少子化問題を解決するためには国民の決断しかない

 今回の一連の更新ではひさしぶりにたくさんのコメントを頂いておりまして、うれしい限りです。
 何度も言ってますように、少子化の問題は国民自身の問題であって、自分のコトとして考えなければ、議論が前に進むコトも、問題が解決するコトもありません。
 少子化対策にしても、そのひとつである移民政策にしても、それを「他人から押しつけられる」なんて構図で見てしまうと、それは解決の一助になるどころか、むしろ解決から遠ざける最も大きな一因にしかならないというコトを知ってほしいんですね。
 未だに「少子化対策について移民以外、何も書いてないのはやえたんもいっしょじゃんか」と書いている人もいますが、こういう「対人」の意識で議論をしようとするのが一番マズいワケです。
 いくらやえをやっつけたところで少子化問題が解決するワケでは全くなく、むしろやえは少子化対策の具体案を今回提起したのではなく、その前段階での議論に対する姿勢について問いただしているワケですから、この場合まず論点すらキチンと見えてないとしか言いようがないんですね。
 この辺を冷静に判断できなくさせてしまうのが「敵をやっつけるための議論」であり、もっとも陥ってはならない思考方法なのです。
 そしてなにより、いま移民政策を議論している人の中の多くはそういう構図に陥ってしまっていると言わざるを得ず、理性的に移民政策を政策論議している人であっても「押しつけられた移民政策」という前提での議論になっている人の方が多いのではないかと思うのです。
 逆に、「少子化問題は国民の責任であって、移民にしても何にしても他人のせいにするな」と言ってしまっている人は、やえ以外にいるのかどうか疑問だと言う方が現実に即しているような気がしてなりません。
 ですからまず中身の議論より先に、この根本の姿勢についてキチンと考えて欲しいのです。
 
 「少子化問題は自分自身の問題だ」という姿勢は、議論方法ももちろんですが、結局どう解決するのかという面においても重要な姿勢です。
 なぜかを言う前に、では少子化問題をどう解決するのか、思いつく限りで政策を挙げてみましょう。
 
1.結婚・出産・育児への経済的負担を減らす。
2.結婚・出産・育児をした夫婦に様々な有利な社会を構築する。
3.結婚・出産・育児をしない夫婦に不利な社会を構築する。
4.結婚・出産・育児以外の方法で人口を増やす。
5.国民意識として結婚や出産をしないのは悪だという意識を植え付ける。
6.突然ベビーブームが訪れる。

 
 おおざっぱに書くと、これぐらいでしょうか。
 もちろんそれぞれに程度はあります。
 そしてその程度によって効果は大きく変わってきます。
 例えば1にしても、現在だってある程度はこの施策は採られているワケですが、大きな効果は上げられていないというのが実際のところでしょう。
 
 また言うまでもありませんが、程度を大きくすると財政負担が大きくなります。
 例えば、結婚・出産・育児にかかる費用を全て国庫で負担しますってなったら、いったい財政負担はどうなるのか、今ですら社会保障費が財政に大きくのしかかっているというのに、とんでもないコトになるでしょう。
 消費税を30%にするっていうならまかなえるかもしれませんが……。
 
 さらに、1~3を複合的に組み合わせる方法もあるでしょう。
 一番強力なのは、「結婚・出産・育児への経済的負担をゼロにし、またその家族には高い扶養控除を与え、逆に30歳以上の独身者などには罰金や禁固刑も含めた重い罰を与える」というコトまですれば、少子化問題はかなり解決するコトでしょう。
 しかしいちいち言いませんが、ここまですれば色んな別の問題が噴出するのは火を見るより明らかですよね。
 そもそもここまでやってしまうと、それは本当に民主主義国家の政策なのかどうかという部分すら危うくなってしまいます。
 ですからこれ、結局はバランスなんですね。
 
 でも、バランスをとるのであれば、どこまでいっても最後は国民の夫婦自身の決断に委ねられる部分が大きくなるんですね。
 3の程度にも大きく関わってはきますが、しかしさすがに罰金や禁固刑は現実的ではなく、できたとしても2の裏返し的な意味、すなわち子供のいる家庭はある程度有利になるので相対的に子供のいない家庭は不利になるという程度でしか政府の施策としては実施出来ないと思いますから、となればやっぱり最後は「国民一人ひとりの決断」に委ねられるのです。
 所詮国家の強制権とは罰則での恐怖でもって縛り付けるコトでしか実効性を担保するコトはできないワケで、よってこの問題ではそれが出来ない以上、誰かに押しつけられるような問題ではないのであり、それは最後は個人個人の判断と決断になるワケなのです。
 結婚・出産・育児への経済的負担が仮にゼロになったとしても、それでもあくまで結婚・出産・育児へのは個人の決断に委ねられるコトになりますよね。
 結婚・出産・育児への経済負担がゼロだとしても、その上で独身の方がいいって選択する人もいるでしょうし、それを拒否できる国家としての根拠は持ち得ないのですから。
 さらに言えばいまだって、昔に比べれば出産育児に対する補助金制度などは充実しているハズですが、でも現状はこうなワケですし。
 
 4は移民で、5と6は政府がやるべきコトではないですから、これ以外の方法があればまたそれぞれ議論が必要ですけど、結局今回の一連の更新でいただいたコメントでも、少子化解消の具体的施策の方法が出てこなかったコトからも、突き詰めればこれらの方法しかないんだと思うんですね。
 少なくともやえにはこれぐらいしか思いつきません。
 となれば、やはり政府の施策がどうであれ、どこまでも最後は国民ひとりひとりの責任と選択と決断に委ねられるワケなのです。
 逆に言えば、この件に関しては政府ができるコトなんて限りがあるんですね。
 国家だけでは少子化の問題を解決するコトなんでできないのです。
 国民が産もうと決断しなければ、移民政策以外では人口を増やすコトができないのです。
 ここを国民はシッカリと認識しなければなりません。
 
 人によっては「もっと政府は少子化対策に力を入れるべきだ」と言う人がいますが、しかし政府がもっと補助金制度などを拡充したところで、最後は国民自身の決断がなければ少子化は解消されないのです。
 だからこそ、これは「政府や政治家から押しつけられた問題」と考えてはならないんですね。
 政府だからこそできるコトはもちろんありますから、もっとその政策を推進しろと言うのは必要なコトなのでしょうけど、でもそれを他人の問題として認識してはダメなのです。
 「もはや結婚出産は法律で義務化しろ」と言わない限りは(それも国民の選択なワケですが)、少子化の問題は常に国民自身の、自分自身の問題だと認識しなければならないんですね。
 
 少子化問題を議論する場合でも、それを解決する場合でも、この問題は常に国民自身の責任の問題なのです。
 だから、ここが一番重要なんですね。
 少なくとも移民政策を否定するよりもまずはこの認識を持つべきで、この考え方をもっと広めるべきだと思いますし、何度も言ってますが、特に感情的な移民政策否定論は少子化問題解決への害悪にしかならないというコトをシッカリと認識して欲しいと思います。