憲法と憲法解釈と立法行為 (2)

(つづき)
 
 では、今回の集団的自衛権のお話に絡んでの、特殊な部分について考えてみたいと思います。
 すなわち「憲法解釈」とは何か、という部分です。
 
 ハッキリ言って、「憲法解釈」なるモノの法的な定義は出来ません。
 そんなモノは存在しないからです。
 「~~というモノを憲法解釈とする」なんていう定義はどこにもないんですね。
 しかしその一方、これは近代法治国家においては避けては通れない問題だとも言えます。
 なぜなら、憲法に限らず法律や、もっと言えば文章なんていうモノは、どうしてもある程度の受け取り方の幅が出てきてしまうからです。
 
 もしですよ、もし法律に一切の解釈の幅がなく、つまり100人が読んでも1通りの意味しか導き出されないような文章だけで法律が書かれているのであれば、それは裁判所というモノは相当その役割が小さくなっていたコトでしょう。
 しかし法律でもなんでも文章というモノには解釈には幅が存在するので、その幅の中において現実的にどう対処するのがもっとも適切で社会正義に即するのか、というコトを判断するのが裁判所の役割なワケです。
 よって法律を基本とする法治国家においては、必ずどこかで憲法/法律の「解釈」という部分が大きな意味を持つようになるんですね。
 むしろ法的な争いというモノは全て解釈の取り方での争いとすら言えるのではないでしょうか。
 
 で、この「解釈」ですが、さっき言いましたように「解釈」そのものには法的な定義はありませんから、これ自体は誰が行っても構いません。
 もちろん最後は裁判所の決定が最優先です。
 しかし日本の裁判所は、具体的事案があった上でそれを裁判に持ち込まなければ動きません(付随的違憲審査制)から、例えばいま現在の段階、すなわち政府の解釈でも集団的自衛権は行使しないという段階においては、一切裁判所が集団的自衛権の行使が合憲かどうかを審査するコトはありません。
 できません。
 よってまず第一歩としては、特にこれは自衛隊という行政機関の行うコトですから、その解釈を踏み込むのは行政となるワケです。
 
 さっきの図ですが、全体図で見れば丸く見えるのですが、その部分を細かく見れば、実はでこぼこだったり、法律の部分がすごい薄かったり、そもそも線が引かれなかったりしています。
 それは元々の立法不備だったり、社会の変化によって不備が出てきたりとか理由は色々なワケなのですが、こと集団的自衛権に関してはこれまで法律的には特に決まったモノは今存在しないままで来てしまっていました。
 つまり、集団的自衛権の根拠は全て憲法解釈のみによって運営されていた(運営の結果行使しないというコトになっていた)のです。
 つまり言い換えるなら、行政による「憲法解釈」が法律のような役割を果たしている、というコトになるでしょう。
 イメージで言えば、その不備の部分を行政による憲法解釈によって補完している、となります。
 
 集団的自衛権の図02
 
 ごめんなさい、なんか、つたない絵で(笑)
 
 で、ですね、いまはこうなっていて特に議論もそれほどせいずままでずずっと60年以上やってきた(自衛隊発足時とかPKO派兵の時とかの「何かあった時」は議論になりましたが、そもそも論としてはほとんどされないまま来ました)ワケですが、ついにいま安倍内閣になって事実上初めて、集団的自衛権の政府による憲法解釈に手を入れ、つまりこの赤い部分をもうちょっと上に上げてしまおうと安倍内閣でしているワケです。
 いまここが議論になっているのですワケですよね。
 
 この閣議決定に至るまでの途中のプロセスをどうするのか、という問題もあって、現実的にはそっちの方が大問題で(なぜならそんなコトは決まっていないからです)、いま自民党内で大議論になっているワケですが、その、ある意味の「自主ルール」さえ突破してしまえば、「憲法を解釈する権利」は行政府にあると言える、よってそのトップである総理大臣にある、とは言えます。
 なぜなら、こと集団的自衛権の問題に関しては、それに対する法律が存在しておらず、これまでは実効的に同じく閣議決定で「憲法と法律との間」を埋めていたのですから、閣議決定でなら閣議決定を覆すコトが出来るからです。
 これがもし法律によって「フタ」がされている案件であれば、閣議決定では覆せないんですよ。
 前回言いましたように、行政の権限は国会が作った枠組みの中だけであり、枠組みを超える権限を行政は持っていないからです。
 しかし集団的自衛権は、法律でフタがされていなかった、実質的フタは閣議決定で成されていたので、だから総理大臣が権限を大きく持つ閣議決定でこれを覆すコトができるのです。
 この案件に関する閣議決定はどういうプロセスを踏むべきか、というのは別問題として存在するワケですが、もっとマクロ的な視点で大きく国家の枠組みを見れば、こう言えるワケなんですね。
 すごいおおざっぱな言い方をすれば、全ての閣議決定は総理の権限で変えるコトは可能なのです。
 むしろこれ逆に言えば、どうしても行政に集団的自衛権を行使させたくないのであれば、法律でフタをすればいいのです。
 そうすれば行政はそれ以上手出しできなくなるのですから。
 
 ただここで間違えてはいけないのが、政府にはあくまで変更する「権利」があるってだけであり、「国家としての最終決定権を持っている」という意味ではないというコトです。
 「最終決定」は、そうですね、裁判所にその責任がありますから、日本国家として本当にその閣議決定が憲法内なのかどうか、というのは、裁判所の決定を見るまでは誰にも確定的なコトは言えません。
 
 
 (つづく)