リベラルとは何か~保守本流「宏池会」を見る~ 1

2014年2月17日

 最近、「リベラルとは何か」みたいな記事をちょくちょく目にします。
 おそらくこれは、総理大臣である安倍さんが、いわゆるタカ派と呼ばれるような政治信条を持ってそれを実践しているために、そのカウンターとしての記事だと思われます。
 それらの記事でよく安倍カウンターとして象徴的に出されるのが「宏池会」という存在です。
 永田町フリークの人はよく聞く名前だと思いますが、自民党のいわゆる派閥といわれるモノのひとつで、おそらく戦後の永田町史の中においても唯一「名門」を自称できるグループではないでしょうか。
 また保守本流と言えば宏池会であり、自民党の中でも長年「リベラル系」「ハト派」と呼ばれてきた派閥でもあります。
 つまり、自民党の中のハト派をクローズアップし、時に持ち上げ、時に存在感の無さを指摘して焚き付けるコトによって、タカ派である安倍晋三総理大臣に対抗さて、出来れば妥当できればいいなという願望をもって、「リベラルとは何か」という記事が増えているのではないかと思われるワケです。
 
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 (360゜)保守「本流」誰の手に 1強政権にのまれるハト派
 
 安倍政権下で保守本流が「空き地」化しつつある。ここに旗を立て、日本政治の一翼として復活させようという動きが出てきた。
 1月23日、東京都内のホテルに3人の自民党幹事長経験者が集まった。加藤紘一、古賀誠、山崎拓。加藤と古賀は名門派閥「宏池会」の元領袖(りょうしゅう)。山崎は加藤の盟友だ。
 「今の自民党は右に寄りすぎだ」「『保守本流』を担う世代を育てないと」。3長老は危機感を吐露し合ったが、名案は浮かばぬまま別れた。
 保守本流――。宏池会の「派是」だ。自民党内のハト派とされ、吉田茂が進めた軽軍備・経済重視路線を引き継ぎ、所得倍増計画で高度経済成長を実現した元首相池田勇人の流れをくむ。穏健な政治手法や所得再分配、アジアとの友好を重んじ、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一という首相を生んだ。
(中略)
 「『宏池会内閣』と言っていいくらい安倍内閣を支えていただいている」。政権発足から4カ月経った昨年4月、安倍は東京都内であった同会のパーティーでこうあいさつした。反対の立場にあるはずの安倍から投げかけられた、同会の現状を象徴する皮肉な言葉だった。
 長期政権だった自民党における宏池会。元会長の加藤はその役割を「料理でいえば脂ぎった自民党という料理にかけるコショウだ。バランサーとも言える」と説明する。自民党が右に行きそうになると宏池会が存在感を示し、全体のバランスをとったという意味だ。しかし、安倍政権を支える宏池会の閣僚は現会長で外相の岸田文雄をはじめ、農林水産相の林芳正、防衛相の小野寺五典、震災復興相の根本匠。元会長の谷垣を含めると5人もいる。辛口の「コショウ」として政権を引き締めるどころか、引き立て役のようになっている。
 会長を岸田に譲って議員を引退した古賀は最近、周辺に「自民党はぐーっと右に寄ってしまった。そのことを私が発信する」と語ったという。だが、引退した元領袖が旗振りせざるをえないところに保守本流の苦悩が浮かぶ。
(中略)
 それでも、民主党は9日の党大会で「暴走を始めた安倍・自公政権との対決姿勢を鮮明にする」との2014年度活動方針案を決定する。その対立軸こそ「保守本流」しかないという認識は党内で広がりつつある。
 保守勢力と対決してきた旧社会党出身で前衆院議長の横路孝弘は「安倍内閣の支持率は高いが、原発や改憲など個別政策では反対も多い。『空き地』が求められるときは必ず来る」と力を込める。=敬称略

 
 宏池会がどういう派閥かというのは記事に譲るとして、しかしそもそも「リベラルとは何か」「ハト派とは何か」という部分については今一度よく考えてみる必要があると思うのです。
 例えば記事にもありますように、“名門”保守本流宏池会とはそもそもどういう考え方の流れを汲む派閥なのかと言えば、それは「軽軍備・経済重視路線」なんですね。
 最近特にネット上においては、「リベラル」と言えば親中親韓だと思い込んでいる人がいますが、それはあまりにも二元論に陥りすぎの短絡思考だと言わざるを得ません。
 「リベラル」とか「ハト派」とか「保守本流」とか「タカ派」とか、やもすればレッテルになりかねない思想の決めつけになるラベリングの単語が並ぶのですが、その中においての「相対的な立ち位置」というモノはどういうコトなのか、というコトをキチンと考える必要があるでしょう。
 「軽軍備・経済重視路線」とはどういうコトなのか、それはあくまで国益のための方法論のひとつでしかない、という点は否定できない部分なのではないのでしょうか。
 
 こういう考えにおいては、親中親韓思想は「左右対立」とは本来は別次元の考え方です。
 どうしても日本では「親中=左翼」的なところがありますが、それは左翼的な人が親中的な考えを持っているコトが多いのでよく結びつけられるだけであって、そもそもの純粋な左翼とか右翼的な思想だけにおいては、中国も韓国も関係はありません。
 まぁ左翼というか共産主義としては、ソ連や中国が共産主義国ですから親和性は高いワケですし、どの国も保守思想は国粋主義になりがちですからこの面からも中韓に対する態度が変わってくる場合もありますが、ただ、そもそもの思想や主義とその国に対してどう思うのかというのは、はやり本来は別問題なんですね。
 保守にしても、イコール国粋主義ではなく、「親米保守」なんて造語もあるぐらいですから、「全ての左翼が親中だ」とか「保守なんだから反米だろ」と決めつけるような言い方は決して出来ないハズなのです。
 
 よって「リベラル宏池会=親中親韓」だと決めつけるのは早計でしょう。
 厳密に言えば、リベラルだろうが宏池会だろうが、中には親中的な考え方の人もいるかもしれませんし、そうでない人だっているコトでしょう。
 そもそもこういうのは、普通ここまで考えなくても当たり前のお話だと言えると思います。
 
 お話はちょっとそれるのですが、今の安倍内閣を見渡したときに、面白い見方があります。
 「麻生副総理」「菅官房長官」「谷垣法務大臣」「岸田外務大臣」「林農林水産大臣」「石原環境大臣」「小野寺防衛大臣」「根本復興大臣」
 全閣僚19人中8人の大臣の名前を挙げましたが、この人達、ひとつ共通点があるんですね。
 これが分かればなかなかの永田町通かもしれません。
 麻生さんが入っているので意外だと思う人もいるかもしれませんけど、実はこの人達、一度は宏池会に所属したコトがある議員さん達なんですね。
 特に派閥渡り鳥な石原さんと、今は無派閥の菅官房長官を除けば、後の方々は全て「宏池会系」の派閥に属する方達です。
 
 麻生さんについて説明しておきましょう。
 現在麻生さんは「為公会」という自らが領袖(会長という意味です)をつとめる派閥を率いていますが、この派閥の前進は大勇会という、河野洋平元衆議院議長が領袖をつとめていた派閥(人数が少ないためにグループと呼ばれていましたが)に、麻生さんは所属していたのです。
 ここでもう麻生さんと河野さんというところでビックリする人もいるかもしれませんが、そしてその大勇会は宏池会から独立した、宏池会の領袖が加藤紘一さんに引き継がれる際に「反加藤」のグループとして分派した派閥であり、つまりもともとは河野さんの麻生さんも宏池会に最初は所属していたのです。
 そして麻生さんは、河野洋平さんが宏池会から分派しその後政界引退する際に大勇会をそのまま引き継ぎ、名前を変えて今に至っているワケです。
 よって「加藤の乱」の時に分派してその後戻ってまた離れた加藤派→谷垣派の「有隣会」を含め、現在自民党には「宏池会(会長:岸田文雄外務大臣)」「為公会(会長:麻生太郎副総理)」「有隣会(会長:谷垣禎一法務大臣)」の3つの宏池会系派閥があるワケなのです。
 たまに「大宏池会構想」といってこの3つが合流して元の姿に戻ろう、なんて構想がくすぶったりします。
 
 だいぶお話がそれましたが、よっは派閥だけをもってその政治家の政治信条を決めつけるコトはできず、例えばなかなか「麻生さんはリベラルだ」なんて言う人はいないと思うのですが、結局これは「なにをもってリベラルか」という問題がまず先にあるワケなんですね。
 もちろん「タカ派」も同様です。
 安倍さんをタカ派と言い、岸田外務大臣をハト派というのは、多分イメージとしてはそれで間違いないんだろうとやえも思いますが、ただそれだけをもってその政治信条全てを決定されるモノではないハズなのです。
 あの麻生太郎元総理が宏池会だったと言われても、昔の永田町の歴史を知らない人は、ちょっとイメージと合致しないでしょう。
 派閥やハト派タカ派という色分けだけでは政治家個人の思想は計れないのです。
 
 お話を、親中に戻します。
 これどちらかと言えば、世代的な思想の方が色濃く反映されると思うんですね。
 なぜなら、それは世論とリンクするからです。
 ここで何度も言ってますように、河野談話が出された時代というのは、むしろ「政府は口だけで実際に賠償しようとしないじゃないか」なんて批判が談話に浴びせられたぐらいの、そういう時代でした。
 いまから見れば、とんでもなく左翼的な世の中だったのです。
 その中において宏池会系の河野官房長官というリベラルの人の談話というのは、まさしく世論の中道左派の発言として合致する発言だったのではないか、と言えるワケなのです。
 河野談話の内容が歴史的事実として正しいかどうかはともかく、政治的にはこれを政治家のせいだけにするのは間違いです。
 そもそも国民自身が、歴史的事実から間違っていたのですからね。
 
 また、中国や韓国とどう付き合うのか、という部分についても、その思想は変わります。
 例えば日中友好条約を締結した際の日本の総理は福田赳夫総理でしたが、この人はあの福田康夫総理のお父さんであり、福田派と言えば今の町村派に繋がる清和政策研究会(清和会)であって、つまり安倍総理の出身派閥でもあるワケで、この派閥は自民党の中でもタカ派の最右翼的な派閥です。
 まぁ日中友好条約は福田総理ひとりで成されたワケではなく、保守本流系の田中角栄総理の力も大きいワケですが、とにかくこのように中国などの国々との付き合い方というのは、そのときの状況や立場によって全然変わってくるんですね。
 そもそも安倍さん自身にしても、一回目の総理の時は、小泉時代に断絶していた日中間を修復するために、まずは中国とのコンタクトをとるというのが最初の仕事になっていましたよね。
 また二回目の時は、民主党政権に時に必要以上にへりくだった対中対韓政策だったために、むしろ何も気にするコトなく強気な対応をとるコトができているワケです。
 このように同じ人物でさえ、そのときの状況や立場によって、特に現実問題を直接動かす政治というモノにおいては、個人的思想よりも行動の方が重視され、対応の仕方が変わってくるワケです。
 
 
つづく。