえて表明しないというやり方も、やえちゃんの手法の一つであるというのは間違い無いようです。
今後もしっかり内容を熟読し、「このエントリーはやえちゃんの思想を語る内容か」「それともただの批判で(その時点では)思想や考察を語る気が無い」のかを見極めながら読ませて頂こうと思います。
他コメントの方々もお付き合いどうもありがとうございました。
選定基準など、参考になるリンクも張っていただきありがとうございます。
また機会があればよろしくお願いします。
お返事ありがとうございます。また私なりの解釈になってしまうのですが、つまり…
・今回の一連のゲンエントリは思想・考察・意見といった類の物ではなく、松江市の態度が気に入らないという愚痴・批判の一点のみについて語ったもの。
・「あるモノを無くす」としようとした今回の場合、やえの思い入れのあるゲンという漫画(&読者仲間)を馬鹿にされた気がするから許せなかったというだけ。
・そこに連なる理由や思想は今回は一切関係無く、やえが個人的に思い入れのあるゲンを閉架しようとしたから気に入らなかっただけ。
・なお、やえの認識として「はだしのゲンは人格形成に影響力は無く、広島ですらあくまで自由時間に読めるマンガの一つでしかない」である。
・なぜ、ゲンがこれまで学校に「あるモノ」だったのか、それは別の議論であり、今回はやえの考えを語る気は無い。
・(少なくとも今回は)やえがゲンが学校に相応しいとかどうとか、どういう思想があってどういう思い入れがあって…等など、やえの思想や考えを語る気は無い。
・今回のゲンエントリーについては、松江市の態度以外の話をする気は無い。
という解釈をして良いんでしょうか?
挑発してるとか悪質な曲解と言われるかもしれませんが、率直な感想です。悪意はありません。
例えばこれがゲンじゃなくてスラムダンクや浦安鉄筋家族にそのまま置き換えたのだとしたら、やえちゃんの憤りが良く理解出来ます(笑)
これまで図書館においてあった自分の好きな漫画が、教育に悪いとかの理由で閉架されたらそりゃカチンと来ますね。
わかります。
おはろーございます。
すみません、レスを求められるようなコトを言われましても、それには正直当惑しか覚えません。
今回の件はまさしく松江市の態度の問題をやえは取り上げたワケで、そのお話についてやえが主張したいモノはそれなりに多くの方に伝えられるコトが出来たと思っています。
その上で特にやえは、ひとつの議論から話がどんどん枝分かれして別の議論に変わってしまうコトは避けたいと常々思っていまして、それは505さんがよくお分かりのコトと思うのですが、よって別の話題のコトを、松江市の問題からスライドする形で言及するコトは避けたいと思います。
今後なんらかのキッカケで学校図書館のあり方の問題を取り扱うコトもあるかもしれませんが、少なくとも、松江市の問題から発展する形にすると、松江市の問題がごっちゃになって主題がボヤけてしまい兼ねませんので、ご容赦願いたいと思います。
これをもう少し裏付けるのであれば、やはり「あるモノを無くす」という行為と、「無いモノをあるようにする」という行為とでは、やっぱり全然別物です。
意味合いや人の捉え方が全然変わってくるからです。
ここをごっちゃにして同列にして語るコトはやっぱり不適切でしょう。
まして今回のお話で何度も言ってますように『ゲン』は実証可能な案件であり、机上の空論をいくら並べても、何十年も子供達に読まれ続けたという現実があるのですから、その方が優先させられるのは当然のお話です。
よっていくら「ゲンは学校図書館に相応しいか」なんて机上で議論しても、これまで何十年も置かれ続けてきた実例があるのですから、もし本当にその結論を得たいなら、議論するよりデータを集めた方がよっぽど「正確な結論」が得られるコトだと思います。
こういう部分も含めて、「あるモノを無くす」という行為と、「無いモノをあるようにする」という行為は全然別物なワケです。
実証可能だというコト、またこの両者では意味合いや人の捉え方も変わってくるという部分から、松江市の問題と、「ゲンは学校図書館に相応しいか」は同列に語れる問題ではありません。
まして、繰り返しになりますが、松江市の問題は松江市の態度の問題こそをやえは取り上げたワケで、二重三重の意味でこれらをごっちゃにして語るコトは出来ないのです。
「議論がごっちゃになっています」とは、この話題に限らず、やえはよく使うフレーズであり、ご理解いただければと思います。
お返事待ってます(´・ω・`)
このまま、松江市の態度の話だけで終わっちゃうのでしょうか?
結局、やえちゃんとしてゲンは小中学校の図書館に相応しいのかどうかの考えを、聞かせて頂けると嬉しいです
今回の問題、あくまで「学校図書館」においてということですよね。
「一般の図書館」ではないのですよね。
考えれば考えるほど世間ではこの部分が曖昧になっているように感じて仕方がありません。
ここを完全に分けての議論が必要ではないかと思いました。
ネットで調べてみると「全国学校図書館協議会図書選定基準」というのがありましたので確認してみました。
http://www.j-sla.or.jp/material/kijun/post-34.html
「まんが」の基準も読みました。
「表現」などの他の基準も読みました。
皆さんもチェックしてみて下さい。
ゲンは、映倫で言うところのPG12かP15相当だとは思うんですが、僕が小学生の時に読んだ感想だとグロいシーンってあんまり記憶に残っていなくて(残っているとしても女性の局部に一升瓶を入れて~のシーンぐらいで、え? そんなこと出来るのという疑問で覚えてるだけ)、覚えているのはグロよりも理不尽なシーンなんですよね。
特に東京裁判の、捕虜がお腹が空いていたのでゴボウの料理作ってあげたら「木の根を食べさせるなんて虐待」⇒死刑、体調不良で苦しんでいたので鍼灸をしてあげたら治ったのに「針を刺すなんて虐待」⇒死刑といったところで、「アメリカってアホじゃん」と思ったのは、凄く覚えてます。
(ふと思いましたけど、これって事実なんでしょうかね。漫画で得た知識だけど、そういや裏とってないな、と)
そのため確かに今見るとグロいけど、経験上、子供ってそもそもグロさが伝わっていないんじゃないかなという想いがあって、PG12やR15って子供への悪影響ということでそう指定していますけど、なんか、もにょりますねー。
ミスでしたかw
ん?と思ったけど仰りたい意味は通じるので皮肉なのかと解釈してしまいましたw
ごめんなさい。
あせりすぎて、やえも名前欄を記入するの忘れてました(笑)
>>「なんとなく」という空気的論拠は、科学的検証よりも優先させられるべきだからです。
>良い皮肉ですw
あああああああ><
ごめんなさい、それ、皮肉じゃなくて、単なる書きミスです(笑)
「科学的検証よりも優先させられるべきではないからです」ですね。
ごめんなさい、やっちゃいましたー。
皮肉でもいい気もするのですが、皮肉するつもりはありませんので、お詫びと訂正させていただきます。
まぁぶっちゃけ18禁っていっても結構な人は何らかの形で2次3次問わずに18歳未満でみたんじゃないかなと思いますw
幼い頃にそればかりを見せていたら悪影響は出るかもしれませんが、それはエログロ以外でも何でもそうでしょうね。
常識を与えずドラえもんの知識ばかりつめこんで育てたら万能ネコ型ロボットの存在を信じるかもしれません。
塩も取りすぎれば毒になるように。
普通に中学ぐらいで見てしまったぐらいの程度であれば、過去にも現在にもその程度の子供は存在したでしょう。その子達が悪影響があったとは考えられません。
常識については親や学校から教わるもので、常識を身につけていればエロ本でもゲンでも読んだからといって悪影響はでませんね。
育ってきた環境の方がよっぽど悪影響になり得ます。
漫画アニメゲームといったものはスケープゴートにされています。
それらの作品の大多数は本来今生きている大人たちよりもよっぽど清らかなものです。
>「なんとなく」という空気的論拠は、科学的検証よりも優先させられるべきだからです。
良い皮肉ですw
まぁ18禁の撤廃までは求めませんが締め付けは強くして欲しくないですね。
特に規制して世の中よくなるという種類のものではないですし。
むしろデータ的にはエロ作品がない国での犯罪率の高さがありますし。
ゲンについても読みたければ読めば良いし、嫌なら読まなければいい、そういう普通の扱いであるべきなのです。
やえさんの言うとおり松江市の行為は暴挙でしかありません。
本当に問題があるならまずデータを持ってこいという話で終わってしまいますね。
すみません。上のレスは私です。
読んでいない立場として、あえてレスしてみました。
はだしのゲンの内容を知らない人でも、ある程度、理解できる説明も必要ではないかとも思いましたので。
主題なんかどうでも良く、エログロの表現がある時点で子供が読むには不適切だという言い分もあるかもしれませんか、自分は管理人の書いている事に概ね同意できます。
確かに松江市教育委員会の閉架措置は、いい加減な判断だと思います。
ただ自分は『時代流れ』はあると考えていて、今、作者がはだしのゲンの漫画を少年誌で仮に描くしたら、表現は世間の空気に合わせて表現も柔らかくなるのではと思います。
ヤングジャンプなどの青年向けの雑誌となると、小学生に推奨できるかは微妙になるわけですし。
個人的には、今回のはだしのゲンを特別扱いしての措置は、行政の仕事として平等じゃない気もしてます(他の本はどうなのとなるわけで)。基準となる物差しを作らないで閉架措置をしているわけだし。
あと議論と関係無いことを書くと、漫画等の絵よりも小説等の文章の方が、作者の心情が伝わりやすく、影響力は大きいと思うんだけどな。