言ったコト自体を問題視するのではなく、その結果どう影響を与えるのかを問題視せよ

2014年4月4日

 外交問題に限ったお話ではないんですが、例えば中国や韓国が記者会見に対して日本国内で「○○と主張しました」って報道が流れたとき、それだけをもって「日本はなめられている」と言う人いるじゃないですか。
 これってちょっとおかしいんですよね、本来。
 例えば討論番組とかでそれぞれの人が主張をしている中で、しかしそれぞれの主張が全てどれも正しいってコトはないワケじゃないですか。
 それって結局、それぞれはそれぞれ自分が正しいと思う主張を言っているだけで、口に出すコト、テレビに流れるコトそれ自体をもって、即世の中の真理になるワケでも、正義になるワケでもないワケですよ。
 あくまでひとつの意見でしかありません。
 結局ですね、あくまでそれはその人個人(もしくは集団)の意見でしかなく、それが本当に正しいかどうか、社会的正義が得られるかどうかというのは、その主張を聞いている受け止めている不特定多数の人間がどう受け止めるのか、というこそが最も重要となるのです。
 特に民主主義だとそれが顕著ですよね、より納得する人が多い方が正しいとされるのが民主主義なのですから。
 ですから簡単に言えば、いくらテレビで主張したとしてもあまりにもトンデモ論であれば、それは一笑に付されるだけですし、というか、自分でもそうしますよね、結局思想でも言論でも議論でも主張というモノは、言ったコトそれ自体をもってそれを正しいかどうかと判断するのではなく、それを受けた不特定多数の人間がどう受け取るのかこそが重要だってコトなワケです。
 
 こんな記事があります。
 

 安重根は「犯罪者」=中韓連携に不快感―菅官房長官
 
 オランダでの核安全保障サミットに合わせて開かれた中韓首脳会談で、伊藤博文元首相を暗殺した朝鮮独立運動家、安重根の記念館開設を評価し連携を確認したことについて、「(中韓両国は)核サミットで、そういう会談をしていた。2カ国だけ(全体から)外れたような雰囲気だった」と述べ、改めて不快感を示した。

 
 中国や韓国の記者会見を、発表そのままに受け取って怒り狂って、その矛先を「日本政府が情けないから」「弱腰だから」と日本政府に向ける人がけっこう多いんですが、しかしちょっと冷静になった方がいいと思うんですよ。
 特に中韓なんて日本がどんな態度だっても同じコト言いますよ。
 だって、言うだけ、は誰にも止められないんですからね。
 向こうの高官の記者会見の時に物理的に×印のマスクを持って口を塞ぎに行きますか?
 そんなバカなお話はないワケで、つまり言うだけは誰でも出来るんですから、やっぱり問題は、それをどう受け止めるのか、その受け止め方をする人がどれぐらいいるのかが問題になってくるワケです。
 その上で、管官房長官のこの言葉です。
 
 「2カ国だけ(全体から)外れたような雰囲気だった」
 
 もしこの言葉が本当であれば、中韓は言えば言うほど、口を開けば開くほど、国際社会から呆れられていると言えるでしょう。
 となれば、むしろどんどん言ってもらった方がいいという選択肢すらとれるのではないでしょうか。
 つまりですね、こういう状況を鑑みれば、中韓の言うコトをいちいち真に受けて、それを日本政府への怒りに変えてしまっている人は、むしろ日本の足を引っ張っているとすら言えてしまうのではないのでしょうか。
 もちろん日本人にとって聞くに堪えられない罵詈雑言だというコトは分かりますが、しかしそれをいちいち真に受けて正面から怒っていてはただの同レベルにしかならないワケですし、それによって中間の立場が悪くなるのでしたら願ったり叶ったりじゃないですか。
 問題は「何を言っているのか」ではなく、「多くの人にどう受け止められるのか」なのです。
 「弱腰だ」とか「日本政府は何もしない」とか言っている人は、ここを冷静に考えてもらいたいんですね。
 
 中韓は国際社会でどう立ちふるまうべきなのかってコトをあまり考えずに、頭に血が上ったままにしゃべるだけなのですから、それを真に受ける方が間違いなのです。
 これは外交に限らないのですが、特に外交の場合は常識が違う国同士が関わるのですからなおさら、相手が何を言ったのかをそのまま受け止めるのではなく、それを主張した結果国際社会はどう受け止めるのかという部分を考えるべきです。
 日本は決して中韓だけに対して外交をしているのではなく、むしろもっと広い世界に向けて、全世界に対して外交しているのですから。
 そして日本政府としては、その「国際社会の反応」を見た上で、その「反応」に対しての反応をすべきなのです。
 
 中韓が自らの主張で国際社会から孤立するならどんどん言わせておけばいいのです、しかしもし国際社会が耳を傾けるような兆候があるならシッカリと反論すればいいのです。
 「相手」は国際社会なのです。