原爆忌
毎年のコトではありますが、広島に生まれた者として、今日は原爆について一言語りたいと思います。
原爆とは何か、というコトを考えたとき、ふたつの視点があるんだと思います。
1つは、大量破壊兵器だというコト。
もう1つは、戦争後も無意味な後遺症を残し、ましてそれが差別の根本原因となってしまうコトです。
原爆の特異性は大量破壊兵器だという点です。
大量破壊兵器というとちょっとピンと来ない感じになってしまうのですが、分かりやすく言えば「どうやっても非戦闘員を巻き込む形で威力を発揮する兵器」と説明できるでしょう。
戦争とは外交の一種だと整理されています。
つまり外交である以上、国と国とが自らの主張や利益を得るために行うのが戦争なのであって、戦争とは決して国と国とが滅ぼし合うモノではないというコトです。
よって戦争にも一定のルールができ、例えば軍隊と軍隊とが衝突し合うのが戦争だと、非戦闘員はターゲットにしてはならないと、そう整理させているワケです。
非戦闘員を殺していては、国そのものが滅んでしまい、そんなコトをしていては自国の利益を得るどころか、人類滅亡にしかなりませんからね。
しかし原爆とは、その存在からしてこのルールを公然と破ってしまう兵器なのです。
ここが原爆の最も否定されるべき理由のひとつなんですね。
最も旧式の原子力爆弾程度でも広島市内一円に被害を与えたぐらいなのですから、いま存在する原爆は果たしてどれだけ広範囲に被害を及ぼすのか想像も付きません。
それだけの広範囲兵器であるのですから、いくら第一ターゲットが軍事施設だったとしても、どうやったって非戦闘員まで巻き込むというのは考えるまでもないコトです。
アフガン戦争やイラク戦争の時でも、通常兵器によって非戦闘員が殺されてしまって問題になっていますが(ただこの場合、子供をテロルに使っていたり、人間の盾として非戦闘員を使っている場合がありますのでケースバイケースですが)、広島や長崎の場合は、何十万人という単位で非戦闘員を殺してしまっているのです。
広範囲性は原爆を作った張本人が分かっていたハズなのですから、広島も長崎も、メインターゲットとして非戦闘員を狙ったとしか言いようがない行為だったのです。
本来これは「人道の罪」なんてひとことで言い表せるモノではないぐらいの大罪のハズです。
もしかしたらアメリカ人の多くは、原爆のコトを「大規模な爆弾」ぐらいにしか思ってない可能性があるのですが、本来広島長崎への原爆というかというのは、「アメリカの正義」すら揺るがしかねない非戦闘員・民間人の大量虐殺事件なんですね。
さらに言えば、原爆は戦争が終わっても後遺症が残り続ける兵器であり、プラスして非戦闘員に必ず累が及ぶ形になるので、非戦闘員に無用な被害を及ぼすだけでも戦争行為から外れているのに、さらに非戦闘員を戦争という外交交渉が終わった後も不要に苦しめるという、二重の悪を背負っている兵器なのです。
ここをよくよく考えてもらいたいです。
広範囲性と戦争後にも影響を及ぼし続けるというこの2つの特性は、原爆を原爆たらしめている点であり、原爆が原爆である以上絶対に避けては通れない点です。
原爆とは、非戦闘員を大量に虐殺するだけでなく、生き残ったとしても一生の後遺症を残し続け、差別の温床まで生み出す、非戦闘員の一生を楯にした兵器なのです。
だからこそ、松井市長の言葉を借りれば「絶対悪」なのです。
そして同時に、原爆は差別を生み出す兵器です。
差別問題はこれまでも何度も取り上げてきて、特に福島原発事故の際における本当に腹立たしい差別についてはかなり激しく糾弾してきたところですが、本日の式典で松井広島市長の平和宣言の中においても、被曝者というだけで離婚に追い込まれた人の話を広島弁で語りかけていました。
これは決してフィクションのお話ではなく、過去のお話でもないのです。
ましてこれから何十年経とうともふとしたキッカケで同じ差別が繰り返されてしまう可能性を福島で証明してしまっただけに、この差別の問題は絶対に忘れてはならない問題であるというコトを改めて思い返されたところです。
そして、差別そのものは人間が生み出す悲しい罪ではありますが、その大きなキッカケを作ってしまう原子力爆弾という存在をどう考えるのかという点も、シッカリと考えるべきでしょう。
なにより考えてもらいたいコトは、そんな卑怯で悪そのものであるこの原爆という兵器を、日本人が持つべきかどうかという点です。
やえは決して巨大な武力を日本は持つべきではないとは言いません。
言ったコトはありません。
むしろずっと昔から今日まで自衛隊は国軍にすべきだと言ってきましたし、9条を改正して普通の国の軍隊並みにして、また軍事費についてもGDP費で先進国並みにすべきだと主張してきました。
もっと言えば、アメリカと肩を並べるぐらいの装備を持ってもいいと思っています。
それがいつになるかはともかく、在日米国駐留軍はいっさいなしにして、日本の軍隊だけで日本を守っていくべきです。
もちろん集団的自衛権をアメリカと共に行使できるようにしてですね。
ただし、原爆・核兵器は、ひとつ考えてみるべきです。
大げさに言うと、本当に原爆に「日本の正義」があると言えるのでしょうか。
その兵器は、非戦闘員を虐殺する兵器であり、非戦闘員の一生をメチャクチャにする兵器なのです。
そこに本当に日本の正義はあるのでしょうか。
原爆の本質をシッカリと見据えた上で、全ての日本人にはここをよく考えてもらいたいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
核の効力とは主に外交面でのもの、その効力が果たしてどの程度あるのかという問題です。
大国同士が核を持った場合本気で戦争をする事がとても難しくなるという意味はあります。
しかし日本が持ったからといってせいぜい中国と本気で戦争をする可能性が低くなる程度のお守り気分で、他に役立つとも思えません。
核の脅威で脅すような外交作法を日本は行っていないからです。
世界の外交の舞台でどれだけ核外交が行われているか実際のところはわかりませんが、
核がないからといって対等扱いされないかというとそうではありません。
実際に戦争になった場合は核で国が守れるわけでもありません。
作ると外交面で色々面倒な事になる上に、日本では役立たせる事は出来ないでしょう。
現代ではどうせ1国なら戦争に勝てないし同盟となればアメリカかロシアを味方にしていない時点で負けでしょう、
核なんか奴らがもってるわけで抑止力としても経済その他の面にしても外交をしっかりした方がよっぽど良い効果が得られます。
外交の裏舞台で彼らが脅迫外交をしているのならまた違うかもしれませんが、実際の所はわかりませんね。
真の問題は、自分達が持つ持たないに関わらず、
核の脅威はこの世界に存在し、それに対して無関係ではいられないと言う事実でしょう。
現状、核抑止が現実的な対応策とされていますが、
テロや、特定状況にある国家に対して、その効果は疑問視されています。
逆に、通常の国家間では経済的な交流や、情報の伝達速度の速い現在、
大量破壊兵器の行使に非難は避けられず、大きなリスクを伴います。
これらから、核抑止の効力は弱まっていると私は考えます。
しかしながら、核抑止に変る抑止力が現実的なレベルに達しているとは考え難く、
現実的な対応策が、他に存在しない事も考慮しなければならないと思います。
様々な感情が存在するのも承知ですし、否定も致しません。
ですが、核に対して無関係である事は出来ません、
持つ持たないに関わらず、冷静に様々な議論が行われるべきだと考えます。