閣議決定が合憲かどうかは裁判所のみが判断するモノだし、また閣議決定は閣議決定で覆せる
集団的自衛権に関する議論の中で、以前「集団的自衛権そのものに対する議論」と「閣議決定で行う内容は憲法の範囲内なのかどうかという議論」は別モノだというお話をしたコトがあります。
例えば、「集団的自衛権の考え方は賛成だが、それを行使するためには日本の現行憲法では不可能だ」という考え方は、矛盾せずに存在するコトは出来ます。
ただし、一部、特に民主党などではここを敢えてごちゃまぜにして、集団的自衛権そのものへの賛否はワザと触れずに、閣議決定の方法がまずいんだという言い方で反対をしている人達がいたりしますが、公党としては無責任な態度だと言わざるを得ませんよね。
そして同じような構図に、その閣議決定は合憲かどうかという議論と、閣議決定の制度のあり方への議論をごちゃまぜにしてしまっている人がけっこういたりするんですね。
「長年歴代政府が継承してきた閣議決定を180度覆す閣議決定は憲法違反だ」
こういう反対論、見たコトありませんか?
こういう言い方こそが、複数の問題をごちゃまぜにして、自分の主張のために空論をでっち上げている最たる例なのです。
どこが空論なのか。
それはこの論が、「長年歴代政府が継承してきた閣議決定を180度覆す閣議決定」という行為と、「憲法違反かどうか」という2つの別の問題を一緒くたにしている点です。
今回の閣議決定が憲法違反かどうか、もちろん人それぞれ色々な意見があるかとは思いますが、しかしそれはいくら議論をしても、公的には全くの無意味です。
例えば、とある刑事裁判において被告の刑量を市井の人間がいくら議論しても、そして仮のその議論で結論が得られたとしても、しかし現実的にその刑量を決めるのは裁判所であり、市井の議論には一切関係なく裁判所の決定のみが公的な決定となり、刑は執行されます。
極端な言い方をすれば、国民全ての人が無罪だと言っても、裁判所が有罪と言えば、公的には有罪としてその被告は扱われるワケです。
国民の議論が無駄とは言いません。
国家の主権者は国民である以上、その議論には一定の意味はあるワケですが、ただ法治国家の制度として冷静に考えれば、「決定権者」は裁判所であるっていうのはどこまでも冷静に受け止めなければならない事実であるワケですね。
ですから今回に限らず全ての閣議決定において、それが合憲かどうかっていう部分を確定的に言うのであれば、それは裁判所の決定のみでしか言うコトができないのです。
「自分は違憲だと思う」は正しい言い方ですが、「違憲だから撤回しろ」という言い方は、法治国家のあり方を無視する独善的な言い方となってしまいます。
今回の閣議決定にしても、それを裁判所に訴えるという行為は国民の権利ですからいいですし、そこで判決が確定すれば政府も国民も従わなければならないので、仮に今回の閣議決定が違憲だと判決が下れば政府はすぐに撤回すべきだと思いますが、しかし繰り返しますけどその決定を下せるのは唯一裁判所だけっていう部分は全ての国民は自覚しなければならないのです。
もっと言えば、憲法違反だという主張が何らかの論の論拠にはなり得ないってコトですね。
今回の閣議決定が違憲かどうかはまだ不確定なワケですから、それを論拠にした言い方、例えば「撤回しろ」などという論の根拠にするコトは出来ません。
きつい言い方をすれば、なぜアナタの個人的な意見だけで政府の行動が縛られなければならないのですかっていうお話になるんですね。
それが違憲かどうかを個人的意見で述べるコトは構いませんが、それはあくまで個人的意見であって、それ以上も以下もないのです。
他人を動かす説得力にはなりはしないのです。
よって、議論が無駄とは言いませんが、確定的なコトは誰も言えないのですから、「閣議決定は憲法違反だ」と言ったとしても、それはどこまでも私論であって、他人を説得する材料にもなりませんし、他人の行動を縛り付ける論拠にもなりはしないのです。
例えば他人がやえに対して「あれは憲法違反だ」と言ってきたとしても、「それは裁判所が決めるコトですから、やえにいくら言われても無意味です」という返事をするしかありません。
では次の議題、「閣議決定は閣議決定で覆すコトができるのか」ですが、これはもう答えは簡単で「出来る」です。
制度的にもそうですし、国家としてのあり方としてもそうです。
例えば「一度作った法律は金輪際改正してはならない」なんて言う人がいたらどう思いますか?
とてもじゃないですけど、時代の変化についていけなくなってしまうでしょう。
国家のために人がいるんじゃないんですよ。
人のために国家があるんですよ。
ですから、人のためにならない法律や閣議決定があるのであれば、それを改正するコトこそが国家として正しいあり方と言えるでしょう。
それがいくら長年継承されたモノだとしても、そんなモノは論拠にはなりません。
いまの時代に合うかどうか、いまの国民のためになるかどうか、ただそれだけが改正すべきかどうかの理由になるのです。
「長年歴代政府が継承してきた閣議決定を180度覆す閣議決定は憲法違反だ」
ここまで読めば、この反対論がいかに薄っぺらいモノなのか分かると思います。
結局このセリフは、ただただ「ボクがイヤだからイヤなんだいっ」と、理由も理屈もなくただ駄々をこねるだけの子供のセリフでしかないのです。
集団的自衛権に対する反対論のその多くは、本来論拠にならないようなモノを適当にごちゃまぜにして、言葉の上だけでそれっぽく言ってるだけのモノが多いですから、それに騙されないようにしなければなりません。
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