少子化は国民の責任では?
移民問題について言っておきたいコトがあります。
この問題の責任がもっとも大きいのは誰でもない国民自身ではないのですか、とやえは強く思うのです。
移民を促進しようとすると政府などを批判する人がけっこういるワケですが、それは明らかに筋違いではないのでしょうかす。
移民の是非はともかくとして、ではなぜ移民を導入しなければならない状態になっているのかと言えば、それは人口が減少しているからです。
簡単な理屈ですよね。
もし人口が増えまくっている状態であれば、移民なんて検討すら出てこないお話です。
つまり移民の原因は人口減少であり、つまり少子化にあるワケですよね。
では少子化は誰に責任があるのかと言えば、それは国民でしょう。
だって子供を産む産まないの選択は、誰でも無い、個人個人ひとり…いえ夫婦ふたりの判断であって決断じゃないですか。
少なくとも日本において、この決断に他者が介入する余地(親とはともかく)はありません。
そしてその結果として現在のような少子社会になったのですから、これはどこからどこまでも国民の責任ですよ。
よく「現代は子供を産みにくい、育てにくい社会だ」なんて言う人がいますし、もっと言う人は「政府が子供を産みやすい社会にしないから悪いんだ」という人もいます。
しかしやえはこの論に与しません。
なぜなら、政治によって出生率が変わるのであれば、政情不安定な国こそが少子化にならなければならないハズですが、世界を見渡すと決してそうではないからです。
中国のような基本的人権すら国家の統制下にあるような国家が一大プロジェクトとして一人っ子政策をしたっていうのでしたらさすがに別のお話になりますが、結婚も出産も個人の自由として権利として認められている自由主義社会において、出生率などを国家の責任に転嫁するのは無理筋すぎるでしょう。
政府に子供を産みやすい育てやすい社会制度をするなとは決して言いませんが、しかし最後に責任を持って決断するのは誰でも無い国民自身であって、その決断そのものを他人には絶対に転嫁出来ないってコトを言いたいのです。
やえは決して「国家のために子供を産め」とは言いませんし、子供がいない人が悪いと言うつもりもありません。
結構こういうコトを言うと、産みたくても産めない人もいるのにひどいコトを言うなって言われるコトもあるのですが、そんなコトは言ってないんですね。
子供を産めない人は過去にも一定数いるワケで、その中において全体として国家の中で人口が増えたり減ったりしているのであり、それらはすべて「全体としての国民の決断」によって成されてきたワケです。
ですから産めない人個人を責めるつもりはありませんし、子供を産まない、結婚しないという決断をした人だけに責任を追及するつもりもありません。
それは個人の自由です。
自由主義国家である以上、それは尊重されるべきです。
しかしだからこそ、個人として尊重されるからこそ、少子化は国民の全体としての、まさしく民主主義の「国民国家としての責任」じゃないですかってお話なんですね。
少なくとも、国家や政府に少子化の責任を負わせるのは無理筋ですよ。
移民政策をもって政府批判する人がいますが、それは矛先が違うんじゃないですか、政府批判は無理筋ですよってコトが言いたいのです。
国民自身の決断によって少子化が成されてきたのにも関わらず、その対策としての一案である移民政策を批判するっていうのは、それが単純に政策批判であるならまだしも、政府批判や政治か批判にまでつなげてしまうのは、あまりにも無責任すぎるじゃないですか。
国民自身の判断によって少子化になったのですから、この問題をどうするのかっていうのも全て国民の責任において考えるべきでしょう。
それなのに国家だけ悪い政府だけが悪いかのように言うのは、あまりにも無責任すぎます。
「移民を推進する奴は売国奴だ」まで言う人もいますが、しかしその原因を作ったのはアナタも含めた国民ですよってコトをまずは正面から受け止めるべきでしょう。
移民政策の可能性を口にするだけで悪魔かのように罵倒するのは、完全な責任転嫁と言うしかありません。
なぜ少子化になったのかという問題は難しい問題です。
もしかしたらマスコミが煽ったせいかもしれませんし、日教組による教育のせいかもしれません。
でもどうだったとしても、それらは全て結局は国民一人ひとりの決断の結果であって、最後の責任は国民にあります。
政府や政治家はあくまでそのひとつの対案として移民政策も議論されるでしょう。
それがイヤならイヤと言う権利はもちろん国民にありますが、ただそれをもって政府批判・政治家批判するのは責任転嫁ですよってお話です。
少子化と移民、これは国民自身の手によって解決されるべき問題です。
政府を批判していれば、いつまでたっても政府に責任を押しつけるのが当然のような感覚になって、しかしそれでは解決はしないでしょう。
少子化は政府や政治家のせいでは決してなく、国民自身の責任だからです。
少子化から起因する全ての問題は、まず国民自身の責任によってこうなっているという事実をまず国民が受け止めなければなりません。
この問題は、政府や政治家を批判してそれで終わりではなく、少子化を日本としてどう考えていくのか全ての国民が自分の問題として考えなければならない問題なのです。
ディスカッション
コメント一覧
↑民主政権時は政策を批判してたが?
やえたんのスタンスとして、自分が反対か賛成かは表明しない事が多いです。
あくまで読者や国民に考えてほしいテーマと、考えるための材料を提供してくださるだけです
やえたん自身は賛成なのか反対なのか、まずはそこからでしょ
やえさんお久しぶりです。
少子化ですがまず昔と何が違うのかと検証していったらどうでしょうか?
まずお見合いシステムの崩壊は大きいでしょう。
次にハズレを引きたくないと考え容姿か権力か財力に優れた人ばかりを欲しがっているからというのもありますか、当然といえば当然なんですが。
特に女性にサクセスストーリー的なものを望む傾向が多いのかもしれませんね、ブライダル関連の話を見ると。
もう一つは子供を作り育てる財力に欠けている事ですね、これは国民以外の責任が大きいのでは?
何しろ給料は出し渋り企業が儲ける事ばかりを優先してきたわけですから。
正規雇用されてなくて生活が安泰でない人が無責任に子供を産まない賢い国民性といえなくもないですね。
生活が安定しない国民が多くてモノが売れなくなった原因を作った側は限りなくアホですが。
なんでもかんでも国民のせいというのは違うと考えます。
やえさんは財力不足は一人ひとりの国民の努力が足りないからだと申されるのでしょうか?
努力してお金稼げる人は一握りだと思いますけどね。
また、結婚というか性行為以外に多くの楽しみが出来たのもありますね。
女性の方からアプローチしてくれる事は少ないと思うので、男性が面倒な手間暇かけて口説くのがデフォなんでしょうか、よくわかりませんが。
まぁアレ勇気のない人には厳しい仕様ですし、時間も金も労力もかかりすぎる点もあって、そんな事するなら趣味に時間つかうよって人が増えたのでは。
これは国民のせいですが、国民が悪いかというと違いますよね。
強いて言うなら簡単にツガイになれない仕様が悪いというか。
他には子供産んだ時の費用的なもののサポートでしょうか、これは完全に国ですね。
どのぐらいサポートされるのか知りませんが、まぁ派遣やバイトが気軽に産めるほどの補助はなさそうです。
移民については成功した国というのがないので論ずるに値しないかと思います。同じ問題のようでいて別問題ですね。
アメリカは移民が先住民から支配を奪った国ですしね。
実際今現在移民問題で苦しんでいます、中韓系アメリカ人が増えてきたことによって。
移民推進は企業上層部が欲しがってるだけでしょう。
普通の国民で移民賛成の人っているんですかね、確実にトラブルの元になるとわかりきっているのに。
そもそも数だけ増やしても日本人のようには働けないという現実すら無視しています。
言語問題、国民性の問題というのをスルーして数しかみてないのが移民政策というやつですね。
そもそも国内に働きたいのに働けてない人がまだ大勢いるのにその人達はスルーなわけですね。
根本的に待遇を向上させ正規雇用か同等の扱いする事が先決でしょう。
黙って働く奴隷の数が欲しいですなんてのは論外です。
こういうのが資本主義というやつの最大の欠点ですね。
しろぎつねと申します。
いつも楽しく拝見させていただいております。
さて、今回は移民の問題とそれに付随する少子化の問題を取り扱っておられますが、少子化は女性の高学歴化が要因というのがわりと主流と考えられていると思います。
女性の高学歴化と少子化に関する一考察 – 国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/kikan/..%5C..%5Cdata%5Cpdf%5C14241306.pdf
これに対応するようにG7および露中韓を見ると
米 2.1
仏 2.0
英 1.9
加 1.7
中 1.6(政策有)
露、西 1.5
日、独、伊、韓 1.4
(世界平均 2.3 in 2013)
軒並み低い数字となっています。
これを国民のせいというのは、いささか乱暴な気がします。
特に出生率の低い国では保守論陣から「女に学問は不要」とか「女性は家庭に入れ」の極論が出ることもありますが、どの国でも概ね退けられたのは幸甚といえましょう。
実際その主張がまかり通っているイスラムやインドで出生率が高いのは皮肉ではあります。
これは日本だけでなく先進国の間の共通の問題、もしかしたら人類の重要な問題かもしれません。
国民というか各家庭、それぞれの若人が考えて済むだけの問題ではないような気がします。
なんとなれば、高学歴の女性を抱えた社会が、移民をはじめとした低学歴の人々をベビーシッター、保母、家事手伝いに導入し(アメリカでは既にこんな感じか)、まるで古代社会の「市民」と「奴隷」のようになる気がしてなりません。
これは実は人類史的には大問題なのかもしれません。
長文失礼いたしました。
うーむ、今日のエントリにはちょっと違和感を覚えます。
「ではなぜ移民を導入しなければならない状態になっているのかと言えば」とおっしゃいますが、本当に移民を導入しなければならない状態になっていますか?
少子化による人口減による諸問題は、移民のみが唯一絶対の解決法ですか?
さらには現在の諸問題の中で人口減は、例えば東北の復興やデフレ対策などよりも優先すべき課題ですか?
そういった議論もなしに移民を推進することに対して異議を唱えることはおかしいでしょうか?