ミギ・ヒダリで判断するな

 内閣改造が来週だと噂されている中で、一番の注目人事である石破幹事長の処遇について、ちょっとネットなどの見方で気になったところがあります。
 それは、石破さんの政策について、左右で判断している人がそれなりにいるコトです。
 例えばこんな論調なんですね。
 
 「石破は安保政策は右っぽく見えるけど、人権法の対応などを見ればサヨクであり、本来は安倍さんの敵だ」
 
 かなり極端に書きましたから、このままズバリを言っている人もいないかとは思いますが、こういう論調の人はちょくちょく見ます。
 特にこう言う人は安倍さんの熱烈な応援団かと思われるような人に多いワケですが、しかしこれって、政治や政策を見る場合においては、かなり間違っていると言わざるを得ません。
 
 そもそもこの見方というのは、「右が正義で、左が悪」という根拠の無い固定概念での正悪論ですし、また何が右で何が左かという部分の論拠さえもかなり薄い見方なのではないのでしょうか。
 例えば石破さんが、この前都知事選挙に立候補した田母神氏に対して異論を唱えたコトを差して、「本来石破は社民党のような政党に所属すべき人物だ」なんて言っている人も見かけましたが、もう本当に浅い考え方ですよね。
 ここでは石破さんと田母神氏の考え方のどちらが正しいかというコトは言及しません。
 というか、むしろ正しい間違いというのはさした問題ではなく、政治家なのですから意見の違いがあって当然なんですから、違いがあるだけで悪かのような言い方というのは、これはもう主権者としては間違っているでしょう。
 まして右じゃないから悪とか、そんな二元論しかない世界で戦うヒーローかのような考え方を現実世界に持つ込まれても困るワケです。
 
 もちろん自分が田母神氏の考え方に賛同するから、石破さんには共感できない、というのでしたら、あり得る思考方法ではあります。
 しかしもうちょっと考えて欲しいんですよね。
 もう一歩踏み込んで、なぜ田母神氏や安倍さんの考え方なら支持できて、なぜ石破さんの考え方なら支持できないのか、ここを具体的に考えてもらいたいのです。
 
 政策って本来そういうモノでしょう。
 今回のコトで石破さんに批判的な人も、でも石破さんの安保政策はこれまでは評価していたワケですから、単に安倍さんと袂を分かちそうになっただけで石破さんの全てを否定するかのような言い方っていうのは、政治を見る場面においては違うのではないのでしょうか。
 「安倍さんに唯々諾々として従わない奴は許せない」ならまだ分からなくもありませんが、少なくとも「サヨクだ」とか「社民党だ」とか、レッテルを貼って貶めるまでしてしまうのは間違っていますよ。
 政治家として日本はどの方向に持って行くか、その手段を考える上で、人それぞれ意見の違いはあって当然かと思います。
 その中で、その手段で議論や意見の相違があるだけであって、その相違があるというだけをもって全否定するっていうのは、人間のあり方そのものを否定するコトにも繋がってしまうのではないのでしょうか。
 
 せめて、ネットと言えども不特定多数の人が目にする可能性のある公の場に意見表明するのであれば、キチンと論拠を示してもらいたいんですね。
 「左だから悪」「右じゃないからダメ」と言うのは、まったく論拠になっていません。
 一番まずいのが、「○○という政策はサヨク、だから悪」という、三段跳び論法です。
 その正悪は果たして誰の意思なのですか?
 キチンと自分で考えて導き出した答えなのですか?
 このような考え方というのは、結局は「テレビで言ってたから」という思考放棄と全く同じなのです。
 
 政治に意見を言うなら、やはり最低限論拠を付けるべきでしょう。
 安倍さんが好きだとか、それに楯突くから石破さんは嫌いだとか、まぁそういう感情を持つコト自体を否定はしませんが、少なくともそれを公の場に吐露するなら、キチンと論拠をつけるべきでしょう。
 もっと言えば、主権者としては、そんな感情論だけでない、キチンとした自分の考えというモノを持ってほしいと思います。
 ミギだからこう、ヒダリだからこう、じゃなく、自分はこう考えるからこうだ、という考え方こそが必要だと思うのです。